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2004.12.01

蜆売り(しじみうり)  落語

落語にも鼠小僧が出てくるのがあるんです。カッコよすぎです。

ご存じ、義賊の鼠小僧次郎吉。

表向きの顔は、
茅場町の和泉屋次郎吉という魚屋。

ある年の暮れ、
芝白金の大名屋敷の中間部屋で
三日間バクチ三昧の末、
スッテンテンにむしられて、外に出ると大雪。

藍微塵の結城の袷の下に、
弁慶縞の浴衣を重ね、
古渡りの半纏をひっかけ、
素足に銀杏歯の下駄、尻をはしょって、
濃い浅黄の手拭いで頬っかぶりし、
番傘をさして新橋の汐留までやって来た。

なじみの伊豆屋という船宿で、
一杯やって冷えた体を温めていると、
船頭の竹蔵がやはりバクチで負けてくさっている
というので、
なけなしの一両をくれてやるなどしているうち、
雪の中を、年のころはやっと十ばかりの男の子が、
汚い手拭いの頬かぶり、
ボロボロの印半纏、素足に草鞋ばきで、
赤ぎれで真っ赤になった小さな手に笊を持ち、
「しじみィー、えー、しじみよォー」

渡る世間は雪よりも冷たく、
誰も買ってやらず、あちこちで邪魔にされているので、
次郎吉が全部買ってやり、
しじみを川に放してやれ
と言う。

喜んで戻ってきた子供にそれとなく身の上を聞くと、
名は与吉といい、
おっかァと二十三になる姉さんが両方患っていて、
自分が稼がなければならない
と言う。

その姉さんというのが
新橋は金春の板新道で全盛を誇った、
紀伊国屋の小春という芸者だった。

三田の松本屋という質屋の若だんなといい仲になったが、
おかげで若だんなは勘当。

二人して江戸を去り、
姉さんは旅芸者に、
若だんなの庄之助は碁が強かったから、
碁打ちになって、
箱根の湯治場まではるばると流れてきたところ、
亀屋という家で若だんなが悪質なイカサマ碁に引っ掛かり、
借金の形にあわや姉さんが自由にされかかるところを、
年のころは二十五、六、
苦み走った男前のだんながぽんと百両出して助けてくれた上、
あべこべにチョボ一で一味の金をすっかり巻き上げて追っ払い、
その上、五十両恵んでくれて、
この金で伊勢詣りでもして江戸へ帰り、
両親に詫びをするよう言い聞かせて、
そのまま消えてしまったのだ
と、いう。

ところが、この金が刻印を打った不浄金(盗まれた金)であったことで、
若だんなは入牢、
姉さんは江戸に帰されて家主預けとなったが、
若だんなを心配するあまり、
ノイローゼになったとのこと。

話を聞いて、次郎吉は愕然となる。

たしかに覚えがあるのも当然、
その金を恵んだ男は自分で、
幼い子供が雪の中、しじみを売って歩かなければならないのも、
もとはといえばすべて自分のせい。

親切心が仇となり、
人を不幸に陥れたと聞いては、
うっちゃってはおかれねえと、
それからすぐに、兇状持ちの素走りの熊を身代わりに、
おおそれながらと名乗って出て、
若だんなを自由の身にしたという、
鼠小僧俠気の一席。

【うんちく】

白浪講談を脚色

幕末から明治にかけての世話講談の名手で、
盗賊ものが得意なところから、異名を泥棒伯円といった
二代目松林(しょうりん)伯円が、
鼠小僧次郎吉の伝説をもとに創作した
長編白浪(=盗賊)講談の一部を落語化したものです。

戦後は、五代目古今亭志ん生が得意にしました。
ほかに上方演出で、大阪から東京に移住した
二代目桂小文治(現桂小金治の師匠)が
音曲入りで演じました。

大阪のオチは、

「親のシジメ(しじみ=死に目)に会いたい」

と地口(=ダジャレ)で落とします。また、
二代目桂小南は主人公を鼠小僧でなく、
市村三五郎という大坂の侠客で演じていました。

実録・鼠小僧次郎吉

天保3年(1832)旧暦5月8日、浜町の
松平宮内少輔さまのお屋敷で「仕事」中、持病の
喘息の発作が起きてついに悪運尽き、
北町奉行・榊原主計頭さまのお手下に
御用となりました。

その生涯の記録は、
出撃回数:122回
うち大名屋敷:95箇所
奪った金額:3,085両3分(判明分のみ)

という不滅の金字塔です。恐らく、被害総額は
実際は4,000両近くにのぼるでしょう。
お上のお取調べでは、そのうち3,121両2分を
きれいに使い果たし、窮民になど一文も
施してはいません。

鼠小僧次郎吉の最期

お縄になったときは、深川山本町(俗に櫓下、現・
東京都江東区門前仲町)・水茶屋主人半次郎方に
居候していました。

同年天保3年旧暦8月7日、市中引き回しの上、
鈴が森で磔。享年35歳、離婚暦3回でした。
墓は本所・回向院にあります。

歌舞伎の鼠小僧

黙阿弥が、ほぼ講談の筋通りに脚色、
安政4年(1857)正月の市村座に
「鼠小紋春君新形(ねずみこもんはるのしんかた)」
として書き下ろし、上演しました。
芝居では、お上をはばかり、鼠小僧は稲葉幸蔵。
幕末の世話狂言の名人・四世市川小団次が扮しました。

しじみ売りの少年は芝居では三吉。演じたのは
のちの明治の名優・五代目尾上菊五郎で、当時満12歳。
後見人の中村鴻蔵と浅草蛤河岸まで出かけ、実際の
しじみ売りの少年をスカウトして、家に呼んで
実演してもらったという逸話があります。

その子の六代目菊五郎も、やはり子役の三吉役のとき、
雪の冷たさを思い知らせるため、父親に裸足で
雪の庭に突き落とされてしごかれたそうです。
今なら完全にドメスティック・ヴァイオレンスですが。

おっと、書き忘れましたが、
回向院の鼠小僧の墓は、むろん本物でなく、
供養墓です。

あれは、明治9年6月、市川団升なる小芝居の役者が、
鼠小僧の狂言が当った御礼に、永代供養料十円を添え、
「次郎太夫墳墓」の碑銘で建立したものです。

だいたい、磔の重罪人は屍骸取捨てが当たり前で、
まともな墓など、建てられるわけはありません。

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コメント

はじめまして、紋三郎と申します。小生の「ひひ爺さん」の中村鴻蔵(大橋屋鴻蔵)を記載ありがとうございました。

投稿: 大橋屋 六世紋三郎 | 2009.01.30 18:41

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