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2005.09.18

柳亭痴楽(四代目)/落語家

                                                                                                       柳亭痴楽

どんな人?

1921年:5月30日、富山県生まれ。本名・藤田重雄。

1939年:豊竹歳太夫に入門して義太夫を修行したのち、この年落語家を志して七代目春風亭柳枝に入門。前座名春風亭笑枝。

1941年:1月14日、師匠・柳枝が死去。同年、五代目柳亭左楽門下に移り、四代目柳亭痴楽を名乗って二つ目昇進。

1945年:9月、同名で真打昇進。戦後誕生の真打第一号となる。焼け残りの人形町・末広で昇進披露。

1954年:この年、4年前に事故死した三遊亭歌笑のヒット作「歌笑純情詩集」を模した「痴楽綴方教室」が寄席、ラジオで評判に。以後同シリーズの「恋の山手線」「青春日記」「笑道一代」などが立て続けに大ヒット、昭和30年代前半のお笑いスターの一人に。以後昭和40年代後半まで、安定した人気を保つ。

1973年:大阪巡業中に、楽屋で脳血栓で倒れ、事実上再起不能。以来20年にわたって闘病生活を送る。

1987年:浅草の特養老人ホームに移る。

1993年:10月31日、「柳亭痴楽を励ます会」有志の尽力で、20年ぶりに新宿・末広亭の高座を踏むが、同年12月1日死去。享年72歳。

なつかしの痴楽「恋の山手線」

柳亭痴楽はいい男、鶴田浩二や錦之助、
それよりもっといい男。
上野を後に池袋走る電車は内回り、
私は近頃外回り。

彼女はきれいなうぐいす芸者(鶯谷)、
ニッポリ(日暮里)笑ったそのえくぼ、
田畑(田端)を売っても命がけ、
わが胸の内、こまごまと(駒込)、
愛のすがもへ(巣鴨)伝えたい。

おおつかな(大塚)びっくり、故郷を訪ね、
彼女に逢いに行けぶくろ(池袋)、
行けば男がめじろ押し(目白)、
たかたの婆や(高田馬場)新大久保の
おじさんたちの意見でも、
しんじゅく(神妙に?=新宿)聞いていられない。
夜よぎ(代々木)なったら家を出て、
腹じゅく(原宿)減ったと渋や顔(渋谷)、
彼女に逢えればえびす顔(恵比寿)。

おやじが生きて目黒いうちは(目黒)、
私もいくらか豪胆だ(五反田)。
おお先(大崎)真っ暗恋の鳥、彼女に贈るプレゼント、
どんなしながわ(品川)良いのやら、
魂ちいも(田町)驚くような、
色よい返事をはま待つちょう(浜松町)、
そんなことばかりが心ばしで(心配=新橋)、
誰に悩みを言うらくちょう(有楽町)。

思った私が素っ頓狂(東京)、
何だかんだ(神田)の行き違い、
彼女はとうに飽きはばら(秋葉原)、
本当におかち(御徒町)なことばかり、
やまて(山手)は消えゆく恋でした。

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コメント

痴楽師匠には一度お声をかけてしまったことがあります。
ちょっと怖い方かな思いきや凄く真面目な感じの師匠で
子供のような僕にラブレターという噺は私の新作ではないのですよ・・短いけどあれは難しい!
とかいろんな話をしてくれました、
親切な大スターでした!

梅橋さんも今の痴楽さんも亡くなり本当に寂しいですね。
僕はちょっとはずれた噺家さんが好きです9代目文治師あたりの特集もお願いします~

投稿: ヤマト爺 | 2010.07.23 21:02

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