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2006.11.27

五十四帖(ごじゅうしじょう) 落語

「源氏物語」をもじった、駄洒落丸出しの噺。

手習の師匠をしている、村崎式部という浪人。

もとは某藩の祐筆(書記)を務めていたが、
これが、あだ名を「光君」と呼ばれたほどの色男で、
吉原通いをするうちに玉屋の中将という花魁(おいらん)と
相思相愛の仲になったことから、
中将の年季が明けるのを機に身請けして女房にしたが、
「祐筆の身が遊女を女房にするとはけしからん」
と、ご重役方の怒りに触れて、あえなくクビ。

仕事上、書をよくしたので、
子供らに習字を教えて、細々と生計を立てている今日このごろ。

ところが、
いい男だから、近所の菓子屋の娘で十五になるお美代というのが
式部に夢中になり、いつしか二人はわりない仲に。

これがバレないはずがなく、中将、嫉妬(しっと)で黒こげ。

ある日、式部がつい、
反物(たんもの)の仕立てをお美代に頼もう
と、口走ったことから、かみさんの怒りが爆発。

夫婦げんかになった。

けんかが白熱して、
母親の仲裁も聞かばこそ、
「源氏物語」五十四帖の本を投げ合い、
「源氏」尽くしの言い合いに。

「もうもう縁を桐壺(きりつぼ)と、思うておれど箒木(ははきぎ)が、
蜻蛉(かげろう)になり日なたになり、
澪標(みをつくし=身を尽くし)、
早蕨(さわらび)の手を絵合わして乙女になるゆえそのままに、
須磨(すま)しておれど、
向こうの橋(=菓子)姫と情交があるの、
明石て言えと、いらざることを気を紅葉賀、
もう堪忍が奈良坂や、
この手拍子の真木(=薪)柱で、空(=打つ)蝉(うつせみ)にするぞ」

「いかに榊木(=酒気)げんじゃとて、
あんまりなこと夕顔でござんす。
花の宴(=縁)があればこそ、
末摘花(すえつむはな)を楽しみに、
また若紫(わかむらさき)のころよりも、
人目関屋の雲隠れ、心の竹川言いもせで、
(中略)
いまだ十四五なあの胡蝶と、あんまり浮気な藤裏葉、
うら腹男、御法(=祈り)殺してくりょう」

これでもまだ足りず、
宇治十帖まで行きそうな気配なので、
おっかさん、さじを投げて隣のかみさんに救援を頼んだ。

「まあ、おっかさんも大変じゃございませんか。
焼き餅けんかが、ただ始終苦情(四十九帖)で」
「いえ、五十四帖でございます」

【うんちく】

焼餅もペストも風雅な時代

原話は不明。

明治33(1900)年2月の「百花園」に掲載された
六代目桂文治の速記が残るだけです。

この年は、子年のうえペストが大流行し、
東京府、東京市がネズミを一匹五銭で
買い上げるという騒ぎになりました。

文治はこれを当て込んで、マクラでペストをあれこれ話題にし、
ネズミがペストを媒介するなら、
「夫婦げんかは犬も食わない」というのだから
それ以外のけんかは犬が媒介するのだろうと
珍妙な論理を展開。

焼餅による夫婦げんかがテーマの、この噺につなげています。

いずれにしても、源氏物語の五十四帖を読み込む趣向だけなので
文治以後、口演記録はありません。

手習いの師匠って?

江戸では、庶民はふつう「寺子屋」とは呼ばず、
もっぱら「手習い」でした。

武士の子には、旗本、御家人のうちで
書をよくする者が教えましたが、
そこに町人が出入りしても、かまいませんでした。

町家の子は主に浪人が教えますが、
むろん規模の小さい自宅営業。

多くは七歳の春に通い始め、弟子入りの時は母親が付添い、
束脩(そくしゅう、=入学金)として二朱、
そのほかに天神机、硯、砂糖一斤を持参するのが普通です。

月謝は普通月二百文で、その他盆暮れに二朱ずつ、
毎月二十五日に天神講の掛け銭が二十四文、
夏には畳銭二百~三百文、冬には炭代を同額納めました。

天神講とは、学問の神である天神を祭る行事のための積み立て金。

町家の子には習字のほか、
必ず算盤(そろばん)を教えることになっていました。

「読み書きそろばん」と呼ぶゆえんです。

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