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2005.05.15

花見の仇討ち(はなみのあだうち)  落語

洒落がうつつに。花見どころじゃありません。

上野の桜も今が満開。

仲のよい四人組。

今年は花見の趣向に、
周りの人間をあっと驚かすことをやらかそうと相談する。

一人の提案で、敵討ちの茶番をすることに決めた。

一人が適当な場所で煙草をふかしていると、
二人が巡礼に扮して通りかかり、
「卒爾(そつじ=失礼)ながら、火をお貸し願いたい」
と、近づく。

「さあ、おつけなさい」
と顔を見合わせたとたん、
「やあ、なんじは何の誰兵衛よな。
なんじを討たんがため、
兄弟の者この年月の艱難辛苦。
ここで逢ったが優曇華(うどんげ)の花咲き待ちたる今日ただ今、
親の仇、いで尋常にィ、勝負勝負」
と、立ち回りになる。

ころ合いを見計らって、
もう一人が六部の姿で現れ、
「双方、ともに待った、待った」
と中に割って入り、
「それがしにお預けください」
「いざ、いざ」
と三人が刀を引いたら、
「後日、遺恨を含まぬため、
仲直りの御酒一献差しあげたい」
「よろしきようにお任せ申す」
と、これから酒肴を用意して
思い思いの芸尽くしを見せれば、
これが趣向とわかり、やんやの大喝采、
というもくろみ。

危なっかしいながらも、なんとか稽古をし、
さて翌朝、
止め男の六部役の半公、
笈(おい)を背負って杖を突いた六部のなりで、
御徒町(おかちまち)まで来かかると、
悪いことにうるさ方のおじさんにバッタリ。

甥の六部姿を見ると、
てっきり家出だと思い込み
「べらぼうめ。一人のお袋を残してどうするんだ。
こっちィ来い」

強引に、家まで引きずっていく。

このおじさん、
耳が遠いので弁解しても、いっこうに通じない。

しかたがないので酔いつぶそうとするが、
あべこべに半公の方が酔っぱらって高いびき。

こちらは巡礼の二人組み。

一人が稽古のために杖を振り回したのが悪く、
通りかかった侍の顔にポカリ。

「おのれ武士の面体に。
無礼な巡礼。
新刀の試しに斬ってつかわす。そこへ直れ。遠慮いたすな」

平謝りしても、許してくれない。

そこへもう一人の侍。

まあまあとなだめて
「ただの巡礼とは思えぬ。
さぞ大望のあるご仁とお見受けいたす」

こうなればヤケで、二人は
「何を隠そう我々は、
七年前に父を討って国許を出奔した山坂転太を……」
と、デタラメを並べる。

侍二人は感心し、
仇に出会ったら、必ず助太刀いたす、と迷惑な約束。

一方、仇役、
いっこうに六部も巡礼も現れないのでイライラ。

ようやく二人が見えたので
「おーい、こっち」

仇の方から呼んでいる。

予定通り
「いざ尋常に勝負勝負」
「かたはら痛い。両人とも返り討ちだ」
と、立ち回りを始めるが、
止め男の半さんが来ない。

三人とも斬り合いながら気が気でないが、
今さらやめられない。

あたりは黒山の人だかり。

いいかげん間延びしてきたころ、
悪いことに、騒ぎを聞いて現れたのがあの侍二人。

スパっと大刀を抜き、
「孝子両人、義によって助太刀いたすッ」
ときたから、たまらない。

仇も巡礼も、尻に帆かけて逃げだした。

「これ両名の者、逃げるにはおよばん。勝負は五分だ」
「いえ、肝心の六部が参りません」

【うんちく 高田裕史】

作者は江戸のマルチタレント

滝亭鯉丈(りゅうてい・りじょう、1777?~1841)が
文政3年(1820)に出版した滑稽本、
「花暦八笑人」初編を(たぶん作者当人が)落語化したものです。

鯉丈は小間物屋のおやじでしたが、
寄席に入り浸っているうちに本職になってしまい、
落語家と音曲師を兼ねて人気を博した上、
「八笑人」で一躍ベストセラー作家にもなりました。

