« 権助魚(ごんすけざかな)  落語 | トップページ | 花筏(はないかだ)  落語 »

2005.05.16

寝床(ねどこ) 落語

だんなの義太夫を聴く長屋の連中の七転八倒ぶり。文楽のおはこです。

ある商家のだんな、
下手な義太夫に凝っている。

それも人に聴かせたがるので、皆迷惑。

今日も、
家作の長屋の連中を集めて
自慢のノドを聞かせようと大張りきり。

番頭の茂造に
長屋を回って呼び集めさせ、
自分は小僧の定吉に、
晒に卵を買ってこい、お茶菓子はどうした、
料理は、見台は、
と、うるさいこと。

ところが茂造が帰ると
雲行きが怪しくなる。

義太夫好きを自認する提灯屋は、
お得意の開業式で三百五十ほど請け負ったので来られず、
小間物屋はかみさんが
臨月で急に虫がかぶり(産気づき)、
鳶頭はごたごたの仲裁と、
口実を設けて誰も来ないとわかると、
だんなはカンカン。

店の一番番頭の卯兵衛まで、
二日酔いで二階で寝ているというし、
他の店の者もやれ脚気だ、
胃痙攣だと、仮病を使って出てこない。

「それじゃ、おまえはどうなんだ?」
「へえ、あたしはその、
一人で長屋を回ってまいりまして……」

しどろもどろで言い訳しようとすると
だんながにらむので
「ええ、あたしは因果と丈夫で。
よろしゅうございます。
覚悟いたしました。伺いましょう。
あたしが伺いさえすりゃ」
と、涙声。

だんなは怒り心頭で
「ああよござんす、
どうせあたしの義太夫はまずいから、
そうやってどいつもこいつも
仮病を使って来ないんだろ。
やめます。
だがね、義太夫の人情がわからないようなやつらに
店ァ貸しとく訳わけはいかないから、
明日十二時限り明け渡すように、
長屋の連中に言ってこい」
と大変な剣幕。

返す刀で、
まずい義太夫はお嫌でしょう、
みんな暇をやるから国元へ帰っとくれ
と、言い渡してふて寝。

しかたなく店の者がもう一度長屋を回ると、
店だてを食うよりはと、
一同渋々やってくる。

茂造が、
みんなさわりだけでも聞きたがっていると、
うって変わってお世辞を並べたので、
意地になっていただんな、
現金なものでころりと上機嫌。

長屋の連中、
陰で、横町の隠居がだんなの義太夫で
「ギダ熱」を患ったとか、
佐々木さんとこの婆さんは七十六にもなって
気の毒だとかぶつくさ。

だんな、
慌ただしく準備をし直し、
張り切ってどら声を張り上げる。

どう見ても、人間の声とは思えない。

動物園の脇を通るとあんな声が聞こえる、
この家の先祖が義太夫語りを絞め殺したのが祟ってるんだ
と、一同閉口。

まともに義太夫が
頭にぶつかると即死だから、
頭を下げて、
とやっているうち、
酒に酔って残らずその場でグウグウ。

だんな、静かになったので、
感動して聞いているんだろう
と、御簾内から覗くとこのありさまで、
家は木賃宿じゃないと怒っていると、
隅で定吉が一人泣いている。

だんなが喜んで、
子供でさえ義太夫の情がわかるのに、
恥ずかしくないか
と説教し、定吉に
「どこが悲しかった? 
やっぱり、子供が出てくるところだな。
『馬方三吉子別れ』か? 
『宗五郎の子別れ』か? 
そうじゃない? 
あ、『先代萩』だな」
「そんなとこじゃない、あすこでござんす」
「あれは、あたしが義太夫を語った床じゃないか」
「あたくしは、あすこが寝床でございます」

【うんちく】

日常語だった「寝床」

上方落語「素人浄瑠璃」を、
「狂馬楽」と呼ばれた奇人・三代目蝶花楼馬楽が
明治中期に東京に移したとされますが、
明治22年の二代目柳家(禽語楼)小さんの速記が残るので、
それ以前から東京でも演じられていたのでしょう。

