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2005.05.15

崇徳院(すとくいん)  落語

恋煩いで寝込む。昔はそんなに多かったんですかねえ。 この1枚:崇徳院

若だんながこのところ患いつき、
飯も喉に通らないありさまで衰弱するばかり。

医者が
「これはなにか心に思い詰めていることが原因で、
それをかなえてやれば病気は治る」
と言うので、しつこく問いただしても
いっこうに口を割らない。

ようやく、
出入りの熊さんになら話してもいい
と若だんなが言うので、
だんなは大急ぎで呼びにやる。

熊さんが部屋に入ってみると、
若だんなは息も絶え絶え、
葬儀屋に電話した方が早道というようす。

話を聞いても笑わないことを条件に
熊さんがやっと聞き出した病気のもとというのが恋煩い。

二十日ばかり前に
上野の清水さまに参詣に行った時、
清水堂の茶店に若だんなが腰を掛けて景色を眺めていると、
目の前にお供の女中を三人つれたお嬢さんが腰を掛けた。

それがまた、
水の垂たたるようないい女で、
若だんなが思わず見とれていると、
娘もじっとこちらを見る。

しばらくすると茶袱紗(ふくさ)を
落としたのも気がつかず立ち上がるので、
追いかけて手渡したちょうどその時、
桜の枝から短冊が、糸が切れてはらりと落ちてきた。

見ると
「瀬を早み岩にせかるる滝川の」
と、書いてある。

これは下の句が
「われても末に逢はむとぞ思ふ」
という崇徳院の歌。

娘はそれを読むと、
何を思ったか、若だんなの傍に
短冊を置き軽く会釈して行ってしまった。

この歌は、別れても末には添い遂げようという心なので、
それ以来何を見てもあのお嬢さんの顔に見える、というわけ。

熊さん、
何だ、そんなことなら心配ねえ、
わっちが大だんなに掛け合いましょう
と安請け合いして、短冊を借りると早速報告。

だんな、いつまでも子供だ子供だと思っていたが
と、ため息をつき、
その娘を何としても捜し出してくれ
と頼む。

もし捜し出せなければ、
せがれは五日以内に間違いなく死ぬから、
おまえはせがれの仇、
必ず名乗って出てやる
と、脅かされたから、大変。

帰って、かみさんに相談すると
「もし見つければあのだんなのこと、
おまえさんを大家にしてくれるかもしれない」
と、尻をたたかれ
「とにかく手掛かりはこの歌しかないから、
湯屋だろうが床屋だろうが往来だろうが、
人の大勢いる所を狙って歌をがなってお歩き。
今日中に見つけないと家に入れないよ」
と、追い出される。

さあそれから湯屋に十八軒、床屋に三十六軒。

セヲハヤミセヲハヤミー
と、がなって歩いて、夕方にはフラフラ。

ことによると、
若だんなよりこちとらの方が先ィ行っちまいかねねえ
と嘆いていると、
三十六軒目の床屋で、
突然飛び込んできた男が、
出入り先のお嬢さんが恋煩いで寝込んでいて、
日本中探しても相手の男を探してこい
というだんなの命令で、これから四国へ飛ぶところだ
と話すのが耳に入る。

さあ、もう逃がさねえ
と熊五郎、男の胸ぐらに武者振りついた。

「なんだ? じゃてめえん所の若だんなか?
 てめえを家のお店に」
「てめえこそ家のお店に」
ともみ合っているうち、床屋の鏡を壊した。
「おい、話をすりゃあわかるんだ。
家の鏡を割っちまってどうするんだ」
「親方、心配するねえ。割れても末に買わんとぞ思う」

【うんちく】

類話「花見扇」

初代桂文治(1773~1815)作の上方落語を
東京に移植したものです。
文治の作としてはほかに「洒落小町」「たらちね」があります。

ただし、江戸にもほとんど筋が同じの
「花見扇」(皿屋)という噺があり、
どちらも種本は同じと思われますが、はっきりしません。

オチの部分が異なっていて、
「花見扇」では、旦那に頼まれた本屋の金兵衛が、
床屋で鳶頭の胸ぐらを夢中でつかんだため、
「苦しい。放せ」
「いや、放さねえ。合わせ(結婚させ)る」
とサゲました。

先方が皿屋の娘という設定のこの噺は、
今はすたれましたが、
人情噺「三年目」の発端だったともいわれます。

「瀬を早み……」

百人一首第七十七歌です。

崇徳院(1119~64)は、鳥羽天皇第一皇子で、
即位して崇徳天皇。
父・鳥羽上皇の横車から異母弟・近衛天皇に譲位させられ、
その没後も、今度は同母弟が後白河天皇として即位したので、
腹心・藤原頼長とはかって
保元の乱(1156)を起こしましたが、
事破れて讃岐に流され、憤死しました。

歌は、
「川の流れが急なので、
水が滝になって岩に当たり、二つに割れる。
しかし、貴女との仲は割れることなく、添い遂げよう」
という意味です。

鳶頭

「トビガシラ」と読みがちですが、「カシラ」です。
町火消の組頭で、頭取の下。各町内に一人はいました。

町の雑用に任じ、ドブさらいからもめごとの仲裁まで
一切合財引き受けていました。

特に、地主や出入りの商家の主人には、
手当てや盆暮れの祝儀をもらっている手前、
何か事があると、すぐ駆けつけてしゃしゃり出ます。

落語にはいやというほど登場しますが、
あまり立派なのはいません。

三木助十八番

戦後は、三代目桂三木助の十八番で、
清水寺で短冊が舞い落ちてくるくだりは、
三木助の工夫です。

大阪では、高津(こうず)神社絵馬堂前の設定で、
現・桂米朝は、茶屋の料紙に
娘が書き付けるやり方です。

上野の清水様

寛永寺境内に現存する、清水観音堂のことです。

寛永8年(1631)、寛永寺寺域内の摺鉢山に建立されたもので、
同11年、寿昌院焼失後、現在地である
その跡地に移りました。

京の清水寺を模した舞台造りで有名で、桜の名所。
本尊の千手観音像は、恵心僧都の作です。

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