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2004.11.03

つるつる

つるつる

古典落語というものは、必ずしも江戸時代が舞台とはかぎりませんな。

ころは大正。

吉原の幇間・一八は、
副業に芸者置屋を営む師匠の家に居候している。

美人の芸者・お梅に四年半越しの岡ぼれだが、
なかなか相手の気持ちがはっきりしない。

今夜こそはと、
あらゆる愛想を尽くし、
三日でいいから付き合ってくれ、
三日がダメなら二日、いや一日、
三時間、二時間、三十分十五分十分五分三分一分、なし……
なら困ると、
涙ぐましくかき口説く。

その情にほだされたお梅、
色恋のような浮いた話ならご免だが、
この間、あたしが患った時に
寝ずの看病をしてくれたおまえさんの親切がうれしいから、
もし女房にしれくれるというのならかまわないよ、
という返事。

ところがまだあとがある。
今夜二時に自分の部屋で待っているが、
おまえさんは酒が入るとズボラだから、
もし約束を五分でも遅れたら、ない縁とあきらめてほしい、
と釘を刺されてしまう。

一八は大喜びだが、
そこへ現れたのがひいきのだんな樋ィさん。

吉原は飽きたので、
今日は柳橋の一流どころでわっと騒ごうと誘いに来たとか。

今夜は大事な約束がある上、
このだんな、酒が入ると約束を守らないし、
ネチネチいじめるので、一八は困った。

今夜だけは勘弁してくれと頼むが、
「てめえも立派な幇間のなったもんだ」
と、早速嫌味を言って聞いてくれない。

事情を話すと、
それじゃ、十二時まで付き合え
と言うので、しかたなくお供して柳橋へ。

一八、いつもの習性で、
子供や猫にまでヨイショして座敷へ上がるが、
時間が気になってさあ落ちつかない。

遊びがたけなわになっても、
何度もしつこく時を聞くから、
しまいにだんながヘソを曲げて、
おまえの頭を半分買うから片方坊主になれの、
十円で目ん玉に指を突っ込ませろの、
五円で生爪をはがさせろの
と無理難題。

泣きっ面の一八、
結局、一回一円でポカリと殴るだけで勘弁してもらうが、
案の定、
酔っぱらうとどう水を向けてもいっこうに開放してくれないので、
階段を転がり落ちたふりをして、
ようやく逃げ出した。

「やれ、間に合った」
と安心したのも束の間。

お梅の部屋に行くには、
廊下からだと廓内の
色恋にうるさい師匠の枕元を通らなければならない。

そこで一八、
帯からフンドシ、腹巻と、
着物を全部継ぎ足して縄をこしらえ、
天井の明かり取りの窓から下に下りればいい
と準備万端。

ところが、
酔っている上、安心してしまい、
その場で寝込んでしまう。

目が覚めて、
慌ててつるつるっと下りると、
とうに朝のお膳が出ている。

一八、おひつのそばで、
素っ裸でユラユラ。

「この野郎、寝ぼけやがってッ。何だそのなりは」
「へへ、井戸替えの夢を見ました」

【うんちく】

文楽VS志ん生

八代目桂文楽が、
それまでこっけい噺としてのみ
演じられてきたものを、
幇間の悲哀や、お梅の性格描写などを
付け加え、十八番に仕上げました。

五代目古今亭志ん生もよく演じましたが、
お梅とのやりとりを省いて、だんなに話す形にし、
いじめのあざとい部分も省略。
柳橋から帰る途中で、蒲鉾をかじりながら
さいこどん節の口三味線で浮かれるなど、
全体的にこっけい味を強くして
特色を出しています。

今聞き比べてみても、両者甲乙つけ難いところです。
私(たか)個人では、志ん生版が好みですが。

実録「樋ィさん」

文楽演出のこの噺や「愛宕山」に登場するだんなは、
れっきとした実在の人物です。

八代目桂文楽の自伝「あばらかべっそん」によると、
樋ィさんの本名は樋口由恵といい、
甲府出身の県会議員のせがれで、
運送業で財をなした人。

文楽と知り合ったのは関東大震災の直後。
若いころから道楽をし尽くした粋人で、
文楽の芸に惚れこみ、文楽が座敷に来ないと
大暴れして芸者をひっぱたくほどわがままな反面、
取り巻きの幇間や芸者、芸人には、
思いやりの深い人でもあったとか。

本「つるつる」の一八を始め、
文楽の噺に出てくる幇間などは、すべて
当時樋口氏がひいきにしていた連中がモデルで、
この噺の中のいじめ方、からみ方も
実際そのままだったようです。

柳橋の花柳界

安永年間(1772-81)に船宿を中心にして
興りました。
実際の中心は現在の両国付近で、
天保末年に改革でつぶされた新橋の芸者を
「リクルート」した結果、最盛期を迎えました。

