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2004.10.31

目黒のさんま(めぐろのさんま)

目黒のさんま

おなじみのお噺ですが、ここでは少々古い型をご紹介します。

雲州松江十八万石の
第八代城主・松平出羽守斉恒(なりつね)は、
月潭(げったん)公とも呼ばれ、
文武両道に秀でた名君だけあり、
在府中は馬の遠乗りを欠かさない。

ある日、
早朝から、目黒不動尊参詣を名目に、
二十騎ほどを供に従え、
赤坂御門内の上屋敷から目黒まで早駆けした。

参詣を終えたが、
昼時には間があるので、あちらこちらと散歩。

いつしか目黒不動の地内を出て、
上目黒辺の景色のいい田舎道にかかった時、
殿さま、戦場の訓練に息の続くまで駆け、
自分を追い抜いた者は褒美を取らす
と宣言。

自分から走り出したので、
家来どもも慌てて後を追いかける。

ところが、
腰に大小と馬杓を差したままだから、
なかなかスピードが上がらない。

結局、ついて来れたのは三人だけ。

雲州公、
松の切り株に腰を下ろして一息つき、
遅れて着いた者に小言を言ううち、
にわかに腹がグウと鳴った。

陽射しを見ると、
もう八ツ(午後二時)過ぎらしい。

その時、
近くの農家で焼いているサンマの匂いが
プーンと漂ってきた。

殿さまのこと、
下魚のサンマなどは見たこともない。

家来に、
「あれは何の匂いじゃ」
とご下問になる。

「おそれながら、下様でさんまと申し、
丈は一尺ほどで、
細く光る魚でございます。
近所の農家で焼いておると存じます」
「うむ、しからば、それを求めてまいれ」
「それは相かないません。
下様の下人どもが食します魚、
俗に下魚と称しますもの。
高位の君の召し上がるものでは」
「そのほうは、治にいて乱を忘れずの心がけがない。
もし戦場で敗走し、何も食うものがないとき、
下様のものとて食わずに餓死するか。
大名も下々も同じ人。
下々が食するものを大名が食せんということはない。
求めてまいれ」

家来はしかたなく、
匂いを頼りに探しに行くと、
あばら家で農民の爺さんが
五、六本串に刺して焼いている。

これこれで、高貴なお方が食したいとの仰せだから、譲ってくれ
と頼むと、
爺さん、たちまち機嫌が悪くなり、
「人にものを頼むのに笠をかぶったまま突っ立っているのは、
礼儀を知らないニセ侍だから、
そんな者に意地でもやれねえ」
と突っぱねる。

殿さまが名君だけに
分別のわかった侍だから、
改めて無礼を詫び、やっと譲ってもらって御前へ。

松江公、
空腹だからうまいのうまくないの。

これ以来病み付きになり、
屋敷内に四六時中もうもうと煙が立ち込めるありさま。

しまいには江戸中のさんまを買い上げた。

それでは飽き足らず、
朋輩の諸大名に、
事あるごとにさんまの講釈を並べ立てるから、
面白くないのは黒田候。

負けじと各地の網元に手をまわして買いあさったが、
重臣どもが
「このように脂の多いものを差し上げては」
と余計な気をまわし、
塩気と脂を残らず抜いて調理させたから、
パサパサでまずいことこの上ない。

怒った黒田候、
江戸城で雲州公をつかまえ、
あんなまずいものはないと文句を言う。

「して貴殿、いずれからお取り寄せになりました」
「家来に申しつけ、房州の網元から」
「ああ、房州だからまずい。さんまは目黒に限る」

【うんちく】

元サムライの殿さまばなし

古くからよく知られた噺です。
「サンマは目黒に限る」というオチは、
落語をご存知ない方でも、
一度は耳にされたことがおありでは?
もちろん、現在でも前座から大看板まで、
頻繁に口演されます。

今回は、明治中期まで活躍した
二代目柳家(禽語楼)小さん(1850~98)の、
明治24年の速記を元に粗筋を構成しました。
小さんは延岡の内藤藩士という、
れっきとしたサムライでした。
それだけに、「目黒のさんま」を始め、
「将棋の殿さま」「そばの殿様」など
殿様ばなしなら、右に出る者はいなかったとか。

この噺も、小さんが原型を作ったと言ってよく、
大筋の演出は現行とそうは違いません。
ただ、オチで小さんが「房州の網元から」と
しているのを、現在では「日本橋の魚河岸」と
なるなど、細部はかなり変わっています。

殿さまの正体は?

演者によってもっとも大きく分かれるのが、
殿様のモデルです。
二代目小さんのように雲州公とする場合と、
三代将軍・家光公とする場合があります。
たとえば、八代目林家正蔵(彦六)は
家光公で演じ、
六代目三遊亭円生や、門下の現円楽は
殿様を特定していません。

目黒一帯は将軍家のお狩場だったところで、
家光公が鷹狩りの途中、
偶然立ち寄ってサンマを食し、
たいへん気に入ったという伝説があります。

雲州公で演ずる場合、二代目小さんは
第八代松江藩主・松平斉恒としていますが、
以後は現在まで、その父で
茶人・食通として名高く、出雲にそばを
移植したので有名な、
不昧公・治郷(はるさと、1751~1818)と
されています。

演出によっては、家来が爺さんと
もめているところへ、殿様がニコニコして現れ、
「許せよ」と丁重に頼むので、爺さんが
機嫌を直すやり方もあります。

もっとも、これは「ただの殿様」の
雲州公だからよいので、
将軍家が来てこんなにゴネれば
ハリツケものでしょう。

目黒不動とサンマのこと

「目黒のお不動さま」は、
現在の東京都目黒区下目黒三丁目の
瀧泉寺境内にあります。
江戸の五色不動の一つで、境内では
富くじの抽選が催され、
湯島天神、谷中天満宮とともに
江戸三大突き富といわれました。

この噺の爺さんがいた「爺が茶屋」が
どこにあったのかは、諸説あって不明です。

サンマはその短刀に似た形から、通称九寸五分。
江戸に入荷するのは、九十九里沖で獲れたものが
ほとんどでした。
輸送の関係で生のものはなかなか出回らず、
干物で売られることが多かったのです。
この噺でも、重臣たちが心配するように
脂が多いものなので、労働量の多い農民や、
町人でも、馬喰などの肉体労働者に好まれました。

おすすめ本目黒のさんま

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