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2006.06.08

近江八景(おうみはっけい) 落語

ちょいとオチが苦しいですが、けっこう笑えます。

ある男、ゆうべ吉原に繰り込んだ兄弟分に、
その同じ店の、自分の馴染みの女郎の様子を
根堀り葉掘り、しつこく聞いてくる。

その女とは年期が明ければ夫婦になると
口約束はしてあるものの、そこは女郎のこと、
自分が行かない時に何をしているか、
気になってたまらないわけ。

案の定、別に色男がいるらしいと聞いて、
兄さん、カンカン。

しかもその色男、白雪姫ではないが、
色白で髪黒々と、目がぱっちりとして男振りもよく、
背が高くもなく低くもなく、
という、まあ、ライバルとしては最悪。

なお悪いことに、女は目下この男に血道をあげ、
牛を馬に乗り換えて、夫婦約束まで取り交わしているという情報。

「おまえのツラじゃあ血道は上がらないわ。
女の血道があばら骨で止まるね。
おまえのは道普請ヅラ、市区改正ヅラ」

兄弟分にまで言われ放題。

男は顔じゃねえと強がってみても、
内心はカリカリなので、
女の本心を、横丁の占いの名人に見立ててもらうことにした。

易者の先生、
おもむろに算木筮竹(ぜいちく)をチャラチャラさせ、

「えー、出ました。易は沢火革。
革は改めるということだから、
おまえさんのところにこの女が来年の春には来るね」

さあ、男は大喜び。

「聞いたか、オタンチンめ。
アッタカクだ。アッタカクってえのは、
女房来ればお粥を炊いて暖まるってこった。ざまあみろ」

ところがまだ続きがあった。

「ああ、お待ち。
沢火革を変更すると水火既済となる。
つまりだ、来るには来ても、
ほかに夫婦約束をした者がいるから、
しまいには出ていくから、まあおあきらめなさい」

「ベラボウめ。何が名人だい。
せっかく暖めといて、勝手に変更されてたまるか。
だいいち、そのスイカキセイってのが気に入らねえ。
てめえ、八卦見だってんなら、近江八景で見てくれ。
さもなきゃ道具をたたっこわすぞ」
と、女から来た
「あんたを一目三井寺から、心は矢橋にはやれども」
という近江八景尽くしの恋文を突きつける。

脅されて先生、しかたなく
「それではこの易を近江八景で見ようなれば、
女が顔に比良の暮雪ほどお白粉を付けているのを、
おまえは一目三井寺より、
わがものにしようと心は矢橋にはやるゆえ、
滋賀唐崎の夜雨と惚れかかっても、先の女が夜の月。
文の便りも堅田より、気がそわそわと浮御堂、
根が道落雁の強い女だから、どう瀬田いはまわしかねる。
これは粟津に晴嵐がよかろう、おい待った、帰るなら見料を、
おアシを置いておいで」

「近江八景には膳所(ぜぜ=金)はねえ」

【うんちく】

やはり、上方の発祥

原話は不詳で、同題の上方落語を東京に移植したものです。
上方落語研究家の故・宇井無愁は、この噺の類話として、
安永10(1781)年刊「民話新繁」中の
「鞜の懸(くつのかけ)」を挙げています。

これは、鞜(=靴)屋の手代が、
さる公家のところへ盆前の掛取りに行くと、
公家が、手代が持参した主人の書付を見て、
「書出す十三匁(もんめ)鞜の代、内二百文七月に取る」
と、和歌になっていたので喜び、さっそく、
「近江路や鞜の浦舟かぢもなく膳所の松原まはるまで待て」
要するに、ゼゼができるまで待て、と返歌したという
能天気な話ですが、「膳所」と「ゼゼ」の駄ジャレということ以外、
「近江八景」との関連性ははっきりしません。

上方のやり方では、松島遊廓の紅梅という女に惚れた男が、
大道易者に見立ててもらう筋です。
艶書になっている近江八景づくしも、
東京の易者のより名文で、
 
恋しき君のおもかげを、しばしがほどは見い(三井)もせで、
文の矢ばせの通い路や、心かただ(堅田)の雁ならで、
われからさき(唐崎)に夜(寄る)の雨……

といった名調子です。

風流すぎて? 継承者なし

東京では、明治の四代目春風亭柳枝が手掛け、
移植したのはこの人では、とも見られますが、不明です。

次いで古いところでは、
六代目林家正蔵(今西の正蔵、1929年没)の、
おそらく大正初期の吹き込みによるレコードが
残されていますが、これは珍品、骨董品の部類。

昭和以後では、六代目三遊亭円生が得意にし、
「円生百席」にも録音している通り、
いかにも円生好みの粋できれいな噺です。
三代目三遊亭金馬、五代目三升家小勝も
たまに演じ、金馬のレコードもありますが、
あまりに風流すぎ、今では手を出す人はいないでしょう。

近江八景って?

近江八景は整理すると、
「三井寺の晩鐘」
「石山の秋月」
「堅田の落雁」
「粟津の晴嵐」
「矢橋の帰帆」
「比良の暮雪」
「唐崎の夜雨」
「瀬田の夕照」
の八つ。

「堅田の落雁」は「浮御堂」と変わることがあります。
初代安藤広重の続絵が有名です。

洒落のうち、「心が矢橋(やばせ)」は、
「心だけがあせって矢のように
(相手の所に)走る(=馳せる)」を掛けたもの。

「唐崎の夜雨と惚れかかる」は「雨が降りかかる」の駄ジャレ。
「粟津に晴嵐」は「逢わずに添わん」の地口。

「膳所」=ゼゼは、もちろん銭の幼児語と掛けてあるわけですが、
膳所(現・滋賀県膳所市)が近江八景に入っていないので、
このオチが成立するわけです。

「瀬田いは廻しかねる」は、「世帯が回しかねる」、
つまり家計がピンチということですが、
「瀬田が唐橋(=世帯が空走り。金欠のこと)」
とする場合もありました。

円生好みの粋な味わい

この噺、易の名人が登場する長編人情噺「ちきり伊勢屋」
(近日アップ予定)の冒頭によく似ているので、
六代目円生は、「円生全集別巻」の補説で、
あるいはこの噺は、「ちきり伊勢屋」の前半を独立させた上、
近江八景の部分を後から付けたものではないかと述べています。

ところで、円生の「掛取り万歳」には、芝居好きの酒屋に
近江八景づくしで借金の言い訳をする場面があります。

その項と重複しますが、以下、そのやり取りをノーカットで。

主:「その言い訳はこれなる扇面」
酒:「なに、扇をもって言い訳とな……『雪はるる、比良の高嶺の夕まぐれ、
花の盛りを過ぎし頃かな』……こりゃこれ、近江八景の歌。この歌もって、
言い訳とは」
主:「心やばせと商売に、浮御堂(=憂き身を)やつす甲斐もなく、
膳所(=ゼゼ)はなし城は落ち、堅田に落つる雁(かりがね=借り金)の、
貴殿に顔を粟津(=合す)のも、比良の暮雪の雪ならで、消ゆる思いを
推量なし、今しばし唐崎の」
酒:「松で(=待って)くれろというなぞか。シテ、その頃は?」 
主:「今年も過ぎて来年の、あの石山の秋の月」
酒:「九月…下旬か」
主:「三井寺の鐘を合図に」
酒:「きっと勘定いたすと申すか」
主:「まず、それまではお掛取りさま」
酒:「この家のあるじ八五郎」
主:「来春お目に」
両人:「かかるであろう」

明らかにこの入れごとは、
「近江八景」の趣向を取り入れたものでしょう。

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