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2004.10.22

黄金餅(こがねもち)

ところで、この黄金餅。いったい、どんな食い物なんでしょうね? この1枚:黄金餅 

下谷山崎町の裏長屋に住む、金山寺味噌売りの金兵衛。

このところ、隣の願人坊主・西念の具合がよくないので、
毎日、なにくれとなく世話を焼いている。

西念は身寄りもない老人だが、
相当の小金をため込んでいるという噂だ。

だが、一文でも出すなら死んだ方がましというありさまで、
医者にも行かず薬も買わない。

ある日、
「あんころ餠が食べたい」
と西念が言うので、
買ってきてやると、
「一人で食べたいから帰ってくれ」
と言う。

代金を出したのは金兵衛なので、
むかっ腹が立つのを抑えて、
「どんなことをしやがるのか」
と壁の穴から隣をこっそりのぞくと、
西念、何と一つ一つ餡を取り、
餠の中に汚い胴巻きから出した、
小粒で合わせて六、七十両程の金をありたけ包むと、
そいつを残らず食ってしまう。

そのうち、急に苦しみ出し、
そのまま、あえなく昇天。

「こいつ、金に気が残って死に切れないので地獄まで持って行きやがった」
と舌打ちした金兵衛。

「待てよ、まだ金はこの世にある。腹ん中だ。
何とか引っ張りだしてそっくり俺が」と欲心を起こし、
そうだ、焼場でこんがり焼けたところをゴボウ抜きに取ろう」
と、うまいことを考えつく。

長屋の連中をかり集めて、
にわか弔いを仕立てた金兵衛。

「西念には身寄りがないので自分の寺に葬ってやるから」
と言いつくろい、
その夜のうちに十人ほどで早桶を担いで、
麻布絶口釜無村のボロ寺・木蓮寺までやってくる。

そこの和尚は金兵衛と懇意だが、
ぐうたらで、今夜もへべれけになっている。

百か日仕切りまで天保銭五枚で手を打って、
和尚は怪しげなお経をあげる。

「金魚金魚、みィ金魚
はァなの金魚いい金魚中の金魚セコ金魚
あァとの金魚出目金魚。
虎が泣く虎が泣く、虎が泣いては大変だ
……犬の子がァ、チーン。
なんじ元来ヒョットコのごとし
君と別れて松原行けば
松の露やら涙やら。
アジャラカナトセノキュウライス、テケレッツノパ」

なにを言ってるんだか、わからない。

金兵衛は長屋の衆を体よく追い払い、
寺の台所にあった鰺切り包丁の錆びたのを腰に差し、
桐が谷の焼き場まで早桶を背負ってやってきた。

火葬人に、
「ホトケの遺言だからナマ焼けにしてくれ」
と妙な注文。

朝方焼け終わると、
用意の鰺切りで腹のあたりりをグサグサ。

案の定、
山吹色のがバラバラと出たから、
「しめた」
とばかり、残らずたもとに入れ、さっさと逃げ出す。

「おい、コツはどうする」
「犬にやっちめえ」
「焼賃置いてけ」
「焼賃もクソもあるか。ドロボー!」

この金で目黒に所帯を持ち、
餠屋を開き繁盛したという
「悪銭身につく」お話。

【うんちく】

黄金餅いろいろ

下谷山崎町は
江戸有数のスラム。
当時は、三大貧民窟のひとつでした。

現在の台東区東上野4丁目、
首都高速1号線直下のあたりです。

そこは底辺の、
差別された人々が闇にうごめく
といわれた場所でした。
どれほどのものかは、
いまではよくわかりませんが。

金をのみ込んで
もだえ死ぬ西念は願人坊主という職業の人。
僧形なんですが、身分は物ごい。

立川談志の演出では、
長屋の月番は
猫の皮むきに犬殺しのコンビ。

そんな連中が、
深夜、西念の屍骸を担ぎ、
富裕な支配階級の寝静まる大通りを堂々押し通るわけ。

目指すは、
架空の荒寺・木蓮寺。
港区南麻布2丁目辺でしょうか。

付近には麻布絶口の名の起こり、
円覚禅師絶江が開いたといわれる曹渓寺があります。

しかし、一行を待つのは
怪しげな経を読むのんだくれ和尚、
隠亡(おんぼう)と呼ばれた死体焼却人。

加えて、
屍骸を生焼けにして
小粒金を抉り出す凄惨なはずの描写。

それでいて
薄情にも爆笑してしまうのは、
彼らのしたたかな負のエネルギー、
なまじの偽善的な差別批判など
屁で吹っ飛ばす強靭さに、
かえって奇怪な開放感を
覚えるためではないでしょうか。

