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2005.09.18

三遊亭金馬(三代目)/落語家

                                                                                                    三遊亭金馬

どんな人?  

1894年:10月25日、東京・本所北二葉町(現・墨田区石原一丁目)に生まれる。本名加藤専太郎。
1912年:本所相生町の伯父の経師屋に奉公後、講釈師を志して揚名舎桃李に入門。
1913年:初代三遊亭円歌に再入門、落語家に転向。前座名は本名をもじり、三遊亭歌当。
1915年:歌笑と改名、二つ目に昇進。
1916年:私淑する七代目朝寝坊むらく(のち三代目三遊亭円馬)に従い、旅巡業に出る。
1919年:帰京後、同年12月(11月?)に円洲と改名。
1920年:9月、同名で真打昇進。
1926年:4月、先代の隠居にともない、三代目三遊亭金馬を襲名。8月7日、ラジオ初放送で「たがや」を演じる。
1929年:7月、ニットーレコードで「居酒屋」をレコード初吹き込み。酔っ払いにからまれる小僧の「できますものはけんちんおしたし」という独特のカン高い調子が大受け、ベストセラーに。
1930年:ニットーレコード専属になる。以後、新作や改作を含め、同社から数多くのレコードを発売。
1934年:東宝名人会発足と同時に出演契約するが、所属する東京落語協会と席亭側が、金馬ら芸人に契約破棄を強要。金馬のみこれを拒否したため協会を除名され、以後、生涯東宝専属に。 
1935年:3月封切りのPCL映画「女優と詩人」に出演。
1936年:東宝と協会側の和解が成立するが、金馬は寄席に復帰せず、四代目柳家小さん、蝶花楼馬楽(のち八代目林家正蔵)、七代目三笑亭可楽とともに「東宝第一会」を結成、以後はレコード、ラジオと東宝名人会出演が活動の中心となる。
1939年:7月封切りの東宝映画「風流浮世床」に出演。
1940年:6月封切りの南旺映画「笑ふ地球に朝が来る」に出演。
1947年:11月1日から放送開始のNHKラジオ「二十の扉」にレギュラー出演。
1950年:5月30日、弟子で売れっ子の三遊亭歌笑が、銀座6丁目の路上で進駐軍のジープにはねられ死亡、享年33歳。
1953年:NHKの準専属となる。
1954年:2月5日、千葉県佐倉の鹿島川に釣りに行った帰り、鉄橋上で列車にはねられ、左足に重症を負う。幾度か死線をさまようも、奇跡的に回復。ただし後遺症のため、以後は歩行および着座がが不自由になり、高座では正座できずにいつも釈台を置き、「板付き」で出演するようになる。同年4月、コロムビアから初のLP「居酒屋・勉強」発売。11月、高座に復帰。
1955年:文化放送の「落語随想」、NHK「落語の「落語の聞きかた味わいかた」と、ラジオのレギュラー番組、ゲスト出演も多くなり、その博識と光った頭から「やかん先生」と親しまれる。11月、最初の落語速記集「名人シリーズ三遊亭金馬落語独演会」を鱒書房から出版。
1956年:1月3日放送開始のラジオ東京テレビ(現TBS)の落語トーク番組「落語の見かた聞きかた」のホストを務める(57年6月から「浮世断語」と改題)。この年、NHK放送文化賞受賞。
1957年:3月封切りの東宝映画「東京テキサス人」に、柳亭痴楽とともに出演。  
1959年:1月、有信堂から随想集「浮世断語」を出版。
1964年:11月8日、肝硬変のため東京・信濃町の慶応病院で死去、享年70。それに先立ち、友人・知人に自筆の「告別挨拶状」を配っていた。戒名は暁風院金網透鱗大居士。

反骨の「やかん先生」

生涯に取り替えたかみさんは都合七人。
無頼の典型のように言われる五代目志ん生がりん夫人一がいで、
意外にマイホーム亭主? だったのとは対照的。

前座のころ、楽屋にライスカレーを取り寄せて食ったため
「生意気だ」と、自分のばかりか、前座仲間全員が「減給処分」になったのを、
義理が立たないと、とがめたその某師匠を待ち伏せ、ノックアウト。

終生枯れることなく、気に入らない奴とは誰彼かまわず大ゲンカ。
落語界一の博識と弁論の冴えで、完膚なきままにやっつけるので、
嫌う人間には徹底的に嫌われ、反面、芸でも交友関係でも、
金馬でなければという中毒患者多数。

昭和9年、席亭と大ゲンカして以来、どの協会にも属さず、
東宝と契約したのみで生涯フリー。
映画・ラジオ・レコードに活路を求める。
晩年の昭和30年代は草創期のテレビを通じて、
大衆に落語の楽しさを再認識させた。
「名人」と呼ばれることを放棄し、
放送文化賞を除けば生涯無冠だった「落語界の惑星」。

芸風は明るく豪放でわかりやすく、ややカン高いダミ声が特徴的。
一世を風靡した「居酒屋」「薮入り」を始め、
「孝行糖」「付き馬」「茶の湯」「小言念仏」などを得意とし、
これらは今でも金馬のやり方がスタンダード。
「金明竹」「道灌」のような前座噺も、
立て板に水の名調子で面白く聞かせた。

没後四十年以上経っても、
未だに「金馬」といえば三代目を連想するほどの存在感で、
その点、今の金馬は屈指の実力派なのに、
先代の影と、地味な芸風で損をしているのが気の毒。

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