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2005.08.02

紺屋高尾(こうやたかお)  落語

このプロット、映画「の・ようなもの」でもおなじみですね。 この1枚:紺屋高尾

神田紺屋町の染物職人、久蔵。

親方のところに十一の年から奉公して、
今年二十六にもなるが、
いまだに遊び一つ知らず、まじめ一途の男。

その久蔵が
この間から患って寝ついているので、
親方の吉兵衛は心配して、
出入りの、お玉が池の竹内蘭石という医者に診てもらうことにした。

この先生、
腕の方は藪だが、
遊び込んでいてなかなか粋な人物。

蘭石先生、久蔵の顔を見るなり
「おまえは恋患いをしているな。
相手は今吉原で全盛の三浦屋の高尾太夫。違うか?」

ズバリと見抜かれたので、久蔵は仰天。

これは不思議でもなんでもなく、
高尾が花魁(おいらん)道中している錦絵を
よだ涎を垂らして眺めているのだから、
誰にでもわかること。

久蔵はあっさり、
この間友達に、話の種だからと
初めて吉原の花魁道中を見に連れていかれたが、
その時、目にした高尾太夫の、
この世のものとも思えない美しさに魂を奪われ、
それ以来、何を見ても高尾に見える
と、告白。

ああいうのを一生一度でも買ってみたいが、
相手は大名道具と言われる松の位の太夫、とても無理だ
と、ため息をつくと、
先生、
なに、いくら太夫でも売り物買い物のこと、
わしに任せておけば会わせてやるが、
初会に座敷に呼ぶだけでも十両かかる、
と言う。

久蔵の三年分の給料だ。

しかし、それを聞くと、希望が出たのか、
久蔵はにわかに元気になった。

それから三年というもの、
男の一念で一心不乱に働いた結果たまった金が九両。

これに親方が足し前してくれて合わせて十両持って、
いよいよ夢にまで見た高尾に会いに行くことになったが、
いくら金を積んでも紺屋職人では相手にしてくれない。

流山のお大尽ということにして、
蘭石先生がその取り巻き。

帯や羽織もみな親方にそろえてもらい、
すっかりにわか大尽ができあがった。

さて、吉原。

下手なことを口走ると紺屋がバレるから、
久蔵、感激を必至で押さえ、先生に言われた通り何でも
「あいよ、あいよ」

茶屋に掛け合ってみると、
折よく高尾太夫の体が空いていたので、
いよいよご対面。

太夫だから個室。

その部屋の豪華さに呆気にとられていると、
高尾太夫がしずしずと登場。

傾城座りといい、少し斜めに構えて、煙管で煙草を一服つけると
「お大尽、一服のみなんし」
「へへーっ」

久蔵、思わず平伏。

太夫ともなると、
初会では客に肌身は許さないから、
今日はこれで終わり。

花魁が型通り
「主(ぬし)は、よう来なました。今度はいつ来てくんなます」
と聞くと、
久蔵、なにせこれだけで三年分の十両がすっ飛び、
今度といったらまた三年後。
その間に高尾が身請けされてしまったら、
これが今生の別れだと思うと感極まり、
思わず正直に自分の素性や経緯を洗いざらいしゃべってしまう。

ところが、それを聞いて怒るどころか、感激したのは高尾太夫。

金で源平藤橘四姓の人と枕を交わす卑しい身を、
三年も思い詰めてくれるとは、なんと情けのある人か……
わちきは来年の二月十五日に年季が明けるから、
女房にしてくんなますかと言われ、
久蔵、感激のあまりり泣きだした。

この高尾が、紺屋のかみさんとなって繁盛するという、
「紺屋高尾」の由来話。

【うんちく】

高尾太夫代々

高尾は代々吉原の名妓で、
歌舞伎十八番「助六」でおなじみの三浦屋の抱え女郎です。

七代または十一代まであったといいますが、
一般には初代が通称妙心高尾、二代仙台高尾、三代西条高尾、
四代水谷高尾、五代浅野高尾ときて、六代目がこの噺の
紺屋高尾で、駄染高尾ともいいます。