古くから東西で親しまれた噺で、
少なくとも戦前までは、「下手の横好き」のことを「寝床」といって
普通に通用したほどです。

昭和5年、雑誌「キング」に連載され、
古川ロッパ主演で舞台や映画でも人気を集めた
佐々木邦原作の「ガラマサどん」では、
ビール会社のワンマン社長が、社員相手に
「寝床」をそっくり再現して、笑いを誘いましたが、
これもむろん落語が下敷きになっています。

原話と演者など

江戸初期の寛永年間(1624~44)刊行の笑話本
「醒睡笑」(→「子ほめ」「てれすこ」「幇間腹」「寄合酒」)や
「きのふはけふの物語」にすでに類話がありますが、
最も現行に近い原話は安永4年(1775)刊
「和漢咄会」中の「日待」で、オチも同じです。

三代目三遊亭円馬が上方のやり方を踏襲して演じ、
それを弟子筋の八代目桂文楽が
直伝で継承、十八番としました。

主人公がいかに下手くそとはいえ、
演じる側に義太夫の素養がないとこなしきれないため、
大看板でも口演できるものは限られます。

近代では、文楽のほか六代目三遊亭円生が
子供義太夫語りの前身を生かして
「豊竹屋」とともに自慢ののどを聞かせ、
三代目金馬、八代目三笑亭可楽も演じました。

異色の志ん生版「寝床」

五代目古今亭志ん生は、「正統派」の文楽・円生に対抗して、
ナンセンスに徹した異色の「寝床」を演じました。

前半を短くまとめ、後半、だんなが逃げる番頭を追いかけながら
義太夫を語り、「獲物」が蔵に逃げ込むと、
その周りを悪霊のようにグルグル回ったあげく、
とうとう蔵の窓から語り込み、中で義太夫が渦を巻いて、
番頭が悶絶というすさまじいもの。
オチは、「今ではドイツにいるらしい」という奇想天外。

実はこれ、師匠だった大正の爆笑王・初代柳家三語楼のやり方を
そのまま踏襲したものです。
三語楼は、英語まじりのギャグを連発するなど、
生涯エログロナンセンス、異端児で通した人でした。

むろん、このやり方では「寝床」の題のいわれもわからず、
正道とはいえませんが、
無頼の青春を送り、不遇な時期が長かった志ん生は、
師匠の反逆精神にどこか共鳴し、
それを引き継いでいたのでしょう。

円生などと違い、義太夫の素養がなかったので
こういう行き方を選んだのかもしれません。
現在、このやり方で演じるのは、橘家円蔵ら少数です。

義太夫って?

大坂の竹本義太夫(1651~1714)が貞享2年(1685)ごろ、
播磨(はりま)流浄瑠璃から創始、
二世義太夫(1691~1744)が大成し、
人形芝居(文楽)とともに、上方文化の礎として興隆しました。

噺に登場する「千代萩」など三編はいずれも
今日も文楽の重要なレパートリーになっている代表作です。
義太夫が庶民間に根付き、必須の教養だった
明治期までは、このほか「釜入りの五郎市」
「志度寺の坊太郎」などの子役を並べました。

だんなの強権

この噺の長屋は通りに面した表長屋で、おそらく二階建て。
義太夫だんなは、居附(いつ)き地主といって、
地主と大家を兼ねています。

表長屋は、店子は鳶頭など、比較的富裕で、
今で言う中産階級の人々が多いのですが、
単なる賃貸関係でなく、店に出入りして
仕事をもらっている者が大半なので、 
とても「泣く子とだんな」には逆らえません。

加えて、江戸時代には、引越しして新しい長屋を借りるにも、
元の家主の身元保証が必要な仕組みで、
二重三重に、義太夫の騒音に命がけで耐えなければならない
しがらみがあったわけです。

おすすめCD寝床

|

« 権助魚(ごんすけざかな)  落語 | トップページ | 花筏(はないかだ)  落語 »

落語のあらすじ 」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/60017/4158132

この記事へのトラックバック一覧です: 寝床(ねどこ) 落語:

« 権助魚(ごんすけざかな)  落語 | トップページ | 花筏(はないかだ)  落語 »