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2004.12.01

鰍沢(かじかざわ)  落語

円朝が作った三題噺の傑作です。これぞ、噺の中の噺! この1枚:鰍沢

おやじの骨を身延山に納めるため、
参詣かたがたはるばる江戸からやってきた新助。

帰り道に山中で大雪となり、
日も暮れてきたので道に迷って、
こんな場所で凍え死ぬのは真っ平だから、
どんな所でもいいから一夜を貸してくれる家はないものかと、
お題目を唱えながらさまよううち、
遠くに人家の灯、生き返った心地で宿を乞う。

出てきたのは、田舎にまれな美しい女。
年は二十八、九か。

ところが、どうしたことか、のどから襟元にかけ、
月の輪型のアザがある。

家の中は十間ほどの土間。

その向こうの壁に獣の皮が掛かっていて、
欄間には火縄の鉄砲。

猟師の家とみえる。

こんな所だから食べる物もないが、
寝るだけなら、と家に入れてくれ、
囲炉裏の火にあたって人心地つくうち、
ふとした会話から女が江戸者だとわかる。

それも浅草の観音様の裏あたりに住んでいたという……。

「あの、違ったらお詫びしますが、
あなた、吉原は熊蔵丸屋の月の戸花魁(おいらん)じゃあ、ありませんか」

「えっ? おまえさん、だれ?」

男にとっては昔、
初会惚れした忘れられない女。

ところが、裏を返そうと二度目に行ってみると、
花魁が心中したというので、
あんなに親切にしてくれた人がと、
すっかり世の無常を感じて、それっきり遊びもやめてしまった
と、しみじみ語ると、花魁の方も打ち明け話。

心中をし損ない、
喉の傷もその時のものだという。

廓の掟でさらされた後、
品川の岡場所に売られ、
ようやく脱走してこんな草深い田舎に逃れてきたが、
今の亭主は熊撃ちをして、
その肝を生薬屋に売って細々と生計を立てている身。

おまえはん、
後生だから江戸へ帰っても会ったことは内密にしてください
としんみりと言うので、
新助は情にほだされ、
ほんの少しですがと金包みを差し出す。

困るじゃあありませんか
と言いつつ受け取った女の視線が、
ちらりとその胴巻きをかすめたことに、新助は気づかない。

もと花魁、今は本名お熊が、
体が温まるからと作ってくれた卵酒に酔いしれ、
すっかりいい気持ちになった新助は、
にわかに眠気を催し、
別間に床を取ってもらうと、そのまま白川夜船。

お熊はそれを見届け、
どこかへ出かけていく。

入れ違いに戻ってきたのが、亭主の伝三郎。

戸口が開けっ放しで、
女房がいないのに腹を立て、
ぶつくさ言いながら囲炉裏を見ると、
誰かが飲んだらしい卵酒の残り。

体が冷えているので一気にのみ干すと、
そこへお熊が帰ってくる。

亭主の酒を買いに行ったのだったが、
伝三郎が卵酒をのんだことを知ると真っ青。

あれには毒が……
と言う暇もなく伝三郎の舌はもつれ、
血を吐いてその場で人事不省になる。

客が胴巻きに大金を忍ばせていると見て取り、
毒殺して金を奪おうともくろんだのが、
なんと亭主を殺す羽目に。

一方、別間の新助。

目が覚めると、
にわかに体がしびれ、七転八倒の苦しみ。

それでもなんとか陰からようすを聞き、
事情を悟ると、このままでは殺されると、
動かぬ体をひきずるように裏口から外へ。

幸い、毒酒をのんだ量が少なかったか、
こけつまろびつ、お題目を唱えながら土手をよじ登り、
下を見ると東海道は岩淵に落ちる鰍沢の流れ。

急流は渦巻いてドウドウというすさまじい水勢。

後ろを振り向くと、チラチラと火縄の火。

亭主の仇とばかり、お熊が鉄砲を手に追いかけてくる。

雪明りで、下に山いかだがあるのを見ると、
新助はその上にずるずると滑り落ちる。

いかだは流され、岩にぶつかった拍子にバラバラ。

たった一本の丸太にすがり、
震えてお題目を唱えていると、
上からお熊が狙いを定めてズドン。

弾丸はマゲをかすって向こうの岩に命中した。

「ああ、大難を逃れたも、
お祖師さまのご利益。
たった一本のお材木(=題目)で助かった」

【うんちく】

三題ばなしから創作

三遊亭円朝作の人情噺です。

幕末には、お座敷や特別の会の余興に、
客が三つの題を出し、落語家が短時間に
それらを全部取り入れて一席の噺をまとめるという
三題ばなしが流行しましたが、
円朝がその席で「鉄砲」「毒消しの護符」「玉子酒」
の三つのキーワードから即座にまとめたものです。

