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2005.03.16

真田小僧(さなだこぞう)  落語

もひとつ、くそがきの話題を。このがき、さらにこざかしげなやつです。 この1枚:真田小僧

ああ言えばこう言うで、
親をへこましてばかりの子供。

今日もおとっつぁんに小遣いをせびり、
ダメだと言われると、
隣の吉兵衛さんがおとっつぁんの留守に家に上がり込んで、
おっかさんと差し向かいで……
と気を持たせる話をするので、
おやじはついつい気になり、
話がとぎれる度に、もう一銭、もう一銭と
情報量を追加で取られた上、
オチは「おならをしました」。

子供が逃げていってしまうと、
夫婦で、
末恐ろしい餓鬼だ、今に盗賊になるかも知れない
と、嘆くことしきり。

それに引き換え、
あの真田幸村公は、栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)より芳し、
十四歳の時、父真幸に付いて、天目山の戦いに初陣、
多勢に取り囲まれて真幸が切腹の覚悟をした時、
せがれの幸村が、
自分に策がありますと申し出て、
敵の松田尾張守の旗印である永楽通宝の六文銭の旗を立てて、
敵陣に夜襲をかけ、
混乱させて同士討ちを誘い、
見事に勝利を納めた。

それ以来、真田の定紋は二ツ雁から六文銭になった
という故事をおやじがお袋に話し、
あんな奴は幸村どころか、よくいって石川五右衛門だ
と言っているところへ若さまがご帰城。

いつの間にか盗み聞きしていて、
「おとっつぁん、六文銭ってどんな紋?」
「うるせえ餓鬼だ。いいか、こういうふうに二列に並んでいるんだ」
「あたいにもちょっと貸して」

銭を数えるふりをして
「わーい、もーらった、もらった」
とかすめ取って逃げていく。

「あっ、また親をだましぁあがった。やい、それを持ってどこへ行くんだ」
「今度は焼きイモを買ってくるんだ」
「うーん、ウチの真田も薩摩へ落ちたか」

【うんちく】

巨匠が愛した(?)悪童ばなし

上方落語の「六文銭」を、
おそらく三代目柳家小さんが東京に移したもので、
筋や演出は、東西ともほぼ同じです。

作中の大坂夏の陣の逸話は、
大坂で人気のあった講釈演目の「難波戦記」から。
当然この噺も、
それにこじつけられてつくられたと思われます。

前座噺に近い扱いですが、それでも明治期では
三代目小さん、その門下の初代小せん、
戦後では六代目円生、三代目金馬、五代目志ん生ほか、
意外に超大物が好んで手掛けています。

シャレにならない仕方噺

この噺では、子供のこすからさが相当なものなので、
昔は眉をひそめる識者もいたとか。
それでも、一心に自分に尽くしてくれる継母をいびりにいびり抜く
「双蝶々」の長吉などに比べれば、かわいいものです。

前半の、隣のおやじに、
母親の不倫をにおわせる仕方噺(シャレになりません!)で気をもたせ、
金をせびり取るくだりは、
「アンマさんでした!」
と逃げるやり方もありますが、
まったく同じパターンが上方版の「初天神」にもあります。

このくだりは現仁鶴が圧巻ですが、
「真田小僧」に比べてよりえげつなく、真にせまっています。

焼きイモ事始

江戸市中に初めて焼芋屋が現れたのは寛政12年(1800)のことで、
神田弁慶橋東の甚兵衛橋際で、初めて売り出されました。

なお、甘藷(かんしょ=サツマイモの原種)が
小石川農園で試験的に植えられたのは、
その65年前の享保20(1735)年3月。
江戸では、まず間食用として蒸しイモで売られました。

ウチの真田も……

オチの「ウチの真田も薩摩へ落ちたか」は、
豊臣秀頼が大坂城で自害せず、
真田幸村ともども薩摩に落ちのびたという伝説を
採り入れたものです。

ただし、講釈の「難波戦記」では、史実通り、
秀頼はじめ大坂方はすべて戦死します。

おすすめCD:真田小僧

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