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2006.11.03

甲府い(こうふい) 落語

奇妙なタイトルです。つけようがなかったんでしょうかね。

甲府育ちの善吉。

早くから両親をなくし、伯父夫婦に育てられたが、
今年二十になったので、江戸に出てひとかどの人間になり、
育ての親に恩を返したいと、
身延山に断ち物をして願を掛け、上京してきたが、
生き馬の目を抜く江戸のこと。

浅草寺の境内で巾着(きんちゃく)をすられ、無一文。

腹を減らして市中をさまよったが、
これではいけないと葭町(よしちょう)の
千束屋(ちづかや)という口入屋(くちいれや)を目指すうち、
つい、とある豆腐屋の店先でオカラを盗みぐい。

若い衆が袋だたきにしようというのを、主人が止め、
事情をきいてみると、
これこれこういう訳と涙ながらに語ったので、
気の毒に思い、ちょうど家も代々法華宗、
これもお祖師さまの引き合わせだと、善吉を家に奉公させることにした。

仕事は、豆腐の行商。

給金は出ないが、商高の応じて歩合が取れるので励みになる。

こうして足掛け三年、影日向なく懸命に
「豆腐ィ、胡麻入り、がんもどき」
と、売って歩いた。

愛想がよく、売り声もなかなか美声だから客もつき、
主人夫婦も喜んでいる。

ある日、
娘のお孝も年ごろになったので、
一人娘のこと、放っておくと虫がつくから、
早く婿を取らさなければならないと夫婦で相談し、
宗旨も合うし、真面目な働き者ということで、善吉に決めた。

幸い、お孝も善吉に気があるようす。

問題は本人だとおかみさんが言うと、
気が短い主人、まだ当人に話もしていないのに、
善吉が断ったと思い違いして怒り出し
「なにっ、あいつが否やを言える義理か。
半死半生でオカラを盗んだのを哀れに思い、
拾ってやった恩も忘れて増長しやがったな。薪ざっぽ持ってこい」
と、大騒ぎ。

目を白黒させた善吉だが、
自分風情がと遠慮しながらも、結局承知し、
めでたく豆腐屋の養子におさまった。

それから夫婦で家業に励んだから、店は繁盛。

土地を二か所も買って、居付地主。

そのうち、年寄り夫婦は隠居。

ある日、善吉が隠居所へ来て、
もう江戸へ出て十年になるが、まだ甲府の在所へは一度も帰っていないので、
両親の十三回忌と身延さまへのお礼を兼ね、里帰りさせてほしい
と、申し出る。

お孝もついて行くというので、
喜んで旅支度してやり、翌朝出発。

「ちょいと、ごらんな。
縁日にも行かない豆腐屋の若夫婦が、
今日はそろって、もし若だんな、どちらへお出かけで?」
と聞かれて善吉が振り向き
「甲府(豆腐)ィ」
お孝が
「お参り(胡麻入り)、願ほどき(がんもどき)」

【うんちく】

古い江戸人情噺

古くから口演されている、江戸人情噺ですが、
原話はまったく分かっていません。

「出世の島台」と題した、明治33(1900)年の
六代目桂文治の速記が残ります。
大筋は、現行とほとんど変わりません。

明治以来、人情噺の大ネタとして、多くの名人連が手掛けましたが、
戦後は、八代目春風亭柳枝、八代目三笑亭可楽が
とくによく高座に掛けました。

意外なのは、五代目古今亭志ん生がやったこと。

珍しくギャグも入れず、ごくまじめに演じています。

CDでは、この三者のほか、志ん朝のも出ていますが、
いずれにしても、今どきではウケる噺ではありません。

身延山って?

「鰍沢」にも登場しますが、寺号は久遠寺。
日蓮宗の総本山です。

流罪を許されて身延に隠棲した日蓮(1222-82)が、
波木井(はきい)氏から寄進を受けて開基したものです、

その死後、中興の祖と称される第十一世・日朝(1422-1500)が
現在の山梨県南巨摩郡身延町に移して、ますます発展。

日蓮宗の本拠としては、江戸・池上本門寺があるので、
江戸の門徒は通常、ここに参詣すればよいとされました。

池上は、日蓮の終焉の地です。

江戸の豆腐屋

江戸市中に豆腐屋が急増し始めたのは、
宝永年間(1704~11)とか。

宝永3(1706)年5月、市中の豆腐屋七名が、
大豆相場の下落にもかかわらず高値売りをして
処罰されたという記録があります。

居付地主って?

自分の土地・家屋に住んでいる者、すなわち地主です。

土地家屋を人に貸し、自分は他の町に住んでいる者を
「他町地主」といいました。

落語に頻繁に登場する「大家」は、差配ともいい、
地主に雇われ、長屋の管理を委託されている人間です。

大商店主を兼ねた居付地主のうちには、
大家を介さず、自分で直接、家作を管理する者も多く、
その場合、地主と大家を兼ねていることになります。

こうした居付地主が貸すのは、長屋でも表長屋で、
通りに面し、多くは二階建てです。

大工の棟梁や鳶頭など、
町人でも比較的地位のある者が住みました。

「三軒長屋」のイセカンが、典型的な居付地主です。

改作「お福牛」

野村無名庵(1888-1945)は、「落語通談」に記しています。

「斯界の古老扇橋は、この噺を今様にでっち直して、
お福牛と題するものを作った」

この「古老扇橋」は、声色(声帯模写)の名人としても知られた
八代目入船亭扇橋(1865-1944)でしょう。 

改作といっても速記も残らず、作った年代もわかりませんが、
同書によれば、筋は大同小異。

豆腐屋を牛乳屋に代え、主人公は苦学生となっています。

主人公は牛乳屋に婿入りし、牧場経営もして大成功。

終わりに故郷の伯父が亡くなり、
遺産を受け取るため帰郷することに。

サゲは、舅夫婦が留守を心配して、
牧場の牛は大丈夫かと聞くと、
「お案じなさいますな。ウシ(=ウチ)は女房に任せてあります」
という、くだらないダジャレオチです。

紙芝居になった「模範落語」

「落語通談」によると、オリジナルの「甲府い」は、
「鰍沢」とつなげて、戦時中、報国紙芝居になったとか。

いかにこの噺の主人公が、当時の軍部や当局にとって
「期待される人間像」の典型であったか、わかろうというものです。

無名庵は、当時の政府の片棒をかついで
昭和15(1940)年、「不道徳」な噺53種を
「禁演落語」に設定した中心人物。

「何にしても納まりの目出度い勧善の落語で、
禁演五十三種を悪い方として西へ廻して
見立番附の出来たとき、善い方即(すなわ)ち東の方の、
大関へあげられたのはこの甲府ィであった」

つまりは、そういう噺です。

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