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2006.10.01

祇園会(ぎおんえ)  落語

京都を舞台にした噺です。

江戸っ子の熊五郎、
友達三人で、京都の知人を頼って都見物にやってきたが、
あいにくの旅疲れか、患ってしまい、
長引いたので、友達二人は先に江戸に帰り、
一人残って養生するうち、三月ほどしてようやく動けるようになった。

折しも夏にかかり、祇園祭が近づくころ、
一ぺん、話の種に見たいと思っていたので、
当日、知人の案内で、祇園新地の揚屋(あげや)の二階を借りて見物することに。

連れは京者が二人、大坂者が一人と江戸っ子の熊、つごう四人。

ところが、江戸の祭と違い、
山車(だし)の出が遅くて、
四ツ(夜十時過ぎ)を過ぎてもまだ来ないので、
熊五郎はイライラ。

ようやくコンチキチンと鉦(かね)の音が聞こえ、
山鉾(やまぼこ)、薙刀鉾(なぎなたぼこ)、錦鉾(にしきぼこ)と
にぎやかに繰り出してきたが、
京者の源兵衛が、早くも自慢タラタラ。

やれ、あの鉾は太閤秀吉はんが緞帳(どんちょう)に使いなはったとか、
森蘭丸はんが蘭奢待(らんじゃたい)の名香をたきつめなはって、
一たき千両とか、
講釈を始めたから、熊さんはおもしろくない。

いくら古いか知らないが、
あっしゃあこんなまだるっこい山車はたくさんだとタンカを切り、
それより芸妓を一人買ってみてえ、と要求した。

ところが年一度の祭礼のこと、
こんな日に茶屋に残っている芸妓にはろくなのがおまへん、
という。

それでも、たった一人いるにはいるが、
その女、欲が深くて、
来る客来る客に商売に応じてあれが欲しい、
それが欲しいとねだりごとばかりするので評判悪く、
とても座敷に出せないと茶屋の女将が渋るのを、
熊五郎が、
ねだってもとてもやれないような商売を言うことにしようと提案したので、
それはおもろい、とみんな賛成する。

現れたのが、亀吉という芸妓。

年増(としま)だが、
鴨川の水で洗いあげ、なかなかいい女。

ところが、案の定、いきなり、
お客はん商売は何どすときたから、一同呆れた。

源兵衛が飛脚屋だと言うと、
わての客が名古屋にいるよって、手紙を届けておくれんか、ときた。

もう一人が石屋だと言うと、父親の七回忌だから、
石碑を一本タダで、というずうずうしい願い。

「江戸はん、あんた商売は何どす?」
「聞いて驚くな。オレは死人を焼く商売だ」
「そうどすか。おんぼうはんにご無心がおます」
「おんぼうに無心とは何だ」
「あてが死んだらな、タダで焼いとくれやす」

【うんちく】

連作長編シリーズの完結編

三人旅(発端・神奈川)」の
古くからある江戸落語の連作長編、
「三人旅」シリーズの終わりの部分です。

昔は、東海道五十三次の宿場一つ一つについて
噺が作られていたといわれますが、
現在では「発端(神奈川)」、「鶴屋善兵衛(小田原)」と
この「祇園会」(京見物)しか残っていません。

この噺は別題が多く、「祇園祭」「京見物」「東男」
「京阪見物」「京阪土産の下」「およく」
などとも呼ばれます。

三つのエピソードで構成

部分によって原話が異なり、前半の京見物のくだりは、
天保年間(1830-44)刊の笑話「如是我聞」中の
「都人」がルーツとみられます。

あらすじでは略しましたが、三人組が祇園の茶屋に入る前に
見せ物小屋見物などで失敗する場面がつくことがあり、
そこだけ演じる場合は「東男」と題されます。

最後の部分が「およく」(お欲か?)の題名で
独立して演じられることもありました。

さらに、京の宿屋で江戸っ子が絵師になりすまして
京者、大坂者の二人をへこます
三都三人絵師」も元はこの噺の一部で、
「東男」と「祇園祭」の間にきたといいます。

いや、ややこしいことですが、
上方落語の「東の旅」「西の旅」シリーズと同じく、
本来、筋のつながりの薄い別々のエピソードを寄せ集めた
オムニバスと考えていいでしょう。

さまざまなやり方・演者

長い噺のため、演じ手によって
やり方や切り取り方が異なります。

のち二代目柳家つばめになった
明治の四代目柳家小三治は、「京見物」の題で
普通はほとんど演じられない「東男」の部分だけを
皮肉にも速記に残しました。

三代目春風亭柳枝(1900年没)は
「東男」と「三都三人絵師」を「京阪見物」、
「祇園祭」と「およく」を「京阪見物・下」と分けていました。

柳枝の「東男」では、四条河原のインチキ見世物見物の後、
堺に行って妙国寺の大蘇鉄を見せられ
「東京へ帰んなはったら土産話にしなはれ。これが名代の
妙国寺の蘇鉄だす」「なんだ、オレはまたワサビかと思った」
とサゲています。

名人の四代目橘家円喬は、
「およく」の部分が特にうまかったとか。

昭和期では八代目春風亭柳枝が十八番とし、
「祇園祭の」と一つ名でうたわれました。

祇園新地って?

寛文10(1670)年、鴨川の改修にともなって
祇園新地外六町が開かれ、芝居町と祇園町が結ばれて
煮売り茶屋、旅籠屋、茶屋などの名目で、
公許遊郭の島原と違い、
気楽に遊べる遊興地として発展しました。

享保17(1732)年、正式に茶屋渡世が公認され、
旧祇園町、新地を併せて
現在の「祇園」が成立しています。

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