明治初年には、芸者六百人を数えたといいますが、
盛り場の格としては、深川(辰巳)より
1ランク下とみなされました。

幸田文原作、成瀬巳喜男監督の名作「流れる」(1952)は、
敗戦直後、時代の波とともにたそがれゆく
柳橋の姿を、リアルな視点で描写しています。

井戸替え

さらし井戸ともいいますが、夏季に
疫病防ぎのために、長屋総出で
井戸底をさらい、清掃します。

井戸屋が請け負うこともあり、
いずれにしてもふんどし一丁で
縄をつたって井戸底に下りる、
一日がかりの危険な作業でした。

【コラム 古木優】

 八代目桂文楽のおはこ。
 三代目三遊亭円遊が明治22(1889)年にやった「思案の外幇間の当て込み」という速記が残っている。「つるつる」に当たるもの。原話は文化年間にあったそうだが、円遊が文楽への中継ぎをしたようなものだ。双方とも、おおまかな筋やオチなどは同じ。
 文楽のほうが、幇間のうわっついた調子や筋の運びに生彩と洗練を感じさせてくれる。
 オチの「井戸浚い」が、今ではわかりにくい。
 毎年、 7月7日が井戸浚いの日だった。大名屋敷から裏長屋まで、それぞれに行っていた。「井戸替え」「井戸さらい」などとも呼んだそうだ。
 この日、長屋の住人は、井戸の化粧側をはずして、大桶に縄をつけて車で井戸の水をすくい上げる。7割ほどの水をすくうと、井戸屋の職人が縄を伝い「つるつる」と井戸の底に下りて、井戸の周りを洗ったり底に落ちているさまざまなものを拾い上げる。その上で井戸水を全部くみ上げて、作業は終わる。長屋の住人たちは、化粧側をつけ直し、板戸のふたをしてお神酒と塩を供える。 井戸屋の伝う縄は水に濡れていたので、「するする」ではなく「つるつる」という音がしたのだとか。
 円遊は、オチのところを、
「ああ、おまえのことだから、おおかた井戸浚いの夢でも見たのだろう」
「なあに、ちょっとブランコの稽古でございます」
 と、やっている。
 「ブランコ」などとハイカラな物を出してしゃれたつもりなのだろうが、筋の効果では文楽のほうに磨きがかかっている。見事な芸である。

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コメント

樋ぃさんの実際の孫の樋口です。
文楽師匠は、私の父も大変お世話になり、父やおじの結婚式にも来て頂いたようです。
私の名前の恵一も、由恵の「恵」を一字もらっています。 実際、向島や柳橋では相当に遊んだ祖父で、小田原にあった家には文楽師匠も何度もいらっしゃっていただいたことがあり、子供の頃、私自身もその光景を覚えています。
向島にも幼稚園のときに連れて行ってもらいました。 文楽師匠の仲人をしたのはこの樋口由恵です。 今、私自身は運送業を継いでいますが、残念ながら向島や柳橋を継いではいません。 当時の帳面を見たことがありますが、今で言ったらいったいいくらのお金を使っていたのか・・・
でも、こういう祖父を今では大変誇りに思っています。

投稿: 樋口恵一 | 2006.07.30 19:08

樋口 様

貴重なエピソードを、本当にありがとうございました。

樋口由恵氏のような伝説の人物のご令孫にお便りいただけるとは、
望外の喜びで、当サイトとして本当に光栄です。

御祖父君が、お孫さんである樋口様初め、
お身内の方にとってはもちろん、
昭和の名人・八代目文楽師のために、友人として
どれほど大切な方だったか、樋口様の文章を拝読して
一介の落語ファンに過ぎないわれわれも、
改めて知ることができました。

安藤鶴夫の遺作となった小説「三木助歳時記」に、
こんなシーンがありました。
昭和34年秋、八代目桂文楽と三代目桂三木助が、
差し向かいで酒盃を交わす場面です。
 
 ……「む、結構ですな」
  そういうのを、文楽がまた、さも、うれしそうな顔で、
 「いいだろ? 樋ィさんがね、灘から、じか送り」
  樋口という、文楽の、古いひいきである。
 「樋ィさんから? そうですか、いえ、ひさしく、お目に掛りませんが、お元気で?」
 「ああ、お元気の見本です」
 「あ、さいで」……    (旺文社文庫より)

樋口氏も、五代目志ん生師の「だんな」だった
坊野寿山氏もまたしかりですが、
かつての古きよき時代には、酸いも甘いもかみわけた、
こうした人生の達人、遊びの「プロ中のプロ」が
すぐれた落語家のひいきとなり、ともに損得勘定抜き、
それこそ童心にかえって、心ゆくまで遊びたわむれることで、
その噺家の芸に豊かな艶と深みを増し、
大きな花を咲かせていったものと思います。

御祖父君こそ、その意味で
文楽師の芸の育ての親と言っても、過言ではないでしょうし、
また、樋口氏のようなよき「だんな」を持つすべのない
今の噺家は不幸であるといえるでしょう。
心の通った遊び相手は、同時に芸の第一の理解者であり、
最も手厳しい批評家でもあったでしょうから。

どうか、御祖父君の思い出で、
新たにお思い出しになられたことなどございましたら、
またぜひお寄せくださいますよう、
今後ともよろしくお願い申し上げます。(たか)

投稿: たか | 2006.08.08 11:07

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