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2005.06.26

帯久(おびきゅう)  落語

おなじみ、大岡裁きの一編です。

享保五(1720)年春のこと。

日本橋本町四丁目に和泉屋与兵衛という呉服店があった。

主人は温厚な人柄で、町内の評判もよく、
店はたいそうな繁盛ぶり。

本町二丁目にも帯屋という、これも呉服屋があるが、
対照的にこちらは、主人・久七の性格が一癖あるのに加え、
店も陰気な雰囲気で、「売れず屋」という異名がついてしまうぐらい、
さっぱりはやらない。

とうとう三月の晦日の決済もできず、
久七が和泉屋に二十両の金を借りにきた。

人のいい与兵衛は、
「商人は相身互い」
と、証文、利息もなしで快く用立てた上、
ごちそうまでして帰す。

二十日ほどして返しにきたが、
これに味をしめたか、
たて続けにだんだん高額の金を無心して来るようになった。

その都度二十日ほどできちんと返済に来たので、
十一月に百両という大金を借りに来た時も、
与兵衛はあっさりと貸してしまう。

今度は一月たっても梨のつぶて。

さすがに気になりだしたころ、
大晦日になってやっと返しに来た。

ところが、
座敷に通して久七が金を出し、
入帳したところで、番町の旗本から与兵衛に緊急の呼び出し。

大晦日でてんてこ舞いの折から、
与兵衛があわただしく出かけると、
不用意にも金はそのまま、久七一人座敷に残された。

久七、悪心が兆し、
これ幸いと金を懐に入れ、何食わぬ顔でさようなら。

帰宅した与兵衛は金がないのに気づき、
さてはと思い至ったが、確かな証拠もないので、
自分の不注意なのだとあきらめてしまう。

帯屋の方では、百両浮いたのが運の付き始め。

新年早々景品をつけて大サービスしたので、
たちまち大繁盛。

一方、和泉屋はこれがケチの付き始めで、
三月に一人娘が、次いでお内儀さんが五月にぽっくり。

追い打ちをかけるようにその年の暮れ、
享保六年十二月十日の神田三河町の大火で、
蔵二戸前もろとも店は全焼。

あえなく倒産した。

与兵衛は、
以前に分家してあった武兵衛という忠義な番頭に引き取られるが、
どっと病の床につく。

武兵衛もまた、
他人の請け判(連帯保証人)をしたことから店をつぶし、
今はうらぶれて、下谷長者町に裏長屋住まいの身だが、
懸命に旧主の介抱をするうち、
十年の歳月が流れた。

ようやく全快した与兵衛、
自分はもう何の望みもないが、
長年貧しい中、自分を養ってくれた武兵衛に、
もう一度店を再興させてやりたいと、
武兵衛が止めるのも聞かず、帯屋に金を借りに行く。

相手も昔の義理に感じて善意で報いてくれるだろう
という期待だが、
当の帯屋は冷酷無残でけんもほろろ。

銭もらいとののしり、
びた一文も貸す金はないと言い放つ。

思わず、かっとして百両の件を持ちだし、
人間ではないとののしると、
因縁をつけるのかと、久七は煙管で与兵衛の額を打ち、
表にたたき出す。

与兵衛は悔しさのあまり、
帯屋の裏庭の松の木で首をくくってやろうとふと見ると、
不用心にもかんなくずが散らばっているので、
いっそ放火して思いを晴らそうと火を付けたが、
未遂のうちに取り押さえられる。

事情を聞いた町役人は同情し、
もみ消してくれるが、
久七は近所の噂から、
百両の一件が暴かれるのを恐れ、
先手を打って奉行所に訴え出る。

これで与兵衛は火付けの大罪でお召し捕り。

名奉行・大岡越前守さまのお裁きとなる。

下調べの結果、
帯屋の業悪ぶりがわかり、
百両も久七が懐に入れたと目星をつけたので、
越前守はお白州で、
「その方、大晦日で間違いが起こらぬものでもないと、
親切づくで春永にでも改めて持参いたそうと持ち帰ったのを
忘れておったのではないか」
とカマをかけるが、
久七は絶対に返しましたと白を切る。

