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2007.02.05

ざこ八(ざこはち) 落語

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お、聴かせるな、と思いきや、オチはやっぱり落語でした。

眼鏡屋の二男坊の鶴吉。

年は二十二になるが、近所でも評判の男前で、
そのうえ働き者で人柄がいいときている。

そこで、これも町内の小町娘で、
金持ちの雑穀商・ざこ八の一人娘のお絹との縁談がまとまり、
鶴吉は店の婿養子に迎えられることになった。

ところが、その婚礼の当日、
当の鶴吉がふっと姿を消してしまう。

それというのも、
貧乏な眼鏡屋のせがれが玉の輿にのるのをやっかんだ連中が、
小糠三合あれば養子に行かないというのに、
おめえはざこ八の身上に惚(ほ)れたか、
などといやがらせを言うので、急に嫌気がさしたから。

それから十年。

上方に行って一心に働き、
二百両という金をためた鶴吉が、
久しぶりに江戸に戻ってきた。

十年前の仲人だった桝屋新兵衛方を訪ね、
ようすを聞いてみると、とうの昔に店はつぶれ、
ざこ八もこの世の人ではないという。

あれから改めてお絹に、
葛西の豪農の二男坊を養子にとったが、
そいつが身持ちが悪く、道楽三昧の末財産をすべて使い果たし、
おまけにお絹に梅毒まで移して死んだ。

ざこ八夫婦も嘆きのあまり相次いで亡くなり、
お絹は今では髪も抜け落ち、二目と見られない姿になって、
物乞い以下の暮らしをしているという。

「お絹を今の境遇に追いやったのは、ほかならぬおまえさんだ」
と新兵衛に言われて、返す言葉もない。

せめてもの罪滅ぼしと、
鶴吉は改めて、今では誰も傍に寄りたがらないお絹の婿となり、
ざこ八の店を再興しようと一心に働く。

上方でためた二百両の金を米相場に投資すると、
幸運の波に乗ったか、金は二倍、四倍と増え、
たちまち昔以上の大金持ちになった。

お絹も鶴吉の懸命の介抱の甲斐あってか、
元通りの体に。

ある日、
出入りの魚屋の勝つぁんが、生きのいい大鯛を持ってきた。

ところがお絹は、
今日は大事な先の仏(前の亭主)の命日で、精進日だからいらない、
と断る。

さあ、これが鶴吉の気にさわる。

いかに前夫とはいえ、
お絹を不幸のどん底へ落とし、店をつぶした張本人。

それを言っても、お絹はいっこうに聞く耳を持たない。

夫婦げんかとなり、勝つぁんが見かねて止めに入る。

「お内儀(かみ)さんが先の仏、先の仏ってえから今の仏さまが怒っちまった」

夫婦の冷戦は続き、
鶴吉が板前を大勢呼んで生臭物のごちそうを店の者にふるまえば、
お絹はお絹で意地のように精進料理をあつらえ始める。

一同大喜びで、両方をたっぷり腹に詰め込んだので、
腹一杯でもう食えない。

満腹で下も向けなくなり、
やっとの思い出店先に出ると、物乞いがうずくまっている。

「なに、腹が減ってるって? ああうらやましい」

【うんちく】

ご存じ、三木助十八番

もともとは上方落語の切ネタ(大ネタ)で、
東京では戦後、二代目桂三木助直伝で
三代目三木助、八代目林家正蔵が、
東京風のやり方で売り物にしました。

特に、三木助がこの噺を好み、
十八番として、しばしば演じています。

本家の上方では、六代目笑福亭松鶴が得意にし、
東京でも、二代目桂小南が、上方風で演じました。

あまり出来がいいともいえない噺なので、
現在は、東京ではあまり演じ手がいません。

三木助門下だった入船亭扇橋が継承していたくらいでしょう。

なお上方では「ざこ八」の名は、
「ざこく(=雑穀)屋八兵衛」
が、縮まったものと説明されます。

前後半で異なる原話 1

前半の、「今の仏様が怒った」までの原話は、
安永2年(1773)刊「「聞上手」中の「二度添」、
同3年(1774)刊「軽口五色帋」中の「入婿の立腹」です。

「二度添い」では、亭主が、何かにつけ
後妻に難癖をつけ、「もとの仏(=先妻)がいたら」
と、愚痴るのでけんかに。

隣の太郎平が仲裁に入り、
「今の仏も悪い人でもない」
と、サゲになります。

その翌年に京都で出た「入婿の立腹」では、
あらすじ、オチともほぼ現行通りになっていて、
明らかに、その間に改作されたものでしょう。

東京の正蔵は。「先の仏」と題し、
前半で切っていました。

前後半で異なる原話 2

上下二つに分ける場合、上方では後半部は
「二度のご馳走」と題されることもあります。

後半の原型は、遠く寛永5年(1628)成立の
安楽庵策伝著「醒睡笑」巻三「自堕落 九」と思われ、
サゲの物乞いの部分は、明和9年(1772)刊「楽牽頭」中の
「大食」が原話です。

「醒睡笑」の方は、食いすぎて、数珠を落としても
うつむいて拾うことさえできない男が、
バチあたりにも足指で数珠をはさみながら
「じゅず(=重々)ごめんあれ」とシャレる噺です。

大阪の六代目松鶴は、オチを、
「ごちそうしたのが腹帯の祝い。そう聞いただけでも腹が大きなる」
と、していました。

妊婦の腹と、ごちそうで腹が膨れるのを掛けたものです。

「小糠三合」って?

正確には「粉糠(こぬか)三合持つならば入婿になるな」で、
つい最近まで使われていた諺です。

「小糠三合あったら婿に行くな」とも。

粉糠三合は、わずかな財産の例えで、
ほんの少額でも金があるなら、割に合わない婿になど入るな、
という戒めです。

長子相続が徹底していた江戸時代、
特に武士の次男、三男は、家の厄介者で、
婿養子にでも行かなければ、まともな結婚など夢の夢。

婿入りしたならしたで、養父母にはいびられ、
家付き娘の女房はわがまま放題。
男権社会なのに、四六時中気苦労が絶えないという、
経験者の実感がこもっています。

「養子に行くか、茨の藪を裸で行くか」
など、似たニュアンスの格言はたくさんあります。

精進料理って?

盆、法事、彼岸、祥月命日などに、
魚鳥その他の生臭物を断ち、野菜料理を食する習慣が
古くからありました。

こうした戒律はキリスト教やイスラム教にもあるので、
宗教的タブーは、人類共通のものがあるのでしょう。

これが終わるのを精進明け、精進落ちといい、
逆に精進に入る前に、名残にたらふく魚肉を食らうのを
精進固めといいました。

もちろん、願掛けなどで、一定期間精進するならわしは
明治初期までは普通に行われていました。

悲劇的な「後日談」

「女ごころといえばそれに違いもあるまいが、
これが原因で夫婦生活に破錠をきたし、
お絹が家出をして二年目に、
葛西の荒れ果てた堂の中で死んでいた。行年三十。

その時お絹の着ていた薄い綿入れの着物に
雨が当たって、やわやわとした草が生えた。

大正年代まで夜店でよくみかけた絹糸草だが、
夫婦仲の悪くなるという縁起をかついで、
この頃ではもう下町でもあまり見掛けないようである」

         (「落語国・紳士録」安藤鶴夫著)

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コメント

ざこ八の落ちがわかりませんでしたが、大変参考になりました。
ありがとうございました。

投稿: のじどり | 2007.05.31 22:53

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