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2006.10.22

汲みたて(くみたて) 落語

町内の連中のすったもんだを描いた噺です。

町内の連中が、美人の常磐津(ときわづ)のおっ師匠さん目当てに、
張り合って稽古に通っている。

なぁに、常磐津などはどうでもいいので、
気に入られていいことがしたい、ただそれだけ。

それだけに嫉妬(しっと)が渦巻き、
ライバルに対する警戒は相当なもの。

「野郎が四度稽古してもらったのに
なんでオレはまだ二度なんだ」
とか、
「膝と膝を突き合わせて、
間違えたらツネツネしてもらえるから、
唄より三味線を習おう」
とかいうような、不心得者も出る。

ところが、留さんが、
「師匠はどうやら建具屋の半公とできてるらしい」
という情報を持ってきたので、一同、顔色が変わる。

なんでも、
師匠の部屋へ通ってみると、
半公が主人然として、師匠と火鉢越しのさし向かい。

火鉢が真ん中。

半公向こうの師匠こっち、師匠こっち半公向こう。

やがて半公がすっと立つと、師匠もスッ。

ぴたっと障子を閉めて、中でコチョコチョと二人じゃれついていた
というから、穏やかではない。

そこで、今、師匠の家に手伝いに行っている与太郎を捕まえて
聞きただすと、案の定、このごろ、半公がちょくちょく泊まりに来る、という。

ある日、二人が大げんかして、
半公が師匠の髪をつかんでポカポカなぐったが、
その後、師匠が
「いやな奴に優しくされるより、好きな人にぶたれた方がいい」
と、抜かしたそうな。

そういえば、与太郎、今日はいつになくいい身なりをしているので、
聞いてみると、
「師匠と半公のお供で柳橋から船で夕涼みだ」
という。

「おっ師匠さんが『あの有象無象(うぞうむぞう)どもが来ると、
せっかくの気分が台無しだから、内緒にしておおき』って言ってた」
「何だ、その有象無象ってえなあ」
「うん、おまえが有象で、こっち全部無象」
「こんちくしょうめっ」

あんまり人をばかにしてやがるから、
これから皆で押しかけて、
逢瀬(おうせ)をぶちこわしてやろうじゃねえか
と、すぐ相談がまとまった。

半公の野郎が船の上で、
師匠の三味線で自慢のノドをきかすに違いないから、
こっちも隣に船を寄せて、鳴り物をそろえてドンチャカドンチャカ、
馬鹿囃子でじゃましてやろう、というわけ。

逃げたらどこまでも追いかけていって、
半公がなにかぬかしたら、かまわないから袋だたきにしちまおう
と、いう算段。

さて数刻後、船の中。

半公がいよいよ端唄(はうた)をうなり出すと、
待ってましたとばかり隣からピーヒャラドンドン。

そのうるさいこと。

「やあ、おっ師匠さん、見てごらん。有象無象が真っ赤になって太鼓をたたいてら」
「うるせえ、てめえじゃ分からねえ。半公を出せ」
「なんだ、なんだ。師匠とどういう仲になろうと、
てめえたちの指図は受けねえ。糞でもくらやあがれ」
「おもしれえ。くってやるから持ってこい」

やりあっていると、間に肥船がスーッ。

「汲み立てだが、一杯あがるけえ?」

【うんちく】

「八笑人」の懲りない面々

オチの部分の原話は、滝亭鯉丈(1777?-1841)作の滑稽本、
「花暦八笑人」三編下(文政6=1823年刊)です。

「八笑人」は落語「花見の仇討ち」のネタ本でもあり、
いわばこれは、その続編の一部。

あの能天気な連中が、また懲りずに、
妙ちくりんな趣向を思いつきます。

これはその一人・卒八が考えた納涼の趣向で、
両国橋ぎわに小船と屋根舟を出し、
仲間が両方に分かれてののしりあうというもの。

卒八「サア両方でくそをくらえ、 イヤうぬ(=おまえ)くらえ、
われくらえと、いいつのっている中へ、
おれが、糞(こえ)船を憑(たの)んで、上乗(うわのり)をして、
グツと中へのり込(こん)で、
サア汲(くみ)たてあがらんかあがらんかというが、
お(落)ちだがどうだろう」

というわけで、オチがついた馴れ合い狂言を仕組むのですが、
あまりに下品というのでこれは中止。

改めて、両国橋から身投げのふりで飛び込むという
人騒がせをやらかすことになります。

「八笑人」と鯉丈については、「花見の仇討ち」を。

六代目円生の極めつけ

明治から大正にかけ、俗に品川の円蔵と呼ばれた
四代目橘家円蔵が高座にかけました。

記録は明治30(1897)年の円蔵の速記が最古で、
その没後は、門下の五代目三遊亭円生、
孫弟子の六代目円生へと継承されました。

もっとも、円蔵もあまり演じなかったので、
円生は、初代三遊亭円右の速記などで覚えたと語っています。

戦後は、円生の独壇場で、極めつけの十八番でした。

常磐津の素養がないとできない噺なので、
円生没後は弟子の円楽がたまにやるくらいで、
あとはほとんど演じ手がありません。

下心みえみえの「蚊弟子」
               
常磐津のお師匠さんは、「百川」始め、
落語にはちょくちょく登場します。

「オシサン」または「オッショサン」と発音しますが、
落語で師匠というと、美人でおつな年増ときまっています。

そこで、我こそは師匠としっぽりと……
と、よからぬ下心で「経師屋連」(師匠を張り合う意味)が
わいわい押しかけ、騒動を起こすわけです。

中には「蚊弟子」といって、暑いので、涼みがてら
夏のうちだけ稽古にくる手合いもあったとか。

江戸末期には、各町内に一人は遊芸の師匠がいたもので、
清元、常磐津、長唄、歌沢などさまざまでした。
何でもござれ教える師匠も中にはいて、それを俗に
五目(寿司の五目から)の師匠と呼んだものです。

肥船って?

葛飾、市川あたりの在から肥を仲買し、取り仕切る渡世人の組織は、
香具師、博打等と並んで一種の治外法権を持ち、
中でも葛西の肥汲みは、江戸の裏社会に
隠然たる勢力を持っていました。

彼らが「ストライキ」をすれば、
大名から長屋の町人に至るまで、肥の引き取り手がなく、
たちまちに往生することになるわけです。

集めた肥を船で運ぶようになったのは、
永代橋が落下する大惨事(文化4=1807年)のあと、
橋を荷車が通れなくなったからだといいます。

船は出ませんが、肥汲みが登場する落語には、
ほかに「法華長屋」があります。

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