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2006.10.23

廓大学(くるわだいがく) 落語

廓中毒の若だんなを描いてます。

若だんなが吉原に入り浸りで、
もう堪忍袋の緒が切れたと、
親だんなが勘当しようとするのを番頭が止め、
若だんなは反省して、
今二階に閉じこもって漢学の「大学」の素読をしているので、
今度だけは勘弁してやってほしいと取りなす。

おやじも、真面目になってくれるのなら言うことはないと、
二、三日ようすを見ることにした。

初めは改心を装っていた若だんなも、
時がたつと、だんだん本性を現し、
我慢すればするほど吉原が恋しくなる。

俺くらいになると、吉原中の人間に顔を知られている、
と、モテにモテた日々を回想し、
吉原の車屋は威勢がよかったとか、
山谷から船で芸者を連れて遊びに出たら、
帰りが遅いと見番(廓の出入りの管理者)に文句を言われたが、
廓の世話人の久兵衛に取りなしてもらったとか、
吉原では番頭新造が花魁(おいらん)の懐を握っているとか、
禿(かむろ)は居眠りすると相場が決まっているなどと、
次から次へと思い出すたびに、
矢もたてもたまらなくなって、思わず大声を張り上げてしまう。

それを聞きつけたおやじ、二階に上がってきて
「このばか野郎。番頭が、おまえは大学の素読をしていると言うから覗いてみれば、
とんでもないことをしゃべってやがる」
「えー、おとっつぁん、私はこれで大学の素読をしてましたんで」
「なんだい、これは。大変小さい本だねえ」
「へえ、廓大学と申します」

実は、「吉原細見(よしわらさいけん)」という案内書。

若だんな、ここで勧進帳(かんじんちょう)よろしく、
大学と見せかけて読み上げる。

「大学、朱憙(しゅき)章句、
ご亭主の曰く、大学の道は道楽を明らかにするにあり、
金を使わすにあり、自然に止まるにあり、と」

大学のパロディーを展開して、おやじをケムにまく。

おやじが、なんだか怪しいと本を取り上げてみると、「松山・玉章」(花魁の名)。

「なんだ、マツヤマタマズサってえのは」
「おとっつぁん、そうお読みになっちゃいけません。
ショウザンギョクショウ。ともに儒者の名です」
「変な先生方だねえ。どこにいるんだ」
「行ってみなさい。ズラリと格子の内に並んでます」

【うんちく】

「大学」って?

「郭大学」の「大学」は、もちろんカレッジではなく
儒教の経典で「四書(ししょ)」の一つです。

「礼記」の一編で、朱熹(しゅき=朱子、1130-1200)が
注釈、改定しました。

政治の理想と士太夫のあるべき姿を示すもので、
朱子学一辺倒の旧幕時代には、
支配階級である武士の必修テキストでした。

若だんなの読み上げるのは、そのパロディー。

儒教道徳の要であるガチガチの学術書を
軟派の極の、女郎買い指南にすり替えたあたり、
この噺の「作者」の、並でない反骨精神が感じられます。

吉原細見って?

正しくは「新吉原細見記(さいけんき)」で、
吉原廓内の娼家、揚家、茶屋と遊女名が
詳細に記された、絵図つき案内書です。

毎年タイトルを変えて改定され、
延宝年間(1673-1681)から大正5(1916)年まで、
二百三十余年にわたって発行され続けました。

安永4(1775)年版の「籬(まがき)の花」、
天明3(1783)年版の「五葉松」などが有名です。

「盲小せん」の十八番

明治中期まで、二代目柳家(禽語楼)小さんが得意にし、
そのうまさは折り紙つきだったといいますが、
速記は残されていません。

小さんは士族出身で、武張った噺がうまかった人。
もちろん幼時には、「大学」の素読くらいさせられたでしょうから、
こういうパロディは、お手の物だったでしょう。

大正期には、廓噺の完成者である
「盲小せん」こと、初代柳家小せんの十八番でした。

小せんは、二代目小さんの孫弟子です。

現存する小せんの速記は、大正8(1919)年9月に、
小せんの遺著として出版された、
「廓ばなし小せん十八番」に収録されています。

国宝級の貴重文献

特に、若だんなが吉原の回想をする、
小せんの次のようなくだりは
今では貴重な文化的資料(?)といえます。

「昔は花魁がお客に無心をする、積夜具(注=客が女郎と
なじみになったしるしに、新調の夜具を積み重ねて飾る)を
あつらえることも出来ないから、本床(ほんどこ)を
あつらえてやらうてえんで床を拵(あつら)えて呉(く)れると、
不断(=普段)は何様(どんな)に振られてゐ(い)るお客でも、
其の晩だけは大切にされたもんだとかいふ(う)ね、
実に吉原といふ(う)ところは不思議なところだねえ」

「車と言えば、吉原の車と町車とは違ふ(う)ね、
堤(注=吉原の日本堤という土手)の車なんと来た日には
威勢がいいんだからなア」

「車」は人力車のこと。
このウンチク、読むだけでも骨が折れますね。

教とともに絶えた噺

原話は寛政8(1796)年刊の創作小咄本
「喜美談語」中の「学者」です。

これは、吉原に入りびたりのせがれを
おやじが心配し、儒者の先生に意見を頼みます。

ところが、若だんなもさるもので、
自分のなじみの女郎は博学の秀才で、
「和漢の書はおろか、客の鼻毛まで読みます」
などと、先生をケムにまくものです。

落語としても、演ずるにも聴くにも、
儒教の基礎知識くらいは必要なので、
明治のころも、誰でもやれたわけではないでしょう。

前記の小せん没後は、後継者はありません。

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