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2005.09.18

古今亭志ん生(五代目)/落語家

                                          古今亭志ん生

志ん生のSPレコード

●七代目金原亭馬生(1934年9月~)時代

1935年 「氏子中」(2月) 「味噌蔵」(4月) 「元帳」(6月) 「甕」(10月)     
      
1936年 「夕立勘五郎」(1月) [算術」(2月)  「反対国」 「与太郎」(3月)  「稽古屋」(5月)  「晦日」(7月) 
    
1937年 「あわび」(1月) 「ラブレター」(4月)

●志ん生襲名(1939年3月)後

1940年 「ラブレター」(8月、賛助出演)

1943年 「亭主関白」(1月) 「我慢灸」(6月)

1945年 「姉さんの合戦」(1月)

●戦後

1951年 「元帳」(1月)  「火焔太鼓」(前編) 「火焔太鼓(後編)」(2月)  「ラブレター」(7月)

今も昔もレコード(CD)発売が落語家の人気上昇のバロメーターとすれば
この人、昭和11年(46歳)ごろから売れ出したことがよく分かります。
この年、正月から立て続けにリリースしていますね。
前年(昭和10=1935年)から出していますが、
これは馬生襲名の「ご祝儀」でしょう。

よく見ると、新作なのか、どういう内容かよく分からない噺もけっこうあります。

初吹き込みの「氏子中」、実際は「町内の若い衆」だったようです。

「元帳」は後年、映画でも演じた「かわりめ」、
「ラブレター」は「女給の文」、
「あわび」は「あわびのし」、「我慢灸」は「強情灸」でしょう。
1936年7月の「晦日」は、「掛取り万歳」でしょうか。
とすれば、ずいぶんと季節外れです。

1940年8月の「ラブレター」は、当時の天才少女浪曲師・春日井おかめの
「英霊布団」(正岡容・作)という軍国浪曲のレコードに
音曲師・柳家小半治とともに「ゲスト出演」したものです。

幻の志ん生伝記ドラマ その1 

昭和35年3月5日・夜8時から放映の
日本テレビ系列「クライマックス 人生はドラマだ」・第22回で、
五代目古今亭志ん生の極貧時代がドラマ化されました。

このシリーズは、毎回、各界の著名人の半生にスポットを当て、
当人と関係者の証言でつづるドキュメンタリーと、
俳優がその人を演じる再現ドラマの二部構成になっていたようで、
ドキュメンタリー部分に志ん生本人(当時69歳)が出演、
ドラマ部分で長男・十代目金原亭馬生(当時32歳)が、自分の生まれた当時の父親を、
当時売り出し中の次男・古今亭朝太(のちの古今亭志ん朝、当時22歳)が
同じく父親の青年時代を演じ、親子競演で話題になりました。

なお、赤ん坊時代の馬生「役」は、馬生の三女(池波志乃の末妹)だったよしで、
美濃部一家親子三代総出演となりました。

落語家ではほかに三笑亭夢楽、門弟の先代金原亭馬之助が出演。
ドラマ部分では利根はる恵、清川玉枝、木田三千雄らが脇を固めていました。

このドラマ、当時はまだ珍しいカラー放送。それにしてもこれ、
キネコででも、フィルムがどこかに残ってないですかねえ。

幻の志ん生伝記ドラマ その2

なお、志ん生関係のドラマは後年、もう一本制作されました。
こちらの主人公は愛妻のおりんさんで、
昭和58年8月1日から同年9月30日まで、45回にわたって
フジテレビ系(制作・東海テレビ)で放映された連続ドラマ「おりんさん」。

結城昌治原作の志ん生伝「志ん生一代」を脚色したもので、
脚本はのちに隆慶一郎の筆名で人気作家となった池田一朗。

極貧時代の志ん生(中村嘉葎雄)をけなげに支える主人公・りん夫人には
実の孫娘・池波志乃が扮しました。

志ん朝も出演していて、確かに見た記憶があるのですが、
面目ないことに役名が思い出せません。
あるいはナレーターだったかも。

林家木久蔵が、若き日の師匠・八代目正蔵役でゲスト出演。

もひとつおまけに その3

志ん生にはほかにさらに二本、
テレビドラマの出演記録があります。

まず、「人生は……」の翌年、昭和36年(病魔に倒れた年!)1月26日、
日本テレビ系放映・岡田真澄主演の連続ドラマ「人生うらおもて」・
第26回『安藤尊(アンダーソン)の恋』。

こちらは前回と異なり、正真正銘の「俳優」としての配役のようですが、
残念ながら、役名その他詳しいことは分かりません。

次いで四年後の昭和40年9月2日、NHKの近代史ドラマ「風雪」
第76回『大正12年9月1日 関東大震災』に、
作家・幸田文、元NHK名物アナ・松内則三とともにゲスト出演。

これも、ドラマで何らかの役を演じたのか、
または証言者としての出演か、詳細は不明です。

「車から落っこったのか」

「われわれ前座してる時分、日本亭でさあ、円遊さん
(注:初代三遊亭円遊、明治の爆笑四天王の一)、来やしない。
『お客さん、済みませんが、師匠が車から落ちまして……』。
三日間それなんです。四日目にね、『お客さん、済みません』
て言ったら『車から落っこったのか』(笑)。
しまいの日にね、いよいよ出るかと思ったら、出ない。そうしたら、
虎公が車曳(ひ)きの姿のまんまで高座へ上がって来やがって
『あっしは円遊師匠の車曳きです。きょう師匠を車から落っことしました。
あっしが落っことしたんですから、まちがいありません』て謝りやがった」(笑)

[つっこみ]

初代円遊が亡くなったのが明治40年11月26日、享年57。
その全盛は明治20年代まで。志ん生は明治23年生まれ、落語界入門は明治43年。

五代目林家正蔵(百歳正蔵)のこと


「丈夫だったな。落語をしたあと、音曲をやるんだ。そうするてえとね、
あの人、おもてで立ちションベンするんだ。
その当時やかましくってね、罰金取られる。
『こら、こういうところでなんだ』帳面出して『名前は? いくつだ?』
『一ソク二つです』『何イ?』『百二です』『ウーム、それじゃ、しょうがない。
二つの赤ん坊と同じだ』って許してくれた(笑)。それでね、名古屋でやってた時に、
下座さんが年増のちょいとした女なんだ。
その下座さんのところへヨバイにいった」(笑)

[つっこみ]

別のところでは百十五歳と言ってた(笑)。

(以上引用:「娯楽よみうり」昭和31年8月15日号掲載「対談・高座今昔」古今亭志ん生、邑井貞吉、今村信雄、正岡容、安藤鶴夫)
  

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