そこで、久七に右手を出させ、
人指し指と中指を紙で巻いて張り付け、判を押す。

「これは物を思い出す呪いである。
破却する時はその方は死罪、家は闕所(取りつぶし)、そのむね心得よ」

久七は、紙が破れれば首が飛ぶというので、飯も食えない。

三日もすると音を上げて青ざめ、
出頭して、まだ返していないと白状する。

奉行はその場で元金百両出させた上、
十年分の利息百五十両を払うように久七に命じた。

持ち合わせがないとべそをかくと、
百両を奉行所で立て替えた上、
残金五十両を年賦一両ずつ払うよう申し渡す。

「……さて、和泉屋与兵衛。火付けの罪は逃れられぬ。
火あぶりに行うによって、さよう心得よ」

これを聞いて久七が喜んだのなんの。

「さすがは名奉行の大岡さま。
どうかこんがりと焼いていただきましょう」
「なれど、五十両の年賦金、受け取りし後に刑を行う」

これだと、和泉屋がフライになるまで五十年も待たねばならない。
あわてたのは久七。

「恐れながら申し上げます。
ただちに五十両払いますので、どうかすぐに和泉屋をお仕置きに」
「だまれッ。
かく証文をしたためたるのち、天下の裁判に再審を願うとは不届き千万。
その罪軽からず」
「うへえッ、恐れいりました」

奉行、与兵衛に
「その方まことに不憫なやつ。何歳にあいなる」
「六十一でございます」
「還暦か。いやさ、本卦(=本家)じゃのう」
「今は分家の居候でございます」

【うんちく】

大岡政談がネタ本

講談の大岡政談ものと、随筆「明和雑記」中の
名奉行・曲淵甲斐守の逸話をもとに、
上方で落語化されたものです。

「名奉行」と題して、明治末に「文藝倶楽部」に載った
大阪の二代目桂文枝(のち文左衛門)の速記をもとに
六代目三遊亭円生が東京風に改作、昭和32年10月、
上野・本牧亭での独演会で初演しました。
円生没後は、門下の現・円窓が復活して演じています。

なお、円生は全集(青蛙房刊)中で、大岡政談では
加賀屋四郎右衛門と駿河屋三郎兵衛の対決として、
ほとんど同じパターンのネタがあることを紹介しています。

米朝十八番

大阪では古くから演じられ、現・桂米朝が得意にしています。

大阪のやり方は円生のものとほとんど変わりませんが、
和泉屋の所在地が東横堀三丁目、帯屋が同二丁目で、
奉行は松平大隅守となっています。

米朝は発端の火事を、宝暦6年(1756)夏の
大坂・瓦町の大火(銭亀の火事)としています。

火あぶり

江戸中期からは放火のみに科されました。
千住小塚原または鈴ヶ森で執行され、財産は没収(闕所)、
引回しが付加され、文字通り「こんがり」焼かれた上、
男は止め焚(罪人が焼死後再び火をつけ、鼻と陰嚢を焼く)
までされました。

焼死体は三日二夜さらされました。
火付けの罪科がここまで過酷なのも、
いかに幕府が、一夜で江戸の町が灰になってしまう
大火を恐れたかの表われでしょう。

本卦(ほんけ)

本卦返りで、満60歳(数え61)で、
生まれたときの干支に返ることです。
現在の還暦です。

陰陽道で十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)と
十二支を組み合わせ、その(10と12)最小公倍数で
60年ごとに干支が一回りするため、
誕生時と同じ干支が回ってくる数え61歳を
本卦返りとし、赤い着物を贈って祝う風習は
今でもありますね。

分家

分家は本来は親戚筋の店で、奉公人ののれん分けは
「別家」と呼んで区別しますが、
この噺の武兵衛のように、忠節で店への功労があった大番頭を、
特別に親類扱いで同店名を許し、
「分家」と認めることがありました。

つっこみ???

あらすじでは略しましたが、
お白洲で、奉行が最初、利息の返済を
「月賦にするか?」
と久七にただし、年賦がいいというので、

「それでは年十両か」
「もう少しご猶予を」
「では五両か」
「もう少しご勘弁を」

と値切り、年一両に落ち着くというやり取りがあります。

しかし、これでは、奉行の腹をもし久七が察知して、
最初の条件でOKすれば、数年で与兵衛はフライですから、
危ない橋で、噺の盲点といえます。

奉行の智略、貫禄で押し切らないと、
名裁判にも難癖がつきかねません。

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