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2005.07.09

小間物屋政談(こまものやせいだん)  落語

もとは講談。志ん生もまねていました。

京橋五郎兵衛町の長屋に住む、
背負い(行商)の小間物屋・相生屋小四郎。

今度上方へ行って一もうけしてきたいというので、
その間、留守に残る女房のお時のことを家主の源兵衛に
くれぐれも頼んで旅立つ。

東海道を一路西に向かって、
ちょうど箱根の山中に差しかかった時、
小便がしたくなり、
雑木林の中に分け入ると、
不意に「もし……お願いでございます」と、
弱々しい男の声。

見回すと、
裸同然で松の根方に縛りつけられている者がある。

急いで縄を切って助けると、
男は礼を言って、
自分は芝露月(ろうげつ)町の小間物屋・若狭屋の主人で甚兵衛という者だが、
病身で箱根に湯治に行く途中、
賊に襲われて身ぐるみ剥(は)がれ、
松の木に縛られて
身動きもならなかったと語る。

若狭屋といえば、
同業ながら行商の小四郎とは大違いで、
江戸で一、二と聞こえた大店。

その主人が裸道中も気の毒だ
と同情した小四郎、
金一両と自分の藍弁慶縞の着物に
帯まで与えた。

甚兵衛は江戸へ帰り次第、
小四郎の留守宅に借りた物を返しに行くというので、
住所名前を紙に書いて渡し、
二人は互いに道中の無事を祈って別れる。

さて、甚兵衛はその晩、
小田原宿の布袋屋という旅籠(はたご)に宿をとる。

ところが夜中、
病身に山中で冷えたのが
こたえてか、
にわかに苦しみだし、
敢えなく最期をとげてしまった。

宿役人が身元調べに来て、
身の回り品を調べると、
着物から江戸京橋五郎兵衛町という
住所の書きつけが出てきたので、
てっきりこの男は小四郎という小間物屋に違いない
と、すぐに家主の源兵衛と女房お時の所に、
死骸を引き取りに来るよう知らせが届いた。

泣きじゃくるお時をなだめて、
源兵衛が小田原まで死骸の面通しに行ってみると、
小四郎が江戸を出る時着ていた藍弁慶の袷を身につけているし、
甚兵衛そのものの面差しが
小四郎に似ていたこともあり、
本人に間違いないと早合点、
そのまま骨にして江戸へ持ち帰る。

三十五日も過ぎ、
源兵衛はお時に、このまま女一人ではどんな間違いが
あるかもしれないから、
身を固めた方がいい
と、せめて一周忌までは
と渋るのをむりやり説き伏せ、
小四郎の従兄弟にあたる、
やはり同業の三五郎という男と再婚させた。

三五郎はもとより惚れていた女、
甲斐甲斐しくお時の面倒を見るので、
いつしかお時の心もほぐれ、
小四郎のことをようよう思い切るようになった。

そんなある夜。

「おい、お時、……お時」

表の戸をせわしなくたたく者がある。

不審に思ってお時が出てみると、
なんと死んだはずのもとの亭主・小四郎の姿。

てっきり幽霊と思い、
ぎゃっと叫んで大家の家に駆け込む。

事情を聞いた源兵衛が、
半信半疑でそっとのぞいてみると、
まさしく本物。

本人は上方の用事が長引いて、
やっと江戸へ帰り着いてみると
自分がすでに死人にされているので
びっくり仰天。

小田原の死体が
実は若狭屋甚兵衛で、
着物は小四郎が貸した物とわかっても、
葬式まで済んでしまっているからもう手遅れ。

お時も、
いまさら生き返られても、
もとには戻れない
と、つれない返事。

完全に宙に浮き、
半狂乱の小四郎が
お恐れながらと奉行所へ訴え、
名奉行大岡越前守さまのお裁きとあいなる。

結局、奉行のはからいで、
小四郎は若狭屋甚兵衛の後家で
お時とは比較にならないいい女のおよしと夫婦となり、
若狭屋の入り婿として
資産三万両をせしめ、
めでたくこの世に「復活」。

「このご恩はわたくし、
生涯背負いきれません」
「これこれ。
その方は今日から若狭屋甚兵衛。
もう背負うには及ばん」

【うんちく】

講談からの翻案

講談「万両婿」を人情噺に翻案したものか、
またはその逆ともいわれます。

六代目三遊亭円生は、幕末から明治初期の
五代目翁家さん馬の速記に、
この噺が人情噺として載っていると語っていますが、
現行の演出は円生が、酔いどれ名人といわれた
四代目小金井蘆洲の世話講談「万両婿」を
新たに仕立て直し、オチもつけたものです。

ほかに、講釈師時代に蘆洲の弟子だった
五代目古今亭志ん生も、聞き覚えで演じていました。

背負い小間物屋

白粉、紅、櫛、笄(こうがい)その他、婦人用品を
小箪笥の引き出しに分けて入れ、得意先を回ります。

その中には性具の「張形」もあり、
「小間物屋にょきにょきにょきと出してみせ」
という怪しげな雑俳もあります。
もちろん、出したのは商売物だけでは……
なかったでしょうが。

箱根の湯治場

江戸から片道三日ないし四日の行程で、
箱根七湯といい、それぞれ本陣がありました。

湯治は七日間を単位に、一回り、二周りといい、
最低三回りしなければ湯の効き目は出ないものとされました。

料金は、文政(1818~30)初年で三回りして
三両といいますから、湯治も下層町人には
行けて一生一度、多くは縁がないものでした。

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