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2005.08.13

心眼(しんがん)/落語

                                                 心眼

落語の名作。気の利いた短編小説を読む心地よさです。

浅草馬道に住む、目が不自由な按摩(あんま)の梅喜(ばいき)。

今日ははるばる横浜まで流しに行ったが、
ろくに仕事がなかったと、しょんぼりと帰ってくる。

顔色が真っ青なので、
恋女房のお竹が、
何かあったと勘づき、聞いてみると、
梅喜はこらえ切れずに泣き出した。

両親を早く亡くした梅喜が、
幼いころから育てた弟の金公に、
大恩ある兄の自分が藁(わら)にもすがる思いで金を無心に行くと、
事もあろうに目の不自由なのをあざけられ、
「『また食いつぶしに来やがった』と抜かしやがった。
もう悔しくて口惜しくて、いっそあのちくしょうの喉笛に食らいついて……と思ったが、
こんな不自由な体だから負けてしまうし、
いっそ面当てに軒ででも首をくくって死んでしまおうと本気で考えたものの、
親身になって心配してくれるおまえがさぞ力を落とすと思い、
人間は一心になったらどんなことでもできるのだから、
茅場町の薬師さまを信心して、
たとえ片方だけでも目を開けていただこうと気を取り直し、
横浜から歩いて帰ってきた
と、いう。

お竹は懸命に慰めて、
あたしも自分の寿命を縮めても、おまえさんの目が開くようにお願いするから
となだめ、その夜は寝かせる。

翌日から、
さっそく薬師如来に三七、二十一日の日参。

ちょうどその満願の日、
目が開かないので梅喜が絶望して、
いっそあたしを殺してくれと叫んでいるところへ、
得意先の上総屋のだんなが声をかける。

おまえ、目が開いているじゃないか
と言われてはっと気がつくと、
なるほど、見える見える、何もかもはっきりと目に映る。

さては夫婦の一念が通じたかと狂喜し、
いちいち「へえ、あれが人力車……あれが……」と確かめながら、
だんなについて浅草仲見世まで行く途中で、
自分が男前であること、
女房のお竹は人三化七の醜女だが、気だてのよい貞女であることを
だんなから聞かされた梅喜、
わが女房ながらそんなにひでえご面相かとがっかり。

そこでぱったり出くわしたのが、
これもお得意の芸者・小春。

誘われるままに富士横丁の「釣堀」という待合に入り、
杯をさしつさされつしているうち、
小春が
「実は、ずっとおまえさんを思っていた」
と告白し、誘惑する。

すっかり有頂天になった梅喜、
化け物面のお竹なんぞはすっぱり離縁して、
おまえさんと一緒になると怪気炎。

二人はしっぽり濡れ、いつしか一つ床に……。

そこへ、二人が待合に入ったという上総屋の知らせで、
お竹が血相を変えて飛び込んでくる。

いきなり梅喜の胸ぐらをつかんで、
「こんちくしょう、この薄情野郎っ」
「しまった、勘弁してくれっ、おい、お竹、苦しいっ」

途端にはっと目が覚める。

「うなされてたけど、悪い夢でも見たのかい」
という優しいお竹の言葉に、
梅喜我に返って、
「あああ、夢か。……おい、お竹、おらあもう信心はやめるぜ」
「なぜさ?」
「目が見えねえてえなあ、妙なものだ。寝ているうちだけ、よォく見える……」

【うんちく】

円朝晩年の作

三遊亭円朝が、実弟で盲目の音曲師だった円丸の、
横浜での体験談をもとにまとめあげたといわれます。
なお、一説には円丸は門人で、三代目円生から円朝門に移り、
のち右多丸と改名した人ともいいますが、はっきりしません。

円朝の原作は、現行とは少し異なり、
亭主の目が開くなら自分の芽がつぶれてもいいと、
密かに薬師に願掛けしていた女房・お竹の願いが聞き届けられ、
梅喜は開眼するものの、お竹の目はつぶれます。
梅喜と小春が富士下(浅草馬道の富士浅間神社の坂下)の
「釣堀」という料亭にしけこんだと聞いて、
お竹が女按摩に化けて乗り込み、さんざん恨みごとを
並べたあげく、堀に身を投げ……というところで
梅喜の目が覚めます。

サゲは「目が覚めたら何も見えない」という、
後年の八代目桂文楽のものとは正反対で、
陳腐なものとなっています。

文楽の十八番

戦後は、八代目桂文楽の、文字通りの独壇場でした。
文楽は、二代目談洲楼燕枝から習ったこの噺を
盲人のせつない心情をみごとに描ききった
独自の人情ものとして磨き、その存命中は
ほかに誰も演じ手がないほどの極め付けでした。

現在出ている速記、音源とも、文楽のものばかりで、
唯一古いものでは、円朝の原作をほぼ踏襲した
初代三遊亭金馬(のち二代目小円朝)の
「心の眼」と題した明治32年の速記が残っていますが、
これは円朝在世中のものです。

心眼って?