金は天下の回り物だわえ、てか。

ついでに、
志ん生の道行きの言い立てを。

わァわァわァわァいいながら、
下谷の山崎町を出まして
あれから、
上野の山下ィ出まして
三枚橋からしろこうじィ出まして、
御成街道から五軒町ィ出まして
その頃、
堀さまと鳥居さまという
お屋敷のまいをまっすぐに
すじかい御門から
おおどうりィ出て、
神田の須田ちょうィ出まして
須田町から新ごくちょう
鍛冶ちょうから
今があ橋から本しろがねちょう、
こくちょうから本ちょうィ
出まして室まちから、
日本橋をわたりまして
とおり四丁目、
中橋から、
南伝馬ちょうィ出まして
京橋をわたってまっつぐに、
新橋を、
ェェ右に切れまして土橋から、
あたらし橋の通りを
まっすぐに、
愛宕下ィ出まして
天徳寺を抜けて
神やちょうから
いいぐら六丁目へ出た。
坂を上がって
いいぐら片まち
その頃おかめ団子という
団子屋のまいをまっすぐに、
麻布の永坂をおりまして
十番へ出て、
大黒坂を上がって、
麻布ぜっこう
かまなし村のもくれん寺ィ来たときには
ずいぶんみんなくたびれた……

ああ、写したあたしもくたびれた。

【コラム 古木優】

この噺にはオチがない。

落語にはオチのあるものとないものとがある。

オチのないものは人情噺や怪談噺などと呼んでいるが、
これはどっちだろう。
そんなことは評論家のお仕事。楽しむほうにはどっちでもいい。

五代目古今亭志ん生のが有名だ。

二男の志ん朝もやった。志ん朝没後まもく、春風亭小朝が国立劇場で演じてみせた。
多少の脚色はうかがえたが、志ん生をなぞる域を出なかったな。

志ん生は、四代目橘家円蔵のを踏襲している。

舞台は幕末を想定していたという。

全編に漂うすさんだ空気と開き直りの風情は、
たしかに幕末かもしれない。

三遊亭円朝の演じた速記が残っているが、
これだと長屋は芝金杉あたりだ。

当時は、芝新網町、下谷山崎町、四谷鮫ヶ橋が、
江戸の三大貧民窟だったらしい。

芝金杉は芝新網町のあたり。

いずれにせよ、
この噺は、金兵衛や西念の住む長屋がどれほどすさまじく貧乏であるかを、
われわれに伝えている。

円朝のだと、
ホトケを芝金杉から麻布まで運ぶので違和感はない。

距離にして2キロ程度。

志ん生系の「黄金餅」では、
下谷から麻布までの道行きを言い立てるのがウリのひとつになっている。

これは13キロほどあるから、ホントに運んだらくたびれるだろう。

桐ヶ谷は、浅草の橋場、高田の落合と並ぶ火葬場。

麻布の桐ケ谷と呼ばれた。

今も火葬場がある。

下谷山崎町とは、いまの上野駅と鶯谷駅の間あたり。

上野の山(つまり寛永寺)の際にあるのでそんな地名になった。

「山崎町=ビンボー」のイメージがあんまり強いので、
明治5年に「万年町」に変わった。

中身は変わらずじまいだったから、
東京となってからは「万年町=ビンボー」にすりかわっただけ。

明治・大正の新聞・雑誌には、
万年町のすさんだありさまが描かれているものだ。

西念の職業は噺では「坊主」となっている。

文脈から、これが願人坊主であることは明白だ。

願人坊主とは、流しの無資格僧。

依頼に応じて代参、代待ち、代垢離するのが本来の職務なのだが、
家々を回っては物乞いをした。

奇抜な衣装、珍奇な歌や踊りで人の耳目を傾けた。

ときに卑猥な所作をも強調した。

カッポレや住吉踊りは願人の発明品らしい。

多くは、神田橋本町、芝金杉、下谷山崎町などに住んでいた。

木蓮寺の和尚があげたあやしげなお経は、
願人が口ずさむセリフのイメージなのだろう。

麻布は江戸の僻地だ。

神田・日本橋あたりの人は行きたがらない場所。

絶口釜無村とは架空の地名だが、
「口が絶える」とか「釜が無い」と貧しさを強調している。

たしかに、絶江坂なる地名が今もある。

ここらへんにいたとかいう和尚の名前だという。

好事家はこれを鬼の首を取ったかのように重視するが、
だからといって、それらの地名が噺とどうかかわるかといえば、
どうということもない。

 「黄金餅」について評論家は「陰惨を笑わせる」などと言っているが、
そんなことよりも「全編、貧乏を笑わせている」噺であることが重要なのだ。

西念のこじき坊主ぶり、菜漬けの樽を早桶に見立てるさま、
木蓮寺の和尚の破戒僧のなりというふうに、この噺は貧乏のオンパレード。

この噺、「すさまじき貧乏」以外にウリはないのだから。

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