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2006.08.07

お七の十(おしちのじゅう)  落語

題名は「お七」に似ているのですが、ぜんぜん違う噺。ばかばかしいだけ。

本郷の八百屋の娘・お七は、
駒込吉祥院の寺小姓・吉三といい仲になり、
離ればなれになりたくないばっかりに自宅に放火し、鈴が森で火あぶりに。

それを聞いた吉三は悲しみ、生きていてもしかたがないと、
吾妻橋から身を投げてお七の後を追い、地獄へ。

そこで巡り合った二人。

「そこにいるのはお七か」
「吉三さん、会いたかった」
と、抱き合ったとたんに、ジュウッという音。

お七が火で死んで、吉三が水で死んだから、火に水が掛けられてジュウ。
女が七で男が三だから、合わせて十。

そのうちに、お七の亡霊が毎晩鈴が森に出没するというので、
世間の評判になった。

たまたま、ある夜、通りかかった侍、いきなり幽霊に出くわして、
「うらめしい」
とやられたので怒り、
「おまえに恨みを受けるいわれはない」
と、お七の幽霊の片手と片足を斬り落とした。

お七が一本足で逃げだすので
「その方、一本足でいずこへ参る」
「片足(あたし)ゃ、本郷へ行くわいな」

【うんちく】

悲劇のお七伝説 

史実・伝説ともに諸説入り乱れています。

浄瑠璃・歌舞伎などで一般に語られているのは、
お七は駒込片町の八百屋・久兵衛の娘で、絶世の美女。

数え十六歳の天和元年(1681)、火事で自宅が焼け、
駒込吉祥院(現・文京区本駒込三丁目)に
一家で仮住まいしている時、
そこの寺小姓吉三郎と恋仲になります。

翌年夏、家の新築が成って吉三郎(吉三)と
離れ離れになるのを悲しみ、
また家が焼ければ寺に戻れると思い詰め、
その年の暮れ、ついに自宅に放火。
捕らえられて天和3年(1683)旧暦3月29日、
鈴が森で火刑になったというものですが……

実際は、お七の一家は天和2年2月の
本郷丸山火事で焼け出され、菩提寺の本郷浄心寺坂
(現・文京区向丘一丁目)・円乗寺に寄宿、
そこに、家督相続のごたごたからかくまわれていた、
神田お玉ケ池の旗本の伜・小堀左門と
恋仲になったというのが、そもそもの発端のようです。

「江戸のジャンヌ」はバカ正直

実録の吉三というのは恋人ではなく、
寺の湯灌場買い(死人の着物を買う商売。→「お七」)、
一説に地回りのヤクザともいわれ、
火事場泥棒が目的でお七に近づき、
放火をそそのかした張本人とされます。

また一説には、お七と円乗寺住職その人との
スキャンダルも絡んでいるというので、
ことはややこしくなります。

お七の出生年、家のあった場所、父親の名前から
恋人の名前、出自まで全て複数の説があり、
真相は闇の中。

ただ、お七の起こした火事が天和2年12月28日で、
本郷から川向こうの本所一体まで焼いた大火になったため、
若年とはいえ(事件当時数え十七、寛文6=
1666年丙午生まれ)、情状酌量の余地なく、
火盗改め中山勘解由の裁きで
火刑となったというのは確かなようです。

これも風説では勘解由が情けをかけ、白州で
「そちは(刑事責任免除の)十四であろうな」
と、何度も問いただしたのに、
頭がクリスマスのお七は意味を察せず、
「いいえ、あたいは十五(または十六)です」
と言い張ったため、結局かばいきれなくなり、
あえなく火あぶりになった、というのですが、
年齢も含め、真偽は不明です。

文芸・芸能とお七事件

お七の一件は、年端もゆかない早熟な美少女が
恋に狂って放火、丸焼きにされるという
センセーショナルな事件だったため、
井原西鶴が「好色五人女」で小説化したのを皮切りに、
歌舞伎・浄瑠璃・戯作など
あらゆるジャンルで取り上げられました。

特に浄瑠璃では、処刑後一世紀近くを経た、
安永2年(1773)初演の菅専助作「伊達娘恋緋鹿子」
(だてむすめこいのひがのこ)が有名です。

その中の、お七が火の見櫓に登って
火事告知の太鼓を打ち、
町の木戸を開けさせて吉三に逢いに行くシーンは
歌舞伎舞踊「京鹿子娘道成寺」に脚色され、
四代目岩井半四郎が大評判を取りました。
                    
最近の小説では、お七の恋の一途さを描いた
島村洋子の好短編「八百屋お七異聞」があります。
また、古くは岡本綺堂の怪異掌編「夢のお七」があり、
これは、上野の戦いで敗れ、落武者となった彰義隊士が、
夢にくりかえし現れたお七の霊告によって
危うく命を永らえるという奇譚です。

落語では、「お七」「お七の十」ほか「強情灸」
「神道の茶碗」「本堂建立」でも取り上げられています。

お七の古跡

舞台の寺もいくつかが本家争いをしており、
そのため各地に供養塔が残っています。

代表的なもので、駒込吉祥院の比翼塚、
円乗寺の供養塔とお七延命地蔵、
処刑の地・鈴が森に近い密巌院(現・大田区大森三丁目)の
お七地蔵などが、今なお残っています。

演者など

落語としての原話は不詳です。

戦後、「恋の山手線」で一世を風靡した先代柳亭痴楽が
数少ない古典の持ちネタとして得意にしていましたが、
残念ながら音源はなく、現在は後継者もありません。

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