詳しい年代は不詳ですが、
宝永(1704~11)から正徳(1711~16)にかけてが全盛といわれます。

紺屋の名は、実際は九郎兵衛とも伝わります。

花魁(おいらん)

吉原の遊女、女郎の別称です。
最高位の「太夫」となれたのは二百人に一人といわれます。

享保(1716~36)ごろまでは、
吉原では遊女のランクは、①太夫②格子③散茶④梅茶⑤局で、
①太夫と②格子がトップクラスでしたが、
この①②を合わせて、部屋持ち女郎の意味で
「おいらん」(花魁は中国語の当て字)という名称が付きました。

語源は「おいら(自分)のもの」からとか。
だいたい明和年間(1764~72)から使われだしたものです。

のちに、単に姉女郎に対するよびかけ、さらに
下級女郎に対しても平気で使われるようになりましたが、
これは、早く宝暦年間(1751~64)に
トップ2の太夫と格子が絶えたのを皮切りに、なし崩しに
呼び名が下へ下がっていったためです。
ただし、どんな時代でも「オイラン」は吉原の女郎に限られました。

なお詳しくは、「盃の殿さま」の「吉原花魁盛衰記」をご参照あれ。

マリネではない「なます」

吉原では、古くから独特の廓(さと)言葉が使われていました。

この噺の高尾が使う「なます」「ありんす」「わちき」などの語彙がそれで、
「ありんす」言葉ともいいました。

起源ははっきりしませんが、京の島原遊廓で
諸国から集められた女たちが、里心がついて逃走しないよう、
帰属意識をもたせるため考え出されたといわれます。
つまり、エスペラント同様の人工語であるわけです。

したがって、島原や新町(大坂)の遊女も
当然同じような言葉を使っていたわけですが、
江戸が18世紀後半以後、文化の中心になると、
「吉原詞」として全国に知れ渡り、
独自の表現や言い回しが生まれました。

「行きまほう(=行きましょう)」「くんなまし」「そうざます」などもそうで、
昭和30年代に東京山の手の奥様が使う
「ざあます言葉」というのが盛んに揶揄されましたが、
あれは実は、女郎言葉の名残だったワケです。
何ともはや、皮肉ですな。

極めつけ円生十八番

この噺、実話をもとにしたものとされますが、
詳細は不詳です。

戦後では六代目三遊亭円生の独壇場でした。

「かめのぞき」のくだりは、高尾が瓶にまたがるため、
水に「隠しどころ」が映るというので、客が争って
のぞき込む、というエロチックな演出がとられることが
昔はありましたが、円生はその味を生かしつつ、
ストレートな表現を避け、
「ことによると……映るんじゃないかと」
と、思わせぶりで演じるところが、何とも粋でした。

なお、オチらしいオチは普通ありませんが、
四代目柳亭左楽(オットセイの左楽、「松竹梅」参照)は、
与三という男が高尾の顔を見に行きたいが、
染めてもらう物がないため、長屋の婆さんに
手拭いを借りに行くものの、みな次から次へと持っていくから
もうないと断られ、たまたま黒猫が通ったので
「おばさん、これ借りるよ」
「何だって黒猫を持っていくんだ?」
「なに、色揚げ(色の褪めた布を染め直す)してくる」
とサゲていました。
円生もときに、これを踏襲して落としていました。

後日談

この後、久蔵と高尾が親方の夫婦養子になって跡を継ぎ、
夫婦そろって何とか店を繁盛させたいと、
手拭いの早染め(駄染め)というのを考案し、
客がまた高尾の顔見たさに殺到したので、
たちまち江戸の名物になったという
後日談を付けることがあります。

高尾が店に出て、藍瓶をまたいで染めるのを客が待ちますが、
高尾が下を向いていて顔が見えないので、
客が争って瓶の中をのぞき込んだことから
染物に「かめのぞき」という名がついたという
由来話で締めくくります。
前項のエロ演出は、もちろんこれの「悪のり」です。

類話「幾夜餅」

まったく同じ筋ですが、人物設定その他が若干異なります。

「紺屋高尾」の改作と思われますが、
はっきりしません。

あらすじについては、
「第442回 落語研究会」の項を
ご参照ください。

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