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2005.11.01

藁人形(わらにんぎょう)/落語

【世界の紅茶】

                                               藁人形

陰々滅々な風情。怪談噺でもなく人情噺でもなさそうな。落とし噺なんすかね。

神田龍閑町の糠屋(ぬかや)の娘おくまは、
ぐれて男と駆け落ちをし、上方に流れていったが、
久しぶりに江戸に舞い戻ってみると、
すでに両親は死に、店も人手に渡っていた。

どうにもならないので
千住小塚っ原の若松屋という女郎屋に身を売り、
今は苦界の身である。

同じく千住の裏長屋に住む、
西念という願人坊主。

元は「か」組の鳶(とび)の者だったが、
けんかざたで人を殺し、
出家して、家々の前で鉦(かね)を叩いて
なにがしかの布施をもらう、物乞い同然の身に落ちぶれている。

歳は、もう六十に手が届こうかという老人。

その西念が若松屋に出入りするようになり、
おくまの親父に顔がそっくりだということもあって、
二人は親しい仲になった。

ある梅雨の一日、
いつものように西念がおくまの部屋を訪れると、
おくまは上機嫌で、
近々上方のだんなに身請けされ、
駒形に絵草紙屋を持たせてもらうから、
そうなったら西念さん、おまえを引き取り、父親同然に世話をする
と、言ってくれる。

数日後にまた行ってみると、
この前とうって変わって、やけ酒。

絵草紙屋を買う金が二十両足りない
と、いう。

西念、思案をして、
実は昔出家する時、二十両の金を鳶頭にもらったが、
使わずにずっと台所の土間に埋めてあるから、
それを用立てようと申し出る。

西念が金を取ってきて渡すと、
おくまは大喜び。

きっとすぐに迎えに行くから
と、約束した。

それから七日ほど夏風邪で寝ていた西念、
久しぶりに若松屋に行っておくまに会い、
あのことはどうなった
と尋ねると、意外にも女はせせら笑って
「ふん、おまえが金を持っているという噂だから、
だまして取ってやったのさ。
何べんも泊めてやったんだ。揚げ代代わりと思いな」

西念はだまされたと知って、
憤怒の形相すさまじく
「覚えていろ」
と叫んでみてもどうしようもなく、外につまみ出された。

二十日後、
甥(おい)の陣吉が、西念を尋ねてくる。

大家に聞くと、
もう二十日も戸を締め切って、閉じこもったままだ
という。

この陣吉、やくざ者で、
けんかのために入牢していたが、
釈放されたのを機にカタギとなり、
伯父を引き取りつもり。

陣吉に会って、そのことを聞いた西念は喜んで、
祝いにそばを頼み方々、久しぶりに外の風に当たってくると、
杖を突いて出ていったが、
行きしなに
「鍋の中を覗いてくれるな」
と、言い残す。

そう言われれば見たくなるのが人情で、
留守に陣吉がひょいと仲をのぞくと、
呪いの藁人形が油でぐつぐつ煮え立っている。

帰ってきた西念、
「見たか。これで俺の念力もおしまいだ。口惜しい」

泣き崩れるので、
事情を聞いてみると、これこれしかじか。

「やめねえ伯父さん、藁人形なら釘を打たなきゃ」
「だめだ。おくまは糠屋の娘だ」

【うんちく】

オチは諺から

オチの部分の原話は安永2年(1773)刊の笑話本、
「坐笑産(ざしょうみやげ)」中の「神木」で、これは
ある神社で丑の時参りの呪詛をしている者が
ご神木にかけた藁人形に灸をすえているのを神主が見つけて、
「これこれ、なぜ釘を打たぬのか?」と尋ねると、
「もう何を隠しましょう。私が呪う男は、糠屋さ」
と、いうものです。 

どちらにせよ、オチが「のれんに腕押し」と同義の
「ぬかに釘」を踏まえていて、ぬらりくらりで
釘を打っても効果がないほどしたたかな女、
ということと掛けてあるわけですが、もう一つ、
「糠釘(ぬかっくぎ)」と呼ぶ、屋根のこけら葺きに用いる
小さな釘があるので、縁語としても効いているのでしょう。

願人坊主って?