物事の真実を見抜く心の働きをいいます。
これはサゲの「寝ているうちだけ……」に通じ、
この場合は梅喜が、夢の中で眼の開いた自分が
女の色香にうつつをぬかす姿の浅ましさを、
目覚めてはっきり悟り、改めて妻の愛情の深さを
かみしめたことを意味するのでしょう。

浄瑠璃・歌舞伎の「壺坂霊験記」に
一脈通ずるものがあります。

茅場町の薬師

現在の中央区日本橋茅場町(かやばちょう)一丁目。

薬師如来は、別名大医王仏、医王善逝とも呼ばれます。
病を癒して悟りに導くとされ、江戸では多田の薬師
(現・墨田区東駒形一丁目の東江寺)とともに
信仰を集めました。

眼病のほか、歯痛にも霊験あらたかということで、
歯守薬師というのもあります。

人々は目に紅絹の布をあてて参詣し、
文銭という、裏に文の字を鋳出した穴開き銭を
めの字型に並べた額や、めの字を書いた絵馬を
奉納して祈願しました。

●蛇足

 三遊亭円朝の作といわれている。盲人の弟子円丸の体験に材を取ったのだそう
だ。この噺を得意とした八代目桂文楽は、マクラにそんないわれを語っていた。
 話を広げていった果てに「なんだ夢か」で終わる。この手の構成は、小説の新
人賞ではもっとも嫌われる。創作の禁じ手である。明治32(1899)年にやった初代
三遊亭金馬の速記を見ても、さほどのできでもない。文楽の「心眼」が秀逸なの
は、梅喜とお竹との細やかな交情を前半で随所にたっぷり演じているからだ。そ
れが十分でなければ、鼻白む人情噺に終わる。つまり、構成そのものができそこ
ないではあっても、演じ方次第で客をうならせられるのが落語の魅力だ。

 先日、落語研究会で入船亭扇辰がこの噺をやっていた。盲人の所作がこなれて
いなかった。演技過多。按摩をあまり見なくなったからだろうか。
 日本の社会には盲人を支えるシステムが存在した。室町時代には、「当道座」
という幕府公認の職能特権集団があった。もとは「平家物語」を語る(平曲)琵
琶法師が主体だったが、江戸期には箏曲、三絃、針灸、按摩なども加わった。元
締めとして、京都の公家である久我(こが)家が当たり、全国の盲人を支配した。
検校、別当、勾当、座頭、衆分という5階級の盲僧官の認定や管理をつかさどっ
ていた。
 ところが、針灸にたけていた杉山和一という検校が、五代将軍綱吉の病気を治
してしまってから信を得て、元禄5(1692)年、本所一ツ目の屋敷に関東総録を置
けるようになった。これは、関東8か国においてのみ、久我家ではなく杉山検校
が盲人を統括するというもの。しかし、これも享保年間までのことだった。以降
はまたも久我家に戻った。名目だけは残り、本所一ツ目弁天堂の琵琶会という催
しは、明治期まで2月と6月に開かれていたという。

 座頭金(ざとうがね)というのがある。盲人は公に貸し金業が許可されていた。
これも盲人の生活を支えるシステムだった。小口現金の短期貸付だから、いまの
消費者金融のイメージだろう。盲人同士は横の連帯が強かったらしく、集団で旗
本など借り手の玄関に立って、外聞外見をはばからずに強催促したとか。座頭に
はどこか因業なイメージがついて回った。

 按摩は導引とも言った。盲人の按摩は杉山流、それ以外の按摩は吉田流とすみ
分けされていた。体全体を揉んで48文が相場。骨折や脱臼の治療なども行ってい
たそうだが、明治44(1911)年の施行法によって完全に禁止された。これ以降、按
摩の需要が変わったようである。

 寒空に響く、物悲しい心持ちを誘い出すような按摩の笛の音。按摩が笛を吹い
て歩いていたのは、吉原界隈だけでだった。吉原以外でも行われるようになった
のは寛政年間(1789-1800) からだという。
 こういう流しの按摩を「振り按摩」と呼んだ。「振り」とは、常連やなじみの
客がいないこと。近ごろのフーゾクでは、指名をせずに店に入ることを「フリー」
と呼んでいる。「振り」のつもりなのだろうが、いまや「フリー」という言葉の
ほうが通じてしまう。和魂洋才である。(古木優)

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