« 柳家小せん(四代目) | トップページ | 金魚の芸者(きんぎょのげいしゃ) 落語 »

2006.10.14

狂歌家主(きょうかやぬし) 落語

これは狂歌噺。全編、洒落が効いています。

ある年の大晦日、
正月用の餅つきを頼む金がないので、朝からもめている長屋の夫婦。

隣から分けてもらうのもきまりが悪いので、
大声を出して餅をついているように見せかけた挙げ句、
三銭(三百文)分、つまりたった三枚だけお供え用に買うことにした。

それはいいのだが、
たまりにたまった家賃を、今日こそは払わなくてはならない。

もとより金の当てはないから、
大家が狂歌に凝っているのに目を付け、
それを言い訳の種にすることで相談がまとまった。

「いいかい、『私も狂歌に懲りまして、
ここのところあそこの会ここの会と入っておりまして、
ついついごぶさたになりました。
いずれ一夜明けまして、松でも取れたら目鼻の明くように致します』
というんだよ」

女房に知恵を授けられて、言い訳に出向いたものの、
亭主、さあ言葉が出てこない。

「狂歌を忘れたら、千住の先の草加(そうか)か、
金毘羅様の縁日(十日=とうか)で思い出すんだよ」
と教えられてきたので、試してみた。

「えー、大家さん、千住の先は?」
「婆さん、どうかしやがったなこいつは。竹の塚か」
「そんなんじゃねえんで、金毘羅さまは、いつでした?」
「十日だろう」
「そう、そのトウカに凝って、大家さんは世間で十日家主って」
「馬鹿野郎、オレのは狂歌だ」

大家が、
「うそでも狂歌に凝ったてえのは感心だ。こんなのはどうだ」
と、詠んでみた。

「玉子屋の娘切られて気味悪く魂飛んで宙をふわふわ」

「永き屁のとほの眠りの皆目覚め並の屁よりも音のよきかな」

「おまえも詠んでみろ」
と、言われた。

「へえ、大家さんが屁ならあっしは大便」
「汚いな、どうも。どういうんだ」

「尻の穴曲りし者はぜひもなし直なる者は中へ垂れべし」

これは、共同便所に大家が張った注意書きそのまま。

「それだから、返歌しました」
「どう」
「心では中へたれよと思えども赤痢病ならぜひに及ばん」

だんだん汚くなってきた。

「どうだい、あたしが上をやるから、おまえが後をつけな。
『右の手に巻き納めたる古暦』
どうだい?」
「餅を三百買って食うなり」
「搗(つ)かないから、三百買いました」

【うんちく】

原話は元禄ケチ噺

最古の原話は、元禄5(1692)年刊の大坂笑話本
「かるくちはなし」巻五中の「買もちはいかい」です。

これは、金持ちなのに正月、自分で餅を搗(つ)かず、
餅屋で買って済ますケチおやじが、元旦に
「立春の世をゆずり葉の今年かな」
という句をひねると、せがれが、
「毎年餅を買うて食ふなり」
と、付け句をします。

おやじが、
「おまえのは付け句になっていない」
と言うと、せがれ、
「付かない(=搗かない)から買って食うんだろ」

ここではまだ、現行のオチにある、
「(狂歌が)付く」=「(餅を)搗く」のダジャレが
一致するだけです。

狂歌って?

狂歌は、こっけい味や風刺を織り込んだ和歌です。

起源は平安期にまで遡りますが、
古い記録はあまり残っていません。

これは、内容が内容だけに、歌壇をはばかって
「言い捨て」(=記録しない)にされることが
多かったためでしょう。

室町から安土桃山時代に好まれ、
豊臣秀吉も狂歌を楽しんだといいます。

江戸時代につながる近世狂歌は、
貞門俳諧の祖・松永貞徳(1571-1653)によって
京都で創始されました。

江戸の狂歌

江戸ではずっと遅く、明和6(1769)年、
唐衣橘洲(からごろも・きっしゅう、1743-1802)が
自宅で狂歌の会を催したのが始まりとされます。

初期の狂歌は、古歌のパロディーが主だったので、
歌の素質のある御家人や上層町人の間に広まり、
狂歌合わせなども安永・天明期(1772-89)にかけて
盛んに催されました。

なかでも、太田南畝(おおた・なんぽ、1749-1823)は
「狂歌の神様」的存在。

四方赤良(よもの・あから)、のちに、蜀山人(しょくさんじん)
とも称しました。

幕末になると、この噺にも見られるように
きわめて卑俗化しました。

狂歌噺としては、
ほかに「紫壇楼古木」「蜀山人」「狂歌合わせ」などがあり、
「掛取万歳」の前半でも、狂歌で家賃を断るくだりがあります。

古くから親しまれた噺

原話は上方のものですが、噺としては純粋な江戸落語です。

古い噺で、文化年間(1804-18)に初めには、
もう狂歌噺として口演されていたようです。

明治期の速記も、けっこう残っており、
「三百餅」または「狂歌家主(いえぬし)」の題で、
四代目橘家円喬(明治29年)、初代春風亭小柳枝(同31年)、
三代目蝶花楼馬楽(同41年)のものがあります。

初代小柳枝の速記はかなり長く、大家が
「踏み出す山の横根(ヨコネ=性病)を眺むれば
うみ(=海と膿)いっぱいにはれ渡るなり」
とやれば、亭主が
「『淋病で難儀の者があるならば尋ねてござれ神田鍛治町』、
これは薬屋の広告で」と返したり、
大家が蜀山人先生の逸話を長々と披露する場面があります。

別題の「三百餅」はもちろんサゲからきた演題ですが、
この三百は餅代、三百文のこと。

最近は餅の部分までいかず、
滑稽な狂歌の応酬で、短く切る場合もあります。

|

« 柳家小せん(四代目) | トップページ | 金魚の芸者(きんぎょのげいしゃ) 落語 »

落語のあらすじ 」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/60017/12276222

この記事へのトラックバック一覧です: 狂歌家主(きょうかやぬし) 落語 :

« 柳家小せん(四代目) | トップページ | 金魚の芸者(きんぎょのげいしゃ) 落語 »