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2004.11.03

十徳(じっとく)  

噺全編、これ駄洒落の集合体。ばかばかしいだけですが。

ふだん物知り顔な男。

髪結床で仲間に
「このごろ隠居の着ている妙ちくりんな着物は何と言う」
と聞かれたが、答えられず、
恥をかいたのがくやしい
と、早速隠居のところへ聞きに言った。

隠居は
「これを十徳という。
そのいわれは、立てば衣のごとく
、座れば羽織のごとく、
ごとくごとくで十徳だ」
と教え、
「一石橋という橋は、
呉服町の呉服屋の後藤と、
金吹町の金座御用の後藤が
金を出し合って掛けたから、
ゴトとゴトで一石だ」
とウンチクを一くさり。

さあ、
今度は見やがれ
と床屋に引き返したはいいが、
着いた時にはきれいに忘れてしまって大弱り。

「ええと、立てば衣のようだ、
座れば羽織のようだ、
ヨウだヨウだで、やだ」

「いやならよしにしねえ」

「そうじゃねえ、
立てば衣みてえ、
座れば羽織みてえ、
みてえみてえでむてえ」

「眠たけりゃ寝ちまいな」

「違った、
立てば衣に似たり、
座れば羽織に似たり、
ニタリニタリで、
うーん、これはしたり」

【うんちく】

遊び心に富むダジャレ噺

オチの部分の原話は、安永2(1773)年刊「御伽草」
中の「十徳のいわれ」で、そっくりそのままです。

江戸にはシャレ小咄が多く、馬鹿馬鹿しいようで
遊び心とウィットに富み、楽しいものです。

落語の「一目上り」などもそうですが、数でシャレる
ものでは、たとえば、

「屋島の戦で、平教経が義経を見て、勝負をしそうに
なった。義経は臆して、『よそうよそう』で八艘飛び」
「西と書いて産前産後と解く。その心は二四は三前三後」

などがあります。本来、前座噺ですが、大看板では
八代目春風亭柳枝(1959年歿)がよく演じました。

上方ではこの後、「ごとくごとくで十徳やろ」
と先回りされ、困って、

「いや、たたんでとっとくのや」

と、落します。

これはしたり

サゲに使われていますが、今では??でしょう。

「これは悪しき(=悪い)ことしたり」の真ん中が
取れた言葉といわれ、「しまった」と「驚いた」
の両義に使われます。

この噺では前者でしょうが、ダジャレなので、
あまり詮索しても意味はありません。

「仮名手本忠臣蔵」五段目・山崎街道鉄砲渡しの
場で、狩人となっている早野勘平が、かつての
同僚の千崎弥五郎に偶然出会い、両人膝をたたいて

「これはしたり」

と言います。この場合は後者の意味で、歌舞伎では
このパターンは紋切り型で繰り返し使われます。

十徳って?

脇を縫いつけた、羽織に似た着物です。
おもに儒者、絵師、医者らが礼服として用いました。

本当の語源は、「直綴(じきとつ)」からの転訛で、
脇を綴じてある意味でしょう。

鎌倉時代末期に始まるといわれ、古くは武士も
着用しました。江戸時代には腰から下にひだを付け、
普段着にもなりますが、袴ははかないのが普通でした。

後藤は江戸の「日銀総裁」

金座は勘定奉行に直属です。

家康が貨幣制度の整備を企てて日本橋に金座を設け、
新両替町(現・中央区銀座一~四丁目)に駿府から
銀座を移転。家臣の後藤庄三郎光次に両方を統括させ、
金貨・銀貨を鋳造・鑑定させたのが始まりです。

金座の設置は文禄4(1595)年、銀座は慶長17(1612)年とされます。

後藤庄三郎は代々世襲で、大判小判を俗に
「光次」と呼んだのはそのためです。

金座は当初、日本橋金吹町(「長崎の赤飯」参照)
に設けられ、後藤の配下で、実際に貨幣に金を
吹きつける役目の業者を「金吹き」と呼びましたが、
元禄8(1695)年にこれを廃止。

新たに鋳造所を本郷に移転・新築しましたが、
間もなく火事で全焼し、同11(1698)年、後藤の
官宅があった、金吹町のすぐ真向かい、日本橋
本石町二丁目の現日銀本店敷地内へ再移転しました。

一石橋って?

正確には「いちこくばし」と読みます。

現・中央区日本橋本石町一丁目から、同八重洲
一丁目までの外堀通りを南北に渡し、北詰に
日銀本店、その東側に三越があります。

この橋上から自身と常磐橋、呉服橋、鍛冶橋、
銭亀橋、日本橋、江戸橋、道三橋と、隅田川を
代表する八つの橋を一望する名所で、別名を
「八ツ橋」「八つ見の橋」といったゆえんですが、
現在は情けなくも高速道路の真下です。

噺の中の「ゴトとゴトで一石」は俗説です。
このダジャレ説のほか、橋のたもとに米俵を積み
上げ、銭一貫文と米一石を交換する業者がいたから
とする説も。どちらも信用されていなかったらしく、

「屁のような由来一石橋のなり」

と、川柳で嘲笑される始末でした。

もう一つの「呉服屋の後藤」は、幕府御用を承る
後藤縫之助で、「北は金 南は絹で橋をかけ」と、
これまた川柳に詠まれました。一石橋の南の呉服橋は
この後藤の官宅に由来し、橋自体、元は「後藤橋」
と呼ばれていたとか。

一石橋の南詰に安政4(1857)年、迷子札に代わる
「まひごのしるべ石」が置かれ、現存しています。

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