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2004.12.21

一目上がり(ひとめあがり)  落語

無知な男の厚顔ぶりを笑う噺。寄席ではよく前座がやってます。

隠居の家に年始に来た熊五郎。

床の間の掛け軸に目を止め、
もうちょっときれいなのを掛けたらどうです
と文句をつけると
「この古いところに価値がある。
汚いところに味わいと渋みがある。
こうして眺めるのが楽しみなものだ」
とたしなめられる。

「へえ、道理で端の方がはげてて変だと思った。
子供に壁土を食うのがいるが、
それは虫のせいだね」
「何が?」
「なめるって」
「なめるんじゃない。眺めるんだ」

笹っ葉の塩漬けのような絵が描いてあって、
上に能書きが書いてある。

これは狩野探幽の絵で雪折笹、
下のは能書きではなく
「しなはるるだけは堪(こら)へよ雪の竹」
という句を付けた芭蕉の讚だと教えられる。

掛け軸のほめ方ぐらい知らなくては人に笑われるから、
こういうものを見たときは「結構な讚です」
とほめるよう教えられた熊、
大家がしょっちゅう物を知らないと馬鹿にしてしゃくだから、
これから行って一つほめてくると出かける。

大家さんはしみったれだから
掛け物なんぞないだろうとくさすと、
「馬鹿野郎。貧乏町内を預かっていても、これでも家守(やもり)だ。
掛け物の一つや二つねえことがあるものか」
と大家が見せたのが根岸蓬斉の詩の掛け軸で、
「近江(きんこう)の鶯は見難し遠樹の烏は見やすし」
とある。

「金公が酒に当たって源次のカカアが産をした」
「誰がそんなことを言うものか」

シだと言われて、
サンしか知らない熊公、
旗色が悪くなって退散。

なるほど、絵と字の両方書いてあればサンシと言えばいいんだ
と、今度は手習いの師匠の家へ。

掛け軸を見せてくれと頼むと、
師匠が出したのが一休で
「仏は法を売り、末世の僧は祖師を売る。
汝五尺の身体を売って、一切衆生の煩悩を安んず、
柳は緑花は紅のいろいろか、
池の面に夜な夜な月は通へども水も濁さず影も宿らず」
という長ったらしいもの。

「南無阿弥陀仏」
「まぜっ返しちゃいけない」
「こいつはどうもけっこうなシだ」
「いや、これは一休の語だ」

また新手が現れ、
「サイナラッ」と逃げだす。

「馬鹿馬鹿しい。一つずつ上がっていきやがる。
三から四、五だから今度は六だな」
と検討をつけ、半公の家へ。

ここのは、何か大きな船に大勢乗っている絵。

「この上のは能書か」
「能書ってやつがあるか。
これは初春にはなくてはならねえものだ。
上から読んでも下から読んでも読み声が同じだ。
なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな。
めでてえ歌だ」

「わかった。こいつは六だな」
「馬鹿いえ。七福神の宝船だ」

【うんちく】

センスあふれる前座噺

全編ダジャレといえばそれまでですが、
讃、詩、語という掛け軸の書画に付き物の
文辞を、同音の数字と対応させ、今度は
どうにも洒落ようがない「六」でどうするのかと
冷やかし半分に聞いている見物をさっとすかして
同じ掛け軸の「七福神」と鮮やかに落とすあたり、
非凡な知性とセンスがうかがえます。
この噺の作者は、只者ではないでしょう。

前座の口慣らしの噺とされながら、
五代目古今亭志ん生、五代目柳家小さんのような
名だたる大真打が好んで手掛けたのも、
なるほどとうなずけます。

加えて、書画骨董や詩文の知識が、
名も無き市民の間でも不可欠な教養、たしなみと
されていた時代の文化レベルの高さ。
つくづくため息が漏れます。

入れごとは自由自在

軽快なテンポと洒落のセンスだけで聞かせる
噺で、伸縮自在なので、いろいろな入れごとや
ギャグも自由に作れます。

たとえば、七福神から、「八」を抜かして

「芭蕉の句(=九)だ」

と落とすこともあります。
この噺の原話の一つ、安永4年(1775)刊の
「聞童子」中の小ばなし「掛物」では、
「七」は「質(札)でござる」とサゲていますし、
同じく文化5年(1808)刊「玉尽一九ばなし」
中の「品玉」では、質=七の字を分解し、
「十一」(十一屋=といちや=質屋の別称)
までジャンプして終わっています。

このように調子よくとんとんと落とすオチの型を
「とんとん落ち」と呼んでいます。

讃、詩、語

讃は書画に添える短い言葉で、この噺のように
俳句などが多く用いられます。

詩はもちろん漢詩。これも掛け軸や襖の装飾の
定番です。

語は格言や、高僧の金言など。
一休の語にある「柳は緑花は紅」は禅語で、
「禅林類聚」などにある成句です。
万物をありのままにとらえる哲学で、
夏目漱石も座右の銘としました。
そういえば、
クレージーキャッツの「学生節」の歌詞にも
ありましたねぇ。

なかきよの……

長き夜の遠の寝覚めの皆目覚め 波乗り船の音の良きかな

回文の代表的なもので、
正月の宝船の絵に添える紋切型でした。
それにしても、かなというものは、
漢字の補助的な文字ということがよくわかります。

探幽・蓬斉

狩野探幽(1602~74)は江戸前期の絵師で、
鍛冶橋狩野派の祖。幕府御用絵師で、
江戸城紅葉山天井の龍、芝増上寺安国殿、
高野山金堂の壁画などで知られます。

根岸蓬斉は儒学者・漢詩人の亀田蓬斉(1752~1826)のことで、
根岸に住んだのでこの別称があります。
その書は名高く、永井荷風が敬愛した、
江戸文人のシンボルのような粋人(すいじん)でもありました。

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