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2005.03.15

雛鍔(ひなつば)  落語

いつの代にもいる悪がき。大人の上いく知恵の巡りが小気味よく。

ある植木屋が、
大きな武家屋敷で仕事中、
昼休みに一服やっていると、
若さまがチョロチョロ庭に出てきた。

泉水の傍に落ちていた穴あきの四文銭を拾って、
お付きの三太夫に
「これは何か?」
と、尋ねる。

「いっこうにに存じません」
「丸くって四角な穴が空いているが、
文字の形があるから、
古いお雛(ひな)さまの刀の鍔(つば)ではないか?」
「卑しい物でございます。お取り捨て遊ばしますよう」
「さようか」

若さま、
ポーンと投げ出して行ってしまった。

これを見ていた植木屋、
驚いて聞いてみると、
若さまは今年お八歳になられるが、
高貴なお方には汚らわしい銭のことは教えないという。

ウチの河童野郎が同じお八歳でも、
始終「銭をくれ」「おアシをくれ」とまとわりつくのとは
えらい違いだと、つくづく感心した植木屋、
これまでは、銭をやらないとかえって卑しい料簡になって、
悪いことでもしないかと心配で、
ついせがまれるままに与えていたが、
これは考えなくちゃならねえと思いながら家に帰った。

女房にこれこれと話をし、
氏より育ちと、横丁の隠居が言うが、
てめえの育て方が悪いから餓鬼はだんだん悪くなる
と、愚痴をこぼす。

それをちゃっかり後ろで聞いていた悪餓鬼、
待ってましたとばかり
「遊びに行くから銭おくれよ」

ためにならねえから銭はやらねえ
と言うと
「くれなきゃ、糠味噌ん中に小便するぞ」
と親を脅す。

しかると
「やーい、よそィ行っていばれねえもんだから、
子供をつかまえていばってやがら。
大家さんが来ると震えているくせに」
と手がつけられない。

そこへ、
お店の番頭が遅れている仕事の催促にやってきた。

茶を出して言い訳していると、
外へ逃げていった河童野郎がいつの間にか戻ってきて
「こんなもーのひーろった」
とうるさい。

穴空き銭を振りかざして、
「何だろうな、おとっつぁん、
真ん中に四角い穴が空いていて、字が書いてある。
あたい、お雛さまの刀の鍔だろうと思うけど」

これを聞いた番頭、
「店の坊ちゃんでも銭を使うことはご存じだが、
おまえさんのとこの子は、銭をしらないのかい?」
と、感心。

女房が屋敷奉公していたので、
ためにならない銭は持たさない
と苦し紛れにうそをつくと
「栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)より芳し、
末頼もしい子を持って幸せだ。
いくつだい?」
「へえ、本年お八歳に相なります」
「お八歳はよかった。
坊や、おじさんが銭……といっても知らないか。
うん。銭はためにならない。
おじさんが好きなものを買ってあげよう。何がいい?」
「どうもありがとう存じます。
やい、喜べ。あれ、拾った銭をまだ持ってやがる。
きたねえから捨てちまえ」
「やだい。これで芋を買うんだ」

【うんちく】

江戸人の金銭蔑視

多いときには人口の七割が武士だったという江戸の町人は、
「武士は喰わねど高楊枝」という、
朱子学をバックボーンにした武家の金銭を卑しむ思想に
大きな影響を受けていました。

もっとも、落語では、
寝言にまで「金をくれ」と言う「夢金」の船頭・熊五郎や、
小粒銀をアンコロ餅に包んで食べ、悶死する「黄金餅」の西念のような、
江戸っ子の風上にもおけない、強欲な守銭奴も例外的に登場しますが、
だいたいにおいて、やせがまんの清貧思想が
この町では支配的だったわけです。

そういう意味でこの噺には、誇張・デフォルメされた形でも、
「強欲よりも無知のほうがずっといい」
という江戸っ子の信念(?)が、よくあらわれていると思います。

そういえば、 往年のディズニー映画「黄色い老犬」で、
開拓者一家の少年が、
「お金ってなーに」
とマジメな顔で聞くシーンがありました。

アメリカ人にも昔は、こういうカマトトを喜ぶ「江戸っ子」がいたのですかね。

主人公が女郎だった原話

この「雛鍔」の原話と思われる小ばなしは二つあり、
古い方が享保18年(1733)刊「軽口独機嫌」中の「全盛の太夫さま」、
次に安永2年(1773)刊「飛談語」中の「小粒」です。

前者は、全盛の吉原の太夫が、
百文のつなぎ銭(穴あき一文銭を百枚、麻縄に通したもの)を蛇と思い込んで驚き、
梯子から落ちたのをまねして失敗する話、
後者もやはり女郎が、銭を知らない振りをする筋立てで、
本当の無知と、無垢を装うしたたかさという違いはあっても、
どちらも遊女が主人公です。

それが落語化される過程で、いつ子供にすり替わったかは不明です。

四文銭

明和5(1768)年以降鋳造されたもので、
青銭ともいいました。

ウチの河童野郎

当時の子供の髪型から、男の子のことを乱暴に呼んだ言葉です。

もともとは小僧(丁稚)の髪型で、
頭頂部を剃って小さくまげを結ったものを
河童と呼びました。

ちなみに、「山の神が河童野郎をひり出した」とは、
むろん「かみさんが男のガキを産んだ」の意味です。

悪ガキが登場する噺

このほかに「真田小僧」「初天神」「佐々木政談」、
上方落語で、初代桂春団治のレコードが残る「鋳かけや」、
六代目三遊亭円生がしっとりと演じた長編人情噺「双蝶々」、
八代目林家正蔵が昭和40年度の芸術祭奨励賞を受賞した、
平岩弓枝作の「笠と赤い風車」などがあります。

これらのうち、前四席は、(「雛鍔」を含めて)
いささか度の過ぎたいたずらやマセぶりが目立つものの、
どれも落語流にデフォルメされた子供像で、
現代の青少年非行と比べれば他愛なく、
むしろ、ほほえましささえ感じられます。

対照的に後の二席は、どちらも、片親の孤独とひがみから
継母の愛情を曲解し、非行の泥沼にはまっていく少年像が
近代的でリアルです。
ひたすら哀れで空しく救いのない、
江戸版「大人は分ってくれない」といえるでしょう。

大阪の「お太刀の鍔」

金を知らない子供が、大富豪・鴻池の「ぼんち」という設定で、
噺の筋は東京そのままです。

考えてみれば、商都・大阪で金銭を卑しむというのは
完全に自己否定ですし、まして商人の跡取が、
いくら子供でも金を知らないという発想は、そもそもおかしいわけです。

まあ、江戸とは対極の金銭万能思想への一種の自虐として、
大阪人がこういう噺を面白がるということは
あるかも知れませんね。

大阪から東京へ移された噺は山ほどありますが、
おそらくこの噺は、数少ない逆ルートでしょう。

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