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2004.11.03

木乃伊取り(みいらとり)  

その名のとおり、みいら取りがみいらになったお噺で……。

道楽者の若だんなが、
今日でもう四日も帰らない。

心配した大だんなが、
番頭の佐兵衛を吉原にやって探らせると、
江戸町一丁目の「角海老」に居続けしていることが判明。

番頭が
「何とかお連れしてきます」
と出ていったがそれっきり。

五日たっても音沙汰なし。

大だんなが
「あの番頭、せがれと一緒に遊んでるんだ。
誰が何と言っても勘当する」
と怒ると、
お内儀が
「一人のせがれを勘当してどうするんです。
鳶頭ならああいう場所もわかっているから、頼みましょう」
ととりなすので呼びにやる。

鳶頭、
「何なら腕の一本もへし折って」
と威勢よく出かけるが、
途中の日本堤で幇間の一八につかまり、
しつこく取り巻くのを振り切って角海老へ。

若だんなに
「どうかあっしの顔を立てて」
と掛け合っているところへ一八が
「よッ、かしら、どうも先ほどは」

あとはドガチャカで、
これも五日も帰らない。

「どいつもこいつも、みいら取りがみいらになっちまやがって。
今度はどうしても勘当だ」
と大だんなはカンカン。

「だいたい、おまえがあんな馬鹿をこさえたからいけないんです」
と、夫婦でもめていると、
そこに現れたのが飯炊きの清蔵。

「おらがお迎えに行ってみるべえ」
と言いだす。

「おまえは飯が焦げないようにしてりゃいい」
としかっても
「仮に泥棒が入ってだんながおっ殺されるちゅうとき、
台所でつくばってるわけにはいかなかんべえ」
と聞かない。

「首に縄つけてもしょっぴいてくるだ」
と、手織り木綿のゴツゴツした着物に色の褪めた帯、
熊の革の煙草入れといういでたちで勇んで出発。

吉原へやって来ると、
若い衆の喜助を
「若だんなに取りつがねえと、
この野郎、ぶっ張りけえすぞ」
と脅しつけ、二階の座敷に乗り込む。

「番頭さん、あんだ。このざまは。
われァ、白ねずみじゃなくてどぶねずみだ。
鳶頭もそうだ。この芋頭」
と毒づき、
「こりゃあ、お袋さまのお巾着だ。
勘定が足りないことがあったら渡してくんろ、
せがれに帰るように言ってくんろと、
寝る目も寝ねえで泣いていなさるだよ」
と泣くものだから、
若だんなも持て余す。

あまりしつこいので
「何を言ってやがる。
てめえがぐずぐず言ってると酒がまずくなる。
帰れ。暇出すぞ」
と意地になってタンカを切ると、
清蔵怒って
「暇が出たら主人でも家来でもねえ。
腕づくでもしょっぴいていくからそう思え。
こんでもはァ、村相撲で大関張った男だ」
と腕を捲くる。

腕力ではかなわないので、
とうとう若だんなは降参。

一杯のんで機嫌良く引き揚げようと、
清蔵に酒をのませる。

もう一杯、もう一杯と勧められるうちに、
酒は浴びる方の清蔵、すっかりご機嫌。

ころあいを見て、
若だんなの情婦のかしく花魁がお酌に出る。

「おまえの敵娼に出したんだ。
帰るまではおまえの女房なんだから、
あくぁいがってやんな」

花魁
「こんな堅いお客さまに出られて、
あたしうれしいの。
ね、あたしの手を握ってくださいよ」
としなだれかかってくすぐるので、
清蔵はもうデレデレ。

「おい番頭、
かしくと清蔵が並んだところは、似合いだな」

「まったくでげすよ。
鳶頭、どうです?」

「まったくだ。握ってやれ握ってやれ」

三人でけしかけるから、
「へえ、若だんながいいちいなら、
オラ、握ってやるべ。
ははあ、こんだなアマっ子と野良ァこいてるだな、
帰れっちゅうおらの方が無理かもすんねえ」

「おいおい、清蔵、
そろそろ支度して帰ろう」

「あんだ? 帰るって? 
帰るならあんた、先ィお帰んなせえ。
おらもう二、三日ここにいるだよ」

【うんちく】

「みいらとりがみいらに……」

呼びに行った者が誰も帰らないことですが、
皮肉なこの噺の結末にはぴったりの演題です。
清蔵をいちずに、実直に演じることで
最後のオチのドンデン返しが効いてきます。

「みいら」は本来、死体の防腐用の樹液のことで、
元はポルトガル語。木乃伊、蜜人とも書きます。
それが乾燥死体そのものの意味にに転じたものですが、
ことわざの意味との関係は不明です。

円生から談志へ

古くからの江戸落語です。

戦後、得意にしていたのは
六代目三遊亭円生と八代目林家正蔵で、
特に円生のものは、人物の描き分けが巧みで、
定評がありました。

現役では、現立川談志の得意ネタで、
談志は、オイランが権助(清蔵)の上に
またがったりするエロチックな演出を加え、
オチは、
「こんなに惚れられてんのに、店なんぞに帰れるか」
「勘定どうする?」
「さっきの巾着よこせ」
としています。

角海老のこと

落語にしばしば登場する「角海老(かどえび)」は、
旧幕時代は「海老屋」といい、
吉原屈指の大見世、超有名店でした。
「角海老」と称するようになったのは維新後です。

「角海老」の創業者は、
信州出身の宮沢平吉なる者で、
幕末に上京して牛太郎(客引き)から身を起こし、
海老屋を買い取って、明治17年に
「角海老」の看板をあげました。

その屋根の、イルミネーション付きの大時計は
明治の吉原のシンボルでした。

日本堤(にっぽんづつみ)

元和6年(1620)、荒川の治水のため、
浅草聖天町から箕輪(三ノ輪)まで築いた堤防です。
そのうち吉原衣紋坂までを土手八丁、または
馬道八丁と呼びました。

日本堤の名の由来は、
堤防構築に、
在府している全国のすべての大名が
駆り出されたことからきたといいます。

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コメント

『ミイラ取りがミイラに』ですが、中世には【魔術の道具】、そして蒸気機関車が出来てからは【燃料】、揚句の果てには近世に【酔狂で】とミイラは古代から様々な需要(?)があったそうです。そのため、墓荒らしがついでにミイラまで持って行ったり、ひどいときにはミイラ専門に墓荒らしをする奴がでてきたのだといいます。しかし、ミイラのある場所は砂漠のど真ん中にあるピラミッド、しかも玄室(ミイラのある場所)がピラミッドの最下層にあるため墓荒らしは中で遭難し、揚句の果てにはご昇天し、その御遺体は乾燥してミイラに・・・なんて事が良くあったそうです。
(アドベンチャーゲームのダンジョンで、プレイヤーの行く手に骨がゴロゴロ・・・なんていうシーンと同じ感じかも知れません)
そこで、『ミイラ取りがミイラに』ですが、行ったっきり返らなくなる状況がこの盗掘屋の末期に似ているためこの諺が生まれたんだといいます。
聞きかじりですので、間違いかもしれませんが、ご参考までに一つ。

投稿: S | 2006.11.26 01:04

なるほどねえ。

投稿: ふる | 2006.11.26 02:05

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