その姿は、歌舞伎舞踊「浮かれ坊主」や
世話狂言「法界坊」に活写されていますが、
ボロボロの衣らしきものをまとっただけの、
ほとんど裸同然で町々をさまよい、
物乞いをしたり、時には代参や代垢離を請け負ったりします。

もっとも、願人坊主といってもピンからキリまでで、
「黄金餅」やこの「藁人形」に登場の西念は、
それ相応の小金も溜め込み、第一裏店とはいえ
ちゃんとした長屋に住んでいるのですから、
身分は人別帳(にんべつちょう、=戸籍)にも載っている普通民です。

もともと願人坊主の語源は、上野の寛永寺の支配下で、
出家を願って僧籍の欠員があるのを待っている者という説があります。
西念は身を持ち崩してもまだ身内も住居もあり、
いわゆる「はっち坊主」と呼ばれる乞食坊主にまでは
落ちぶれていないということでしょう。

落語ではほかに、「らくだ」にも登場します。

西念の名の由来

西念は、五代目古今亭志ん生の十八番「黄金餅」にも、
アンコロ餅といっしょに金をのみ込んで
悶死する守銭奴として登場しますが、
西念の名は、四谷・鮫ヶ橋谷町(現・新宿区若葉二丁目)の
西念寺(現存)から採ったものと思われます。

ここは旧幕時代には江戸有数のスラム街で、
願人坊主が特に多く住みついていました。

西念寺は、家康の懐刀で伊賀忍者の棟梁・
初代服部半蔵正成が、
晩年の文禄年間(1592~96)に
剃髪して西念と号した際、
自らの菩提のために開基したもので、
寺名はその法号にちなみます。

千住小塚っ原

千住宿は四宿(ほかに新宿、板橋、品川)の一で、
奥州・日光街道の親宿(起点)ですが、
大きく千住大橋をはさんで上宿・下宿に分けられました。
橋の北側の上宿に本陣がありましたが、南詰めの下宿には
小塚原、中村町の二つの遊郭があり、
千住の仕置場(=処刑場)が近いことから
通称「コツ(=骨)」またはコヅカッパラと呼ばれました。

全盛期には旅籠14軒を数えたといいます。
上宿にももちろん飯盛女(=女郎)がいましたが、
どちらかというと南の「コツ」の方は一般の旅人を始め、
船頭・農民などの遊ぶごく安っぽい岡場所でした。

落語には「今戸の狐」に「コツの女郎」が登場するほか、
五代目志ん生の「お直し」でも、主人公の吉原の若い衆が
こっそり遊びに行く場所として説明されています。

小塚原遊郭は現在の荒川区南千住五丁目から六丁目、
回向院から素盞鳴(すさのお)神社に向かう辺りで、
細い路地(コツ通り)の両側に遊女屋が並んでいました。

ただし、五代目志ん生は、下宿のコツではなく、
上宿(本宿)で演じました。

か組って?

町火消は享保5年(1720)に
町奉行・大岡越前の献策で発足したものです。

西念の前身が「か組」の鳶の者だったという設定ですが、
町火消はいろは四十八組に分けられ、
か組は神田佐久間町、旅籠町、
湯島天神前辺を分担していました。

佐久間町は火事が多く、悪魔町と呼ばれたとか。

彦六から歌丸へ

明治期には、初代三遊亭円右が得意にしていました。

円朝門下で円右の「叔父分」に当たる三遊一朝の直伝で、
彦六の八代目林家正蔵、五代目古今亭今輔が戦後十八番とし、
円右に傾倒していた五代目古今亭志ん生も好んで演じました。

別題を「丑の時参り」というように、
元来は陰気で怪奇性のより強い噺でしたが、
今輔の方はどちらかというと、従来通り凄みを利かせて演じ、
正蔵は人情噺の要素を多くして、西念の哀れさや
甚吉の誠実な生きざまを描写することで
後味のよい佳品に仕上げました。

両師の没後、継承者がなくすたれていましたが、
現桂歌丸が20年ほど前に復活し、
正蔵のやり方を多く取り入れて演じています。

神田竜閑町

現在の千代田区内神田二丁目、
首都高速神田橋ランプの東側で、
千代田合同庁舎のあるあたりです。

かつては南側の神田堀入口に竜閑橋が架かり、
付近には白旗稲荷神社(現存)があって、にぎわいました。

地名の由来は、井上立閑(りゅうかん)という者が
このあたりを開発したことにちなみます。

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コメント

これの歌丸さんの,彦六師匠に似てることといったらスゴイ

投稿: 志 | 2007.07.31 13:07

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