なお、鯉丈の著作で落語になったものとしては、
「大山道中膝栗毛」からとった「猫の茶碗(猫の皿)」があります。

「花暦八笑人」

この原作本は、現在も岩波文庫で読むことができますが、
茶番(=素人芝居、→「かわず茶番」)をネタにし、
八人の呑気者が春夏秋冬それぞれに、
茶番の趣向で野外に繰り出し、滑稽な失敗を
繰り返すという、ギャグ満載のドタバタ喜劇です。

この「花見の仇討ち」は初編、春の部にあたり、
オチがないだけで、三人が逃げる場面まで
筋やギャグもほとんど同じです。
のちに三代目三遊亭円馬が上方の型を参考に、
現行により近い形にしましたが、大きな改変はしていません。

ちなみに第二編(夏)は、狂人に扮した野呂松という男が
馬に履かせるわらじを武士にぶつけて追いかけられるドタバタ、
第三編(秋)は、身投げ女に化けた卒八が
両国橋から身を投げると、納涼の屋形船から
これを見ていた若い衆が、われもわれもと
魚の面をかぶって飛び込むというハチャメチャ。

第四編(冬)はさるお屋敷で忠臣蔵の
芝居(茶番)を興行したものの、
例によって猪の尻尾に火がついて
大騒ぎという次第です。

第二編以後は落語化されていませんが、
どなたかアレンジしませんかね。

優曇華(うどんげ)って?

仇討ちの口上の決まり文句ですが、
優曇華はインドの伝説にある、三千年に一度咲く花。

正確な口上では、
「盲亀の浮木優曇華の花待ち得たる
今日の対面」といいます。

目の見えない亀が浮木を探しあてるのも、
優曇華の花を見られるのも、いずれも
めぐり逢うことが奇蹟に近いことの例えです。

もちろん、これはあくまで芝居の話で、
実際の仇討ちの場で、悠長にそんなことを
言える道理がありません。

もっとも、仇討ちの実態はそんなもので、
仇にめぐり逢えるケースはほとんどなく、
空しく路傍に朽ち果てた者は数知れずでした。

六部

「一眼国」(アップ済、同項うんちく参照)にも登場しましたが、
正確には、六部(六十六部)と巡礼は区別されます。

早く言えば、六部は修行僧、巡礼は本来、
西国三十三箇所の霊場を巡る俗人のみを指します。

六部は、古くは天蓋(てんがい)、笈(おい)、
錫杖(しゃくじょう)に白衣姿で、
法華経六十六部を一部ずつ、
日本六十六か国の国分寺に奉納して歩く僧ですが、
江戸時代には納経の習慣はなくなりました。

巡礼は、現代の「お遍路さん」にも受け継がれていますが、
男女とも、普段着の上から袖なしの笈鶴を羽織り、
「同行二人」と書いた笠をかぶります。
これは、「常に弘法大師と同行」の意味。
映画「砂の器」にも登場しました。

上方の「桜の宮」

騒動を起こすのが茶番仲間ではなく、
浄瑠璃の稽古仲間という点が東京と異なりますが、
後の筋は変わりません。
五代目笑福亭松鶴が得意とし、そのやり方が
子息の六代目松鶴や現・桂米朝に伝わりました。

東京では、明治期に「花見の趣向」「八笑人」の題で演じた
四代目橘家円喬が、「桜の宮」を一部加味して十八番とし、
これに三代目三遊亭円馬が立ち回りの型、つまり
「見る」要素を付け加えて完成させました。

円馬直伝の三代目金馬を始め、六代目円生、
八代目林家正蔵、五代目柳家小さんなど、
戦後、多くの大看板が手がけています。

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