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2006.05.30

梅若礼三郎(うめわかれいざぶろう) 落語

珍しい、お能の世界を描いてます。

梅若礼三郎という能役者。

ある時、老女の役がついたが、
どうしても歩き方の工夫が付かない。

神田明神に願掛けをして十二日目、
ふと見かけた老婆の足取りからコツがつかめたので、
喜んで礼を言うと
「手本を当てにしているようでは、いい役者になれない」
とさとされ、
「ああ、しょせん、オレは素質がない」
と、悟る。

それならいっそ太く短くと、
心を入替えて大泥棒として再出発。

金持ちから奪い、貧乏人に恵むという義賊として、名を上げた。

神田鍋町の背負い小間物屋の利兵衛。

三年以前から腰が抜けて商売にも出られず、
女房のおかのは、内職をしながら看病を続けていたが、
女の細腕で暮らしは支えきれず、亭主には願掛けと偽って、
心ならずも鎌倉河岸で物乞いをしていた。

北風の吹く寒い晩、もらいが少なく、
これでは亭主に粥をすすらせることもできない
と、途方に暮れていると、
黒羅紗(らしゃ)の頭巾、黒羽二重の対服に、四分一ごしらえの大小
という立派な身なりの侍が現れ、
ずっしりと重い金包みを手渡すと、そのまま行ってしまった。

数えてみると、小粒で九両二分。

貧乏人には夢のような大金。

おかのは観音さまの思し召しと大喜びしたが、
みだらなことをして得た金と疑われてはならないと、
亭主には言わず、一両だけ小出しにし、
残りは亭主の病気が治って商売を始める時の元手に
と、大切に仏壇の引出しに隠す。

それをのぞき見していたのが、
隣長屋に住む遊び人の魚屋栄吉という男。

「こいつはしまっておくのはもったいねえ、オレが使わせてもらう」
と、夜中に忍び込み、八両二分の金をまんまと盗み出して、
そのまま吉原は羅生門河岸の池田屋というなじみの女郎屋で大散財。

ところが、ふだんに似合わず太吉の金遣いが荒いので、
不審に思った見世の若い衆の喜助が主人に報告。

調べてみると、一分金に山型に三の刻印。

これは、芝伊皿子台町の金持ち三右衛門方から盗まれた六百七十両の一部で、
お上から布礼が回っていた金と知れ、
翌朝、いい気分で見世を出たとたん、たちまち太吉はお召し捕り。

すぐに利兵衛方から盗んだと白状に及んだので、
利兵衛の家に獲り方が踏み込む。

しかし、病人なのですぐにはしょっぴかず、
たまたま湯に行って留守だったおかのを急いで呼びにやり、
大家立ち会いの上でおかのから事情聴取すると、
侍から恵まれたとは言うものの、恩を受けた義理から、
頑として人相風体を隠し通したので、おかのはお召し捕り。

長屋の衆は、おかのの苦労を知っているだけに、
早くお解き放ちになるよう水垢離(ごり)を取って祈るが、
おかげで体が冷えきって、一杯やって温まろうと居酒屋に入って、
お上は血も涙もねえと憤っている話を、たまたま衝立一つ隔てて聞いていたのが、
三右衛門方に押し入り、おかのに金を恵んだ張本人の礼三郎。

善意でしたことが、かえって迷惑を及ぼしたことを悔やみ、
これより南町奉行・島田出雲守に名乗り出て、
貞女おかのの疑いを晴らす。

【うんちく】

円生十八番はタンカが売り物

「しじみ売り」と同じく、盗賊ものの人情噺で、
講釈ダネと思われますが、原話は不明です。

梅若礼三は、実在の記録はないので、あくまで
架空の人物ですが、梅若が自首した町奉行・
島田出雲守守政は実在しました。

ただし、記録では北町奉行で、寛文7(1667)年
~延宝9(=天和元、1681)年までの在任。
つまり、その時代の話という設定なのでしょう。

「磯の白波」と題した、明治23年4月の七代目
土橋亭里う馬(1848-1920)の速記が残り、同時代の
四代目橘家円喬、三代目三遊亭円馬も演じました。

里う馬、円喬の速記を基に、戦後、六代目三遊亭
円生が磨き上げたもので、昭和32年初演。

上中下三部に分かれ、発端から、魚屋太吉逮捕
までが上、おかの逮捕までが中。以下、幕切れで
礼三が自首するため、切れ目はいずれもお召し捕りの
場面となっています。円生の工夫でしょう。

円生は芸談で、取調べの八丁堀の切れのいい
「べらんめえ」を、評論家の故・安藤鶴夫に
ほめられたと自慢しています。

ライバルだった八代目林家正蔵も演じましたが、
円生在世中はほとんど同人の専売で、歿後は
門下の現・円窓が継承しています。

博徒が魚屋? の不思議

「猫定」にも登場しますが、遊び人はバクチ打ちで、
初めから博徒と知れればどこの大家も店を貸して
くれないので、表向きは魚屋と名乗っているわけです。

なお、背負い小間物屋は「小間物屋政談」、
両国の水垢離は「大山まいり」を、それぞれ
ご参照ください。

梅若って?

梅若家は能楽・観世流の流れをくむ名家です。

本家は梅若六郎を代々名乗り、1979年に歿した
五十五代目は芸術院会員でした。

その祖父・梅若万三郎(1868-1946)が大正9
(1920)年に独立して「梅若流」を起こしましたが、
それまではずっと観世流の一支流でした。

昭和32年、梅若宗家の若だんなが大映の映画俳優
「梅若正二」を名乗り、「赤胴鈴之助」シリーズで
人気を博したことがあります。

刻印(こっくい)って?

大判・小判、一分金などには偽造防止と、
出所が分るように、各家の紋所の焼印が
押されていました。これが刻印で、
江戸ことばで「こっくい」と発音されます。

盗賊は刻印のため足がつくので、強奪した
金をすぐには使えず、何年も隠して
「寝かせて」おかなければなりませんでした。

鍋町・鎌倉河岸・伊皿子台町

利兵衛・おかのが住む鍋町は現・千代田区神田鍛冶町
一、二丁目。鋳物師が多く住んでいました。

おかのが袖乞いをしていた鎌倉河岸は、現・千代田区
内神田二丁目、旧鎌倉町の外堀沿いの河岸で、
幕府草創期に、江戸城改装のための石材を、鎌倉から
船で運び、ここから荷揚げしたことからついた地名です。

梅若が六百七十両盗んだ芝伊皿子台町は、現・
港区高輪一、二丁目です。

四分一ごしらえって?

刀の装飾の金具に、朧銀、つまり銀一・銅三の
合金が使われているものです。

実在した? 梅若礼三郎

といっても、こちらは昭和の時代劇俳優。
昭和初期には阪妻プロの主役級で、1927年から
57年ごろまで、50本以上の映画に出演しました。

前身が梅若流の能役者の出なのか、この噺から
芸名を付けたのかは分りません。

「梅若礼三郎」が「梅若礼三郎」を演じていれば
面白かったのですが、残念ながらそうした
映画の記録はありません。

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