三題噺からできた落語ではほかに、同じく円朝作の
「芝浜」があります。

原話は道具入り芝居噺として作られ、その幕切れは、
「名も月の輪のお熊とは、食い詰め者と白浪の、
深きたくみに当たりしは、のちの話の種子島
危ないことで(ドンドンと水音)あったよなあ。
まず今晩はこれぎり」
となっています。

「鰍沢」と名人たち

円朝は維新後、派手な道具入り芝居噺を捨て、
素ばなし一本で名人とうたわれましたが、
「鰍沢」もその関係で、サスペンスがかった
人情噺として演じられることが多くなりました。

円朝門下の数々の名人連に磨かれ、三遊派の
大ネタとして、戦後から現在にいたるまで
受け継がれてきました。

明治の四代目橘家円喬の迫真の名演は、
今も伝説的です。
近年では六代目円生八代目正蔵に正統が伝わり、
五代目志ん生も晩年好んで演じました。

元の形態の芝居噺としては、正蔵が特別な会で
復活したものが門弟の正雀に継承されたほかは、
演じ手はないようです。

志ん生の「鰍沢」

五代目志ん生は、自らが円朝、円喬の系統を継ぐ
正統の噺家であるという自負からか、
晩年、円朝全集を熟読し、「塩原多助」「名人長二」
「鰍沢」など、円朝作の長編人情噺を好んで
手がけました。

志ん生の「鰍沢」は、全集の速記を見ると、名前を
出しているのはお熊だけで、旅人も亭主も無人称なのが特色ですが、
残念ながら、成功したとは言いがたい出来です。
リアルで緻密な描写を必要とする噺の構造自体が、
志ん生の芸風とは水と油なのです。

音源は、病後の最晩年ということもあり、口が回らず、
無残の一語です。

五十代の志ん生で「鰍沢」を
一度聞いてみたかったと思います。

続編「鰍沢二席目」もあった

歌舞伎作者の黙阿弥作で、やはり円朝が芝居噺として
演じたとされる、この噺の続編が「鰍沢二席目」です。

正式には「晦(みそか)の月の輪」といい、
やはり三題噺(「花火」「後家」「峠茶屋」)から
作られたものです。

毒から蘇生した伝三郎が、お熊と信濃・明神峠で
追剥を働いているところへ、偶然新助が通りかかり、
争ううちに夫婦が谷底へ転落するという筋立てですが、
明治以後、演じられた形跡もなく、芝居としての台本もありません。

鰍沢って、どこよ?

現在の山梨県南巨摩郡鰍沢町。
東海道から甲府に至る交通の要衝で、
古くから、富士川添いの川港として
物資の集積点となり、栄えました。

「鰍沢の流れ」は富士川の上流で、東海道岩淵在は
現在の静岡県庵原郡富士川町にあたります。

なお、「鰍沢」は人情噺には珍しく、新助が
急流に転落したあと「今のお材木(=お題目)で
助かった」というオチがついていますが、
「おせつ徳三郎」のオチと同じなので、
これを拝借したものでしょう。

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コメント

いつも落語鑑賞の手引きに参照させて頂いています。
ありがとうございます。

志ん生の「鰍沢」に
>音源は、病後の最晩年ということもあり、口が回らず、
>無残の一語です。
とありますが、手持ちの『古今亭志ん生名演大全集』32巻
の収録は
  鰍沢
  ニッポン放送『志ん生を聴く』
  昭和三十年十月六日放送
となっており、勿論五十代ではありませんが、病前の音源
です。無残とは程遠いなかなか快調な喋りですよ。

妄言多謝

今後も貴サイトの発展充実を祈念致します。

投稿: つねきち | 2009.11.18 22:17

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