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2007.02.05

三助の遊び(さんすけのあそび) 落語

落語版「影武者」の噺。

上京して湯屋で釜焚きをしている男。

今日は釜が壊れて店が休みなので、
久しぶりにのんびりできると喜んだが、
常連客が次から次へとやってきて、
その度に
「今日は休みかい」
と聞かれるので、うるさくてしかたがない。

やむなく外をぶらついていると、
ばったり会ったのが知り合いの幇間の次郎八。

「どうせ暇なら、吉原でも繰り込もうじゃ、げえせんか」
と誘われるが、どうも気が進まない。

というのも、職業を明かすと女郎屋ではモテないから、
この間、素性を隠して友達と洲崎の遊廓に行ったら、
相棒が
「古木集めて金釘貯めて、それが売れたら豚を食う」
という、妙てけれんな都々逸をうたったため、
バレてしまって女郎に振られた苦い経験があるからだ。

それでも次郎八が
「あーたを質両替屋の若だんなという触れ込みで、
始終大見世遊びばかりなさっているから
『たまには小さな所で洒落に遊んでみたい』
とおっしゃっている、とごまかすから大丈夫」
というので、四円の予算だが、半信半疑でついて行くことにする。

「あたしのことは家来同然、次郎公と呼んでください」
と念を押されて、
さて吉原に来てみると、
客引きの牛太郎に
「だんなさまは、明日はお流し(居続けのこと)になりますか?」
と聞かれて
「いや、わしは流しはやりません」
と早くもボロが出そうになるので、次郎八はハラハラ。

危なっかしいのを、何とか次郎八がゴマかしているうち、
お引き(就寝)の時間になる。

当人は次郎八以上にハラハラ。

女郎同士が
「あの人はオツな人だけど、白木の三宝でひねりっぱなしはごめんだよ」
と話しているのを聞いて、
女郎屋の通言で、一晩きりはイヤだという意味なのを
、銭湯でご祝儀を白木の三宝に乗せて客が出すことと間違え、
バレたのではないかと心配したり
「炊き付けたって燃え上がるんじゃないよ」
と言うので、またビクビクしたりの連続。

これは
「おだてても調子に乗るな」という意味。

その度に次郎公、次郎公と起こされるので、
しまいには次郎八も頭に来て
「さっさと寝ちまいなさいッ」

しかたなく寝ることにして、
グーグー高いびきをかいていると花魁(おいらん)が入ってきて
「あら、ちょいと、お休みなの」
「はい、釜が損じて、早じまえでがんす」

【うんちく】

「盲小せん」から志ん生へ

原話は不明です。

明治中期までは、四代目三遊亭円生が得意にしていましたが、
現在残る古い速記は、明治34(1901)年7月、
「文藝倶楽部」に掲載の三代目柳家小さんのもの、
大正8(1919)年9月に出版された、初代柳家小せんの遺稿集
「廓ばなし小せん十八番」所収のものがあります。

戦後は、おそらく小せん直伝と思われる
五代目古今亭志ん生の一手専売でした。

明治の小さんでは、三助が吉原で振られて
洲崎遊郭へ行く設定で、したがって舞台は洲崎でした。

門下の小せんの演出では、本あらすじで採用したとおり、
反対に洲崎で振られて、吉原に行きます。

志ん生は、二度とも吉原で、
以前振られた原因となった都都逸の最後を
「これが売れたらにごり酒」
と、していました。

志ん生没後は、三助そのものが死語になり、
噺に登場する符丁などの説明が煩わしいためか、
演じ手はありません。

三助って?

湯屋の若い衆の異称でした。
使われだしたのは文化年間(1804-18)からです。

別に、下男の「権助」の別称だったこともあり、
下働きをするという意味の「おさんどん」から付いた言葉です。

やや皮肉と差別意識を含んだ「湯屋の番頭」
という別称も使われました。

同じ三助でも、釜焚きと流しははっきりと分かれており、
両方を兼ねることありません。

この噺の主人公は釜焚き専門です。

昭和初期に至るまで、東京の銭湯は越後出身の者が多く、
第36代横綱・羽黒山政司(1914-69)も、新潟県から出て、
両国の銭湯で流しの三助をやっているところを、
その体格が評判になり、立浪部屋にスカウトされています。

芝居では、現・市川猿之助が「三助政吉」として
三助を演じたことがありました。

洲崎遊廓って?

前身の深川遊廓は、現在の江東区深川・富岡八幡宮周辺で
「七場所」と称する岡場所を形成し、
吉原の「北廓」に対して「辰巳」として対抗しました。

文化・文政期には、「いなせ」と「きゃん」の本場として
通に愛されましたが、遊廓は天保の改革でお取りつぶし。

明治維新後、現在の江東区東陽一丁目が
埋め立て地として整地され、
明治21(1888)年7月、根津権現裏の岡場所がここに移転。
新たに洲崎の赤線地帯が生まれました。

最盛期には百六十軒の貸座敷、千七百人の娼婦、
三十五軒の引手茶屋がありました。

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