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2005.09.18

桂文朝(三代目)/落語家

                                                                                                           桂文朝

2005年4月18日没。享年63。
最後の高座は本年2月4日、新宿・末広亭の「寄合酒」でした。

どんな人?                                              4547366009606

1942年3月31日:東京生まれ。本名・田上孝明。
1952年7月:山遊亭金太郎(二代目桂小南)に入門、山遊亭タア坊。
1955年:山遊亭金時と改名。
1959年1月:桂小西と改名、二つ目に昇進。
1970年4月: 真打昇進、桂文朝に(推定三代目)。
1975年:文化庁芸術祭優秀賞受賞。
1978年:放送演芸大賞落語部門賞を受賞。
1985年1月:桂南喬、桂文生とともに、落語芸術協会から落語協会に移籍。

さりげない名人、あるいは認識の甘さ

大西信行氏が、文朝について次のように書いたのは、
もう三十余年の昔になります。

 「……さて、文朝のどこがいいのかともうひとつ突っ込んで聞くと、だれも
はっきりした返事はきかしてくれない。漠然と素直であかるくていいという。
(中略)それでは少しも褒めたことにはならない」(「落語無頼語録」)

子供の時からかわいがられた大師匠・ 三代目三遊亭金馬の
「時代の好みをかぎわけるセンス」や、
芸に臨む「強気と気迫」を、
少しでもまねしないと結局期待されるだけで終わってしまうよ
という、まだ若手の有望株だった文朝への、
師の親身の忠告だったはずです。

しかし、その人も、春風駘蕩とした
ほんわりした温かさのみを我々に残して、
とうとう旅立ってしまいました。(た)

三人の会は終わったな

当たり前か。

扇橋、小三治、文朝の三人会が懐かしい。(ふ)

「明烏」で魅せた才気

昭和38年、桂南喬が入門したとき、
師匠の金馬(三代目)は、
「ハナシは小西に教わんな」と言ったそうです。

その桂小西、のちの文朝は、当時21歳、
それでももう二つ目になって5年目です。

なんせ、入門が10歳ですから。

2005年9月17日夜
国立演芸場でフィルム上映された、文朝の「明烏」。

昭和54年9月の、同じ国立演芸場でのものでした。

37歳。真打昇進10年目。

その「明烏」はといえば、
文楽のを当然踏襲しながら、
文楽の持っていた一種の圧迫感、重苦しさをきれいに昇華した、
ため息が出るほど何ともみごとな出来。

闊達自在、十二分に演じきりながら、
ギリギリのところで抑制が利き、決して崩れない、
六代目尾上菊五郎の言うような「行儀のいい」芸。

この高座に関するかぎり、確かに表立って
ギラギラした気迫や野心は感じられないものの、
大西信行氏が指摘した「ただのホンワカ芸」という欠点より、むしろもう、
37歳にして円熟、完成されてしまっている芸という印象。

今の四十前後の噺家を見渡しても、
これほど自在な話術を操れ、
客を快く楽しませてくれる人は
ちょっと見当たらないでしょう。

見返り柳を「ご神木」、大門を「大鳥居」、
歌舞音曲を「祝詞」とゴマかすのは、
たしか文楽にはなかった入れごとで、
こうしたちょっとしたギャグにも才気を感じさせました。(た)

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