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2005.09.19

橘家円喬(四代目)/落語家

橘家円喬

どんな人?

1865年11月9日(慶応元年9月21日):江戸・本所柳原に生まれる。本名・桑原(のち柴田)清五郎。

1872年:7歳で三遊亭円朝に入門。前座名朝太。

1878年:三つ目(二つ目?)に昇進、二代目三遊亭円好と改名。このころ音曲師を志す。

1882年5月:東京を離れ、以後徴兵検査まで約3年、上方で修行。

1888年:帰京。

1887年1月:四代目橘家円喬を襲名。日本橋瀬戸物町の伊勢本で真打昇進披露。         以後、芸の進境はめざましく、長編人情噺、落し噺において、話芸だけなら師・円朝をしのぐとまで言われ、名人の名をほしいままにする。

1912年11月16日:日本橋・末広亭での独演会が最後の高座となる。六日後の同月22日、肺結核のため日本橋玄冶店(当時住吉町、現日本橋人形町三丁目)の自宅で死去、享年47。辞世「筆持って月と話すや冬の宵」。墓所は雑司が谷鬼子母神の法明寺(現・豊島区南池袋三丁目)。

ディスコグラフィー

CD:落語蔵出しシリーズSP盤復刻 コロムビア COCF-14828 「附焼刃」(「半分垢」)

名人中の名人??

小島政二郎(作家、小説「円朝」著者)
「円喬は円朝よりうまい」

六代目三遊亭円生
「(自分が聴いた中で)本当の名人は円喬師だけ」

久保田万太郎(劇作家・作家)
「小島クンは円朝を聴いていないから、そんなことを言う」

円朝の没年、久保万11歳、小島6歳。
円喬の没年、円生12歳。

目くそ鼻くそ。本当に聴いてたのかいな?
かくて伝説は一人歩きする、という次第。

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