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2006.03.24

三遊亭円右(三代目)

どんな人?

1923年:12月8日、 東京府下豊多摩郡馬橋村(現・杉並区阿佐ヶ谷南二丁目)に生まれる。本名・粕谷泰三。 父・伊三郎、母・つなの二男一女の長男。父は浪曲師で芸名・木村重丸、母も常磐津文字綱を名乗る芸人夫婦だった。

1934年:尋常小学校5年。寄席の楽屋に遊びに行っているとき、出演者の休演でつなぎの代役に駆り出され、ウロ覚えの落語を演じて大ウケ。これが落語開眼の初めとか。

1941年:工学院工手学校を卒業? 後、3月、二代目三遊亭円歌に入門、前座名橘ノ小円左で初高座。ただし東京の寄席には出演できず、ドサ(地方)回りが続く。なお、一部の資料に初代橘ノ圓(まどか)門下というのは疑問。(圓は1935年に死去)

1943年:応召。終戦まで砲兵として南方を転戦。

1945年:スマトラで終戦。

1946年:復員。落語界に復帰するも売れず、司会などで食いつなぐ。

1947年:3月、新作派の闘将・五代目古今亭今輔に再入門して落語芸術協会に加入、古今亭寿輔と改名。一年先輩の兄弟子に現・桂米丸(年齢は二歳下)がいた。師匠の影響で以後新作落語の創作・口演を志す。

1948年:2月、二つ目に昇進。

1951年:3月、師匠・今輔の長女以祢子と結婚。

1955年:4月、三遊派の大名跡・三代目三遊亭円右を襲名して真打昇進。9月封切りの東京映画制作「若夫婦なやまし日記」で映画初出演。このころから、明るく、アットホームな芸風で人気が出だし、新作一筋で「銀婚式」「日蓮記」などの人情もの、文芸路線のほか、師匠・今輔の「おばあさんもの」も継承し、「温泉おばあさん」「七夕おばあさん」ほかの創作落語がヒットする。

1970年:このころから、きれいに光りはじめた頭を看板に、出演した「エメロン石けん」や成人向け紙おむつ「アテント」のCMが大ヒット。たちまちテレビの人気者になる。

1973年:18年ぶりに松竹映画「喜劇 日本列島震度0」に、 落語家・遊遊亭円左役で出演。映画出演はこれが最後。

1976年:12月10日、師匠の古今亭今輔が死去(享年78)。
1995年:11月、テイチクエンタテインメントから、CD円右の艶笑落語(春夏秋冬・新活療法、銀婚旅行)発売。

2000年:前立腺がんを発病。以後、闘病を続けながら高座に上り続ける。

2006年:1月5日、池袋演芸場で「日蓮記」を演じ、これが最後の高座に。3月22日午後10時40分死去。享年82。

著書は?

1986年6月 「寄席界隈艶噺」(よせかいわいつやばなし) 三樹書房
1987年7月 「円右のなんともかとも艶噺」 三樹書房
1992年6月 「ちょっと内緒の艶噺」 三樹書房

ついでに

円右師匠の知られざる日常はこちら

初代と二代目の円右についてのエピソードは、こちら

円右のCD

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