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2005.05.04

百年目(ひゃくねんめ)  落語

堅い番頭の裏の顔。人間、こうでなくちゃ、ぜんぜん面白くないっす。

ある大店の一番番頭・冶兵衛。

四十三だが、まだ独り身で店に居付き。

この年まで遊び一つしたことがない
堅物で通っている。

二番番頭が茶屋遊びで午前さまになったのをとがめて、
芸者という紗は何月に着るのか、
タイコモチという餠は煮て食うか焼いて食うか教えてほしい
と皮肉を言うほど、
ある朝、小僧や手代にうるさく説教した後、
番町のお屋敷をまわってくると外出した。

ところが、
外で待っていたのは幇間(ほうかん=たいこもち)の一八(いっぱち)。

今日は、
こっそり入り浸っている柳橋の芸者、
幇間連中を引き連れて向島へ花見に繰り出そうという趣向。

菓子屋の二階で、
とっておきの、大津絵を染めだした長襦袢(ながじゅばん)、
結城縮みの着物と羽織に着替え、屋形船を出す。

小心な冶兵衛、
すれ違うから舟から顔をのぞかれるとまずいので、
ぴったり障子を締め切らせたほどだが、
向島に着くと、酒が入って大胆になり、
扇子を首に縛りつけて顔を隠し、
長襦袢一枚で、桜が満開の向島土手で陽気に騒ぐ。

一方、こちらはだんな。
おたいこ医者・玄伯をお供に、これまた花見にやってきている。

玄伯老が冶兵衛を認めて、
あれはお宅の番頭さんでは
と言っても、
だんな、
悪堅い番頭にあんな派手なまねはできない
と、取り合わない。

そのうち、
二人は土手の上で鉢合わせ。

避けようとするだんなに、
冶兵衛は芸者と勘違いしてむしゃぶりつき、
はずみでばったり顔が合った。

いちばんこわい相手に現場を見られ、冶兵衛は動転。

「お、お久しぶりでございます。
ごぶさたを申し上げております。
いつもお変わりなく……」

酔いもいっぺんで醒めた冶兵衛、
逃げるように店に戻ると、
風邪をひいたと寝込んでしまう。

あんな醜態をだんなに見られたからはクビは確実だ
と頭を抱えた冶兵衛、
いっそ夜逃げしようかと、一晩悶々として、
翌朝、帳場に座っても生きた心地がない。

そこへ、だんなのお呼び。

そらおいでなすった
と、びくびくして母屋の敷居をまたぐと、
意外にも、だんな、
昨日のことはおくびにも出さず、
天竺(てんじく)の栴檀(せんだん)の大木と
南縁草という雑草の話を始める。

栴檀は南縁草を肥やしにして生き、
南縁草は栴檀の下ろす露で繁殖する。

持ちつ持たれつで、
家ではあたし、店ではおまえさんが栴檀で、若い者が南縁草。

南縁草が枯れれば栴檀のおまえも枯れ、
あたしも同じだから、厳しいのはいいが、
もう少しゆとりを持ってやりなさい
と、やんわり諭す。

ところで、
昨日は面白そうだったな
と、いよいよきたから、
冶兵衛、
取引先のお供でしどろもどろで言いわけ。

だんなは少しも怒らず、
金を使うときは、商いの切っ先が鈍るから、
決して先方に使い負けてくれるな
と、きっぱり言う。

実は、帳簿に穴が空いているのではと気になり、
密かに調べたが、
これぽっちも間違いはなかった
と、冶兵衛を褒め
「自分でもうけて、自分が使う。
おまえさんは器量人だ。
約束通り来年はおまえさんに店を持ってもらう」
と言ってくれたので、
冶兵衛は感激して泣きだす。

「それにしても、昨日
『お久しぶりでございます』と言ったが、
一つ家にいながらごぶさたてえのも……
なぜあんなことを言ったんだい?」
「へえ、堅いと思われていましたのを
あんなざまでお目にかかり、
もう、これが百年目と思いました」

