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2005.08.10

六尺棒(ろくしゃくぼう)/落語

                                              六尺棒

ほとんど二人、おやじと息子のやりとりのみで展開する会話劇です。

道楽息子の孝太郎が吉原からご帰還。
店が閉め切ってあるので、戸口をどんどんたたく。
番頭と思いのほか、中からうるさいおやじの声。

「ええ、夜半おそくどなたですな?
お買い物なら明朝願いましょう。はい、毎度あり」
「いえ、買い物じゃないんですよ……あなたのせがれの孝太郎で」

さすがにまずいと思っても、もう手遅れ。

「……ああ、孝太郎のお友達ですか。
手前どもにも孝太郎という一人のせがれがおりますが、
こいつがやくざ野郎で、夜遊び火遊び。
あんな者を家に置いとくってえと、
しまいにゃ、この身上(しんしょう)をめちゃめちゃにします。
世間へ済みませんから、親類協議の上あれは勘当しましたと
どうか孝太郎に会いましたなら、そうお伝えを願います」

明日っからもう家にいますと謝ろうが、
跡取りを勘当しちまって、家はどうなると脅そうが、
いっこうに効き目なし。

自殺すると最後の奥の手を出しても……
「止めんなら今のうちですよ……ううう、止めないんですか?
じゃあ、もう死ぬのはやめます」
「ざまァ見やがれ……と言っていたとお伝えを願います」

孝太郎、とうとう開き直って、
できが悪いのは製造元が悪いので、
悪ければ捨てるというのは身勝手だと抗議するが……

「やかましい。他人事に言って聞かせりゃいい気になりやがって、
よそさまのせがれさんは、おやじの身になって、
『肩をたたきましょう』『腰をさすりましょう』、
おやじが風邪をひけば『お薬を買ってまいりましょう』と、
はたで見ていても涙が出らァ。少しは世間のせがれを見習え」

親父が小言にかかると、孝太郎、
養子をとってまで、どうでも勘当すると言うなら、
他人に家を取られるのはまっぴらなので、
火をつけて燃やしてしまうと脅迫。

言葉だけでは効果がないと、
マッチに火をつけてみせたから、
戸のすきまから様子をうかがっていたおやじ、
さすがにあわてだす。

六尺棒を持って、表に飛び出し
「この野郎、さァ、こんとちくしょう!」

幸太郎、追いかけられて、
これではたまらんと逃げだし、
抜け裏に入って、ぐるりと回ると家の前に戻った。

いい具合に、
おやじが開けた戸がそのままだったので、
これはありがたいと中に入るとピシャッと閉め込み、
錠まで下ろしてしまった。

そこへおやじが腰をさすりながら戻ってくる。

「おい、開けろ」
「ええ、どなたでございましょうか?」
「野郎、もう入ってやがる。お前のおやじの孝右衛門だ」
「ああ、孝右衛門のお友達ですか。
手前どもにも孝右衛門という一人のおやじがありますが、
あれがまあ、朝から晩まで働いて、
ああいうのをうっちゃっとくってえと、
終いにゃいくら金を残すか知れませんから、
親類協議の上あれは勘当いたしました」

立場が完全に逆転。

「やかましい、他人事に言って聞かせりゃいい気になりやがって、
世間のおやじは、せがれさんが風邪でもひいたってえと、
『一杯のんだらどうだ?小遣いをやるから、
女のとこへ遊びにでも行け』。
はたで見ていても涙が出らァ。少しは世間のおやじを見習え」
「何を言やがんでェ。そんなに俺のまねをしたかったら、
六尺棒を持って追いかけてこい」

【うんちく】

もと彰義隊士の十八番

文化4年(1807)の口演記録が残る、古い噺です。
明治末期には、御家人上がりで、
もと彰義隊士という異色の落語家・
初代三遊亭遊三が得意にしていました。

この遊三、ヘナヘナ侍の典型で、
幕府賄(まかない)方役人でありながら、
のむ打つ買うの道楽だけが一人前。
お城勤めよりも、寄席で一席うかがうのがむしろ本業で、
彰義隊に駆り出されて立てこもった
上野の山からも、さっさと脱走。

維新後、裁判官になりましたが、
被告の女に色目を使われてフラフラ。
カラスをサギ、有罪を無理やり無罪にして
あっさりクビ。これで清清したと
喜んで落語家に「戻った」という、あっぱれな御仁です。
女優・十朱幸代の曽祖父にあたります。

遊三から志ん生へ

この遊三師匠、五代目志ん生の父親・美濃部戌行とは
明治の爆笑王・金ちゃんこと初代三遊亭円遊と三人、
御家人仲間で、若き日の遊び友達。

その関係でか、せがれの志ん生をかわいがり、
志ん生は、のちに十八番にした、
「火焔太鼓」「疝気の虫」なども遊三から習っています。
この「六尺棒」もその一つです。

遊三の明治41年の速記を見ると、
このおやじ、ガンコを装っていても、
一皮むけば実に大甘で、セガレになめられっ放しということが
よくわかります。
本当に勘当する気などさらさらなく、
むしろ心配で心配でならないのです。

志ん生の方は、遊三のギャグなどは十分残しながら
親子して「勘当ごっこ」で遊びたわむれてるような
爆笑編に仕上げています。
中でも、おやじがいちいち、返事に
「明日ッから明日ッからてえのは、
もう聞き飽きた……とお言伝を願います」
「どうしようと大きなお世話だ……とお言伝を願います」
というぐあいに、いちいち「お言伝」をつけるところは
抱腹絶倒です。

十代のころ、もと警官のおやじの金キセルを勝手に質入れして
槍を持って追いかけられ、そのまま家に帰らなかったという
ほろ苦い思い出が、志ん生のこの噺に生きているのでしょう。

六尺棒って?

樫材などで作る、泥棒退治用のこん棒ですが、
志ん生の父親は維新後は「棒」と呼ばれた草創期の巡査で、
巡邏のときは、いつも長い木の棒を持ち歩いていたとか。

高座でこの噺を演じながら、志ん生は、
遊三と同じ年(大正3年)に亡くなった、遠い日の父親を
思い出していたかもしれません。

数少ない「対話劇」

落語は、講談と違って、
複数の登場人物の会話を中心に進めていく芸です。
例外的に「地ばなし」といって、
説明が中心になるものもありますが、
大半は演者は「ワキ」でしかありません。

今回の「六尺棒」は、その中でも
登場人物が二人しかいない、
おやじと息子のやりとりのみで展開する
「対話劇」とでもいえるものです。
それだけに、イキ、テンポ、間の取り方が命で、
芸のうまいまずいが、これほどはっきり分かる噺は
ないかも知れません。

この種のものは落語にはそう多くありません。
隠居と八五郎しか登場しない「浮世根問」や、
「穴子でからぬけ」「今戸焼」「犬の目」などが
同じように登場人物二人ですが、
どちらかというと小咄程度の軽い噺ばかりで、
「六尺棒」のように本格的な劇的構成を持ち、
背景としての人物も登場しない噺はかなりまれです。

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