« いいぞ!雲助 落語研究会(2004年11月22日)の寸評 | トップページ | 宿屋の仇討ち(やどやのあだうち)/落語 »

2004.11.23

千両みかん(せんりょうみかん)/落語

千両みかん

価値の転倒の妙。ありがたくもばかばかしく、いい噺。

ある呉服屋の若だんなが急に患いつき、
食事も受け付けなくなった。

大切な跡取り息子なので両親も心配して、
あらゆる名医に診てもらうが、
決まって
「これは気の病で、
何か心に思っていることがかないさえすれば、きっと全快する」
と言うばかり。

そこで、だんなは番頭の佐兵衛を呼んで、
「おまえはせがれを小さい時分から面倒を見ているんだから、
気心は知れている。
何を思い詰めているか聞き出してほしい。
何だろうとせがれの命には換えられないから、
きっとかなえてやる」
という命令。

若だんなに会って聞きただすと、
どうせかなわないことだから、
かえって不孝になるので、言わずにこのまま死んでいく
と、なかなか口を割らない。

どうせどこかの女の子に恋患いでもしたんだろうと察して、
必ずどうにかするから、とようやく白状させてみると、
「それじゃ、おまえだけに言うがね、
実は、……みかんが食べたい」

あっけに取られた番頭、
そんなことなら座敷中みかんで埋めてあげます
と請け合って、
喜んで主人に報告。

ところがだんな、難しい顔で、
「とんでもないことを言ったもんだ。じゃ、きっと買ってくるな」
「もちろんです」
「どこにみかんがある」

それもそのはず、時は真夏、土用の八月。

はっと気づいたがもう遅い。

「おまえが今さら、ないと言えば、せがれは気落ちして死んでしまう。
そうなれば主殺し。磔(はりつけ)だ。
きっと召し連れ訴えしてやるからそう思え。それがイヤなら……」

それがイヤなら、江戸中探してもみかんを手に入れてこい
と脅され、佐兵衛、片っ端から果物屋を当たるが、
今と違って、どこにもあるわけがない。

ハリツケ柱が目にちらつく。

しまいに金物屋に飛び込む始末。

同情した主人から、
神田多町の問屋街へ行けばひょっとすると、
と教えられ、ワラにもすがる思いで問い合わせると
「あります」
「え、ある? ね、値段は?」
「千両」

……蔵にたった一つ残った、腐っていないみかんが、なんと千両。

とても出すまいと思ってだんなに報告すると
「安い。せがれの命が千両で買えれば安いもんだ」

……あのケチなだんなが、みかん一つに惜しげもなく千両。
皮だって五両ぐらい。
スジも二両、一袋百両。
あー、もったいない。
喜んで食べた若だんな、三袋残して、
これを両親とお祖母さんに
と言う。

「オレが来年別家してもらう金がせいぜい三十両……。
この三袋で……えーい、長い浮世に短い命、どうなるものかいっ」

番頭、みかん三袋持ってずらかった。

【うんちく】

古い上方落語

明和9年(1772)刊の笑話本「鹿の子餅」中の
「蜜柑」を、大阪の松(笑)福亭系の祖で、
文政期から天保にかけて活躍した初代松富久亭松竹が
落語に仕立てたものです。

オチにすぐれ、かつての大坂船場の商家の人間模様も
織り込んだ、古い上方落語の名作ですが、
東京に移されたのは比較的新しく、戦後と思われます。

東西の演者

東京では八代目林家正蔵、五代目古今亭志ん生が
演じました。

正蔵(彦六)は、みかん問屋を万屋惣兵衛としました。
万惣は、神田多町に古くからある実在の問屋で、
のち有名なフルーツパーラーになっています。

志ん生のギャグでは、金物屋で番頭が、引き回しや
ハリツケの場面を聞かされて腰を抜かすくだりが
抱腹ですが、この部分は大阪の演出を踏襲しています。

また、大阪の現桂米朝の演出は、事情を説明すると
問屋が同情してタダでくれると言うのを、
番頭が大店の見栄で、金に糸目はつけないと
しつこいので、問屋も意地になって千両とふっかける
段取りです。

青物市場

みかんを始め、青果を扱う市場は、
江戸では神田多町、大坂では天満で、多数の
問屋が並び、それぞれこの噺の東西の舞台です。

多町の方は、開設は元禄元年(1688)ですが、
それ以前の慶長年間(1596-1615)に、
名主の河津五郎太夫という者が、すでに
野菜市を開いていたといわれます。

大坂・天満は、それまで京橋片原町(現・大阪市
都島区片町)にあった市を承応2年(1653)に
現在の天満橋北詰に移したものです。

天満には当時からみかん専門店があって、

「夏は、穴ぐらか、それとも夏でもひんやりする
土蔵の中で、何重にも特殊な梱包をして、残そうと
したのでしょうか。囲うということをやった」(桂米朝)

みかん

栽培は古く、垂仁天皇のころ、田道間守を
常世の国につかわし、非時香菓(ときじくの
かくのこのみ)を求めさせたという記事が
「日本書紀」にあります。

実際には、飛鳥時代にはすでに栽培されていて、
「万葉集」にも数歌に詠みこまれています。
当時はユズ、ダイダイなどかんきつ類一般を
「橘(たちばな)」と呼びました。

時代は飛んで、江戸に有田みかんが初入荷したのは
寛永11年(1634)11月。その時にもう、京橋に
初のみかん問屋が開業しています。

人情ばなしのようでいて人情ばなしでない、
不思議な感覚を覚える噺ですね。

現代人の感性からすると、
番頭の最後の独白が、しごくもっともと
感じられるせいでしょうか。

どんな忠義者といえども、この若旦那や
親馬鹿旦那のような連中には、いくら何でも
付き合っていられないでしょうからねえ。

おすすめCD千両みかん

|

« いいぞ!雲助 落語研究会(2004年11月22日)の寸評 | トップページ | 宿屋の仇討ち(やどやのあだうち)/落語 »

落語のあらすじ 」カテゴリの記事

コメント

友達が講談を習っていて、誘われて先生の講談を生で聞きに行った。紀伊国屋文左衛門。何月何日に船を出したのか、江戸には何日後に着いたのか、どうやって保存したのか、いくらで売ったのか、庶民が買ったのか、等々、疑問がいくらでも湧きあがり、みかんみかんで調べているうちに、ここの千両みかんにたどり着いた。落語ぜひ聞いてみたいです。1こだけ残ってたってのが、なんかREALですね。

投稿: エリゴン | 2005.07.13 18:49

そうそう。1個だけ、っていうのがね。私も同感です。

投稿: おがみかんじき | 2005.07.14 14:43

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/60017/2042376

この記事へのトラックバック一覧です: 千両みかん(せんりょうみかん)/落語:

» 千両みかん [しゅうきち's きまぐれ見聞録]
落語では千両みかんという噺がありまして、夏の暑い盛りにみかんを買いに行く話です。昔からみかんは冬の食べ物だったので、夏に売っているわけがありません。しかし、みか... [続きを読む]

受信: 2005.03.15 17:25

« いいぞ!雲助 落語研究会(2004年11月22日)の寸評 | トップページ | 宿屋の仇討ち(やどやのあだうち)/落語 »