【うんちく】

番頭さんはお店の柱・1

番頭はんというと、若き藤山寛美の阿呆丁稚に悩まされる、
曾我廼家五郎八の絶妙の「受けの芝居」を、
懐かしく思い出される熟年の方も多いでしょう。

小僧(大阪では丁稚)から手代を経て、
番頭に昇格するわけですが、
普通、中規模の商家で二人、大店になると
三人以上いることもありました。

居付き(店に寝泊り)の番頭と通い番頭があり、
後者は所帯を持った若い番頭が、裏長屋に住み、
そこから店に通ったものです。

普通、番頭になって十年無事に勤めあげると、
別家独立させるしきたりが、東京でも大阪でもありましたが、
この噺の治兵衛は、四十を越してもまだ独身で、
しかも、主人に重宝がられて別家が延び延びになり、
店に居ついている珍しいケースです。

番頭さんはお店の柱・2

大店(おおだな)の一番番頭を、明治以後は「支配人」と呼び、
明治41年の、三代目柳家小さんの速記でもそうなっています。

のちにこの異称が、大会社の大物重役にも
適用されるようになりました。

支配人つまり大番頭ともなると、
店の金の出納権限を握っているので、株式などの理財で
個人的にもうけることも可能だったわけです。

江戸時代だと、こっそり店の金を「ドガチャカ」、
つまり業務上横領して、米相場に投資するなどでしょう。
そういうリスクはあっても、主人といえども、
店の金の運用には、番頭の意向を無視できませんでした。

そうやって自分ももうけ、店にも利益をもたらす番頭を、
「白ねずみ」と呼びました。
これは、金銀の精、または福の神を意味します。
「帯久」にも出てきますが、特に功労のあった「白ねずみ」に、
店の屋号を与え、親類扱いで分家させることも
よくありました。

上方落語の大ネタ

大阪では、幹部クラスの名人連しか演じられない大ネタを、
「切ネタ」と呼びますが、この噺はその切ネタの代表格でしょう。

上方落語のイメージが強いため、東京には
かなり最近紹介されたように思われがちなのですが、
実は、江戸でも同題名で、文化年間(1804~18)から口演されてきました。

近代では六代目三遊亭円生、五代目古今亭志ん生が得意にしましたが、
今回のあらすじは円生のものを参考にしました。

東西で、やり方に大きな違いはありませんが、
たとえば大阪では、舞台が桜の宮で、
番頭が、初めは二、三人の小人数で行こうと考えていたのに、
ほかの芸妓に知れ渡って、やむなく派手な散財になった、というように、
細部の設定が多少異なります。

志ん生は、主人の南縁草のセリフを省くなど、
ごくあっさりと演じていました。

上方ではもちろん、現桂米朝が絶品で、
故・桂文枝も得意。
東京では、古今亭志ん朝が円生譲りで
たまに高座にかけました。

百年目って?

古来まれな、百年の長寿を保ったとしても、
結局最後には死を免れないところから、
究極の、もうどうにも逃れようもない命の瀬戸際をいいます。

敵討ちの口上などの紋切型で、
「ここで逢ったが百年目」というのは、
昔からよく使われ、今も耳にする文句です。
この意味を、「百年に一度の奇跡」と解しがちですが、
実は、「(お前にとっての)百年目で、もう逃れられない」
という意味です。

番頭の絶望観を表す言葉として、このオチは
見事に効いています。

おすすめCD百年目

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コメント

サゲの意味がわからなくて、いつももっと勉強しなきゃと思っているのですが、
この百年目もどうしてこれがサゲになったのかがわからず。。。ここにたどり着きました。

ほかの本を読んでもわからなかったのですが、
とてもよくわかりました。

ありがとうございました。

投稿: まい | 2011.04.21 01:45

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