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2005.02.11

幇間腹(たいこばら)  落語

昔は道楽者や馬鹿でも医者になれたみたいで。今と変わらないか。

道楽者の若だんな、
家が金持ちであるのをいいことに、
あらゆる悪行をし尽くして、もうすることがなくなってしまった。

そこではたと考え込み
「こうやって道楽をして生涯を終わってしまうのは、実にもったいない。
これからはせめて、同じことなら人助けになる道楽をしてみよう」
と妙な改心をした挙げ句、
人助けならいっそ医者だが、なるのが大変だから、
どうせなら簡単に免許が取れそうな鍼医にでもなってやろうと思いつく。

思い立ったが吉日と、
早速杉山流の鍼(はり)医の先生に弟子入りしたが、
書物の講釈ばかりして一行に鍼を持たせてくれない。
根がお調子者で気まぐれだから、じきに飽きてしまい、
すぐにでも「人体実験」をしてみたくてたまらなくなった。

猫を突っついてみても練習にはならない。

やっぱり人間でなければと、そこで思い出したのが欲深の幇間の一八。

金の五両もやれば文句はあるまいと、
喜び勇んで一八の家に出かけていく。

一八もこのところ不景気なので、
久しぶりに現れた若だんなを見て
「さあいい獲物がかかった」と大はりきり。

その上「三百人も芸人とつき合った中で、頼りになるのはお前一人」とおだてられ、
つい調子に乗って
「若だんなのためなら一命も捨てます」
と口走ったのが運の尽き。

若だんなの「一生の頼み」と聞いて仰天したがもう遅く、
いやいやながら五両で「実験台」を引き受けさせられてしまう。

南無阿弥陀仏と唱え、
今日がこの世の見納めと観念して横になると、
舌なめずりの若だんな、初めてなので手が震える。

まず一本水落へブッスリ。

スッと入るのでおもしろくなって、全部入れちまったからさあ抜けない。

「こういう時はもう一本友達のハリを打って、
意見をして連れ戻してもらうよりしかたがない」
というのでもう一本。

またも抜けない。

「若い奴を迎えにやったから、ミイラ取りがミイラになって、
いっしょに遊んじまってるんだ、ウン。
今度は年寄りのハリを送って、連れ帰ってもらおう」
ともう一本。

またまた抜けない。

どうしようもなくなって、爪を掛けてグーッと引っ張ったから、
皮は破れて血はタラタラ。

あまりの痛さに一八が「アレー」と叫んだから、
若だんな、びっくりして逃げ出してしまった。

「一八さん、どうしたい。切腹でもしたのかい」
「冗談じゃねえ。これこれこういうわけで、
若だんなを逃がしちまって一文にもならない。
ああ、ならないわけだよ、
破れだいこ(たいこ=幇間)だからもう鳴らない」

【うんちく】

原話の方が過激?

もっとも古い原型は、安楽庵策伝著「醒睡笑」
(→「子ほめ」「てれすこ」)巻二「賢だて第七話」、
ついで元禄16(1703)年刊「軽口御前男」中の
「言いぬけの箎(もがり)」ですが、
この二話ではともに、鍼を打って患者を殺し、
まんまと逃げてしまいます。

前者では鍼医が瀕死の病人の天突の穴(のどの
下の胸骨のくぼみで、急所)にズブリとやり、
病人の顔色が変わったので家族が騒ぎ出すのを
一喝しておいて、鍼を抜くと同時に「さあ泣け」。
わっと泣き出したどさくさに風をくらって
退散という業悪ぶりです。

時代がくだって明和9(1772)年刊の
「楽牽頭」中の「金銀の針」、安永5(1776)年
刊の「年忘れ噺角力」中の「鍼の稽古」になると
ぐっと現行に近くなり、「迎え鍼」のギャグも
加わって、加害者は客、被害者が幇間になります。

若だんなの異名は「ボロッ買い」

この噺、
もともとは大阪から東京に移植されたものですが、
あまり大ネタ扱いされず、
速記や音源も多くありません。
明治27年の二代目柳家(禽語楼)小さんの速記が
残されているのは貴重で、今回のあらすじは
その小さんのものをテキストにしました。

この中で一八は尾羽打ち枯らした老幇間、
若だんなは15歳から21歳の今日まで、ありと
あらゆる女という女を賞味し尽くし、
「人類ことごとく試してみて、
牝馬のお尻まで犯してはみたが、
まだ幇間のお尻を試したことは無い」、
江戸ことばで誰とでも見境なく寝る意味の
「ボロッ買い」という大変な代物という設定です。

現行と少し違うのは、出入りの按摩にそそのか
されて「人体実験」を思いつくのと、若だんなが
直接一八宅に押しかけるところでしょう。
また、一八が承知する最後の決め手が
「公債証書の五枚に地面(=土地)の一ヶ所」
というのが、いかにも時代です。

「幇間腹」をあきらめた文楽

八代目桂文楽が「幇間腹」を覚えようと、
「孝ちゃん」こと柳家甚語楼時代の志ん生に
教わりに行ったというエピソードがあります。
昭和初期のことでしょう。

ということは、
そのころにはこの噺は、大看板の師匠連で演じる者はなく、
演っているのは無頼の悪名高い、
悪友の甚語楼くらいしかいなかったということでしょう。

しかし、結局ものにならず、
文楽はいさぎよく「幇間腹」を断念します。
後年あれほど幇間噺を得意にした文楽が、
なぜモノにできなかったかよくわかりませんが、
あまりにもギャグだくさんでおにぎやかなだけの噺で、
同じ幇間噺の「鰻の幇間」などと違い、
自分の目指す幇間のペーソスや陰影が出しにくく、
このまま覚えてもとうてい甚語楼には勝てないと思ったのかも
知れません。

杉山流とは?

鍼医術の一派で、天和2(1682)年、
盲人の杉山和一が幕命を受け、
鍼治講習所を設置したのが始まりで、
江戸をはじめ全国に爆発的に普及しました。

五代目志ん生の「幇間腹」

戦後は三代目春風亭柳好、五代目古今亭志ん生が得意にしましたが、
やはり何と言っても志ん生のものでしょうね。

志ん生は、後半の鍼を打ち込むくだりは、むしろあっさりと演じ、
「迎え鍼」の 部分では、二本目が折れたところで
若だんなは逃げてしまいます。

その分前半はみっちり。

たとえば
若だんなの凝っている物が分からずに不安になって、
「え? ゴルフ?」
「え? 撞球(ビリヤード)ですかァ? 」
と懸命にヨイショして聞き出そうとしたり、
お前に鍼を打つ
と言われ、
動揺をごまかすため、
「そんなこたァ嘘だー」と泣き出しそうな唄い調子で言ったり、
芸人はてめえだけじゃない
と若旦那に居直られると、
また節をつけて
「いやだよォあなたは」
と媚びるなど、
感情を押し隠さず、
ナマの人間としての幇間を率直に表現する
志ん生ならではの真骨頂でした。

なお、志ん生はこの噺を
ごく若いころからよく演じていて、
晩年の速記でも、
一八が「マーチャン」(麻雀のこと)に凝っているという設定から、
時代背景をを昭和初期のまま固定していたことが伺われます。

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