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2005.05.15

長屋の花見(ながやのはなみ)  落語

お茶けに練馬のかまぼこ。ビンボー長屋の愉快で哀しい花見風景です。

貧乏長屋の一同が、朝そろって大家に呼ばれた。
みんなてっきり店賃の催促だろうと思って戦々恐々。

なにしろ、
入居してから十八年も店賃を一度も入れていない者もいれば、
もっと上手はおやじの代から払っていない。

すごいのは「店賃てな、何だ?」

おそるおそる行ってみると大家、
ウチの長屋も貧乏長屋なんぞといわれているが、
景気をつけて貧乏神を追っぱらうため、
ちょうど春の盛りだし、
みんなで上野の山に花見としゃれ込もう
と、言う。

酒も一升瓶三本用意したと聞いて、一同大喜び。

ところが、
これが実は番茶を煮だして薄めたもの。

色だけはそっくりで、
お茶けでお茶か盛り。

玉子焼きと蒲鉾の重箱も、
「本物を買うぐらいなら、無理しても酒に回す」
と大家が言う通り、
中身は沢庵と大根のコウコ。

毛氈(もうせん)も、むしろの代用品。

まあ、向こうへ行けばがま口ぐれえ落ちてるかもしれねえ
と、情なくもさもしい料簡で出発した。

初めから意気があがらないことはなはだしく、
出掛けに骨あげの話をして大家に怒られるなどしながら、
ようやく着いた上野の山。

桜は今満開で、大変な人だかり。

毛氈のむしろを思い思いに敷いて、
一つみんな陽気に都々逸(どどいつ)でもうなれ
と、大家が言っても、お茶けでは盛り上がらない。

誰ものみたがらず、一口で捨ててしまう。

「熱燗をつけねえ」
「なに、焙じた方が」
「何を言ってやがる」

「蒲鉾」を食う段になると
「大家さん、あっしゃあこれが好きでね、
毎朝味噌汁の実につかいます。
胃の悪いときには蒲鉾おろしにしまして」
「何だ?」
「練馬の方でも、蒲鉾畑が少なくなりまして。
うん、こりゃ漬けすぎですっぺえ」

玉子焼きは
「尻尾じゃねえとこをくんねえ」

大家が熊さんに、
おまえは俳句に凝ってるそうだから、一句どうだ
と言うと
「花散りて死にとうもなき命かな」
「散る花をナムアミダブツと夕べかな」
「長屋中歯をくいしばる花見かな」

陰気でしかたがない。

月番が大家に、
おまえはずいぶん面倒見てるんだから、
景気よく酔っぱらえと命令され、
ヤケクソで
「酔ったぞッ。オレは酒のんで酔ってるんだぞ。
貧乏人だって馬鹿にすんな。
借りたもんなんざ利息をつけて返してやら。
くやしいから店賃だけは払わねえ」
「悪い酒だな。どうだ。灘の生一本だ」
「宇治かと思った」
「口あたりはどうだ?」
「渋口だ」

酔った気分はどうだと聞くと
「去年、井戸へ落っこちたときとそっくりだ」

一人が湯のみをじっと見て
「大家さん、近々長屋にいいことがあります」
「そんなことがわかるかい?」
「酒柱が立ちました」

【うんちく】

明治の奇人・馬楽十八番

上方落語「貧乏花見」を、明治37年ごろ、
奇人でならした薄幸の天才・三代目蝶花楼馬楽が東京に移し、
明治38年3月の、日本橋常磐木倶楽部での
第四回(第一次)落語研究会に、まだ二つ目ながら
「隅田の花見」と題したこの噺を演じました。

これが事実上の東京初演で、大好評を博し、
以後、この馬楽の型で多くの演者が
手掛けるようになりました。

上方のものは、筋はほぼ同じですが、
大家のお声がかりでなく、長屋の有志が
自主的に花見に出かけるところが、
封建的主従関係が町人の社会にも色濃く残った
江戸(東京)と違うところです。

馬楽から小さんへ

馬楽から弟弟子の四代目柳家小さんが継承し、
小さんは、馬楽が出していた女房連をカット、
くすぐりも入れて、より笑いの多い楽しめるものに仕上げました。

そのやり方は五代目小さんに伝えられ、さらに
その門下の現・小三治の極めつけへとつながっています。

サゲは、馬楽のものは「酒柱」と「井戸へ落っこった気分」が逆で、
後者で落としています。

このほか、上方のサゲを踏襲して、
長屋の一同がほかの花見客のドンチャン騒ぎを
なれあい喧嘩で妨害し、向こうの取り巻きの幇間が
酒樽片手になぐり込んできたのを逆に脅し、幇間がビビって
「ちょっと踊らしてもらおうと」
「うそォつけ。その酒樽はなんだ?」
「酒のお代わりを持ってきました」
とする場合もあります。

おなじみのギャグ

どの演者でも、「長屋中歯を食いしばる」の珍句は入れますが、
これは馬楽が考案し、百年も変わっていないギャグです。

いかに日本人がプロトタイプに偏執するか、
これをもっても分かるというものです。

冒頭の「家賃てえのは何だ」というのも
この噺ではお決まりですが、
こちらは上方で使われていたギャグを、
そのまま四代目小さんが取り入れたものです。

長屋

表長屋は表通りに面し、
二階建てや間口の大きなものが多かったのに対し、
裏長屋(裏店=うらだな)は新道や横丁、路地に面し、
棟割(むねわり、一棟を間口九尺、奥行二間の
何棟かに仕切ったもの)になっています。

同じ裏長屋でも、路地に面した外側は
鳶頭や手習いの師匠など、
ある程度の地位と収入のある者が、
木戸内の奥は貧民が住むのが一般的でした。

上野の桜

「花の雲鐘は上野か浅草か」
という、芭蕉の有名な句でも知られた上野山は、
寛永年間(1624~44)から開けた、
江戸でもっとも古く、由緒ある花の名所でした。

しかし、寛永寺には将軍家の霊廟があり、
承応3年(1654)以来、皇族の門主の輪王寺宮が
住職を務める、江戸でもっとも「神聖」な地と なったため、
下々の乱痴気騒ぎなどもってのほか。

「山同心」が常時パトロールして目を光らせ、
暮れ六つ(午後六時ごろ)には山門は閉じられる上、
花の枝を一本折ってもたちまち御用となるとあって、
窮屈極まりないところでした。

そのため、上野の桜はもっぱら文人墨客の愛するものとなり、
市民の春の行楽地としては、次第に
後から開発された、品川・御殿山や飛鳥山、向島に
取って代わられました。

したがって、たとえ「代用品」ででも
花見でのめや歌えをやらかそうと思えば、
この噺にかぎっては、厳密には時代を明治以後にするか
場所を向島にでも変えなければならないわけです。

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