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2008.06.17

自動車の布団(じどうしゃのふとん) 落語

大正期のお笑い。自動車が出てくるのに、古典落語とは驚きです。

大正中期、自動車があちこちで走り出し、
八人乗りバスも登場したころの話。

日曜日でも天気がよく、
新しい着物ができてきたばかりなので、
奥方は町に出て見せびらかしたくてたまらない。

そこで、亭主に、
しつこく芝居に行こう、上野か浅草に連れて行ってくれ
と、せがむが、この亭主、大変に嫉妬深いタチなので、
女房をほかの男が見るだけでもがまんならないから、
ああだこうだと言って渋る。

そこをむりやりに連れ出して、
乗合自動車(バス)に乗ると、満席だったが、
色白の役者のような男が、親切に席を譲ってくれた。

それを見て、亭主の顔がさっと青ざめる。

まだ乗ったばかりなのに、
車掌に無理に言って、奥方の手をひっつかむと降りてしまう。

家に戻ると
「おまえはけしからん女だ。今日限りおまえを離縁する」
と、申し渡したから、奥方は驚いた。

何も悪いことはしていない
と抗議すると
「なに、悪いことはしてない? ずうずうしい奴だ。
おまえ、さっき乗合自動車で会った若い男と間男しとるじゃないか」
「いったに何を証拠にそんなことをおっしゃいます」
「証拠はある。わからなければ、自動車の布団に聞いてみろ」

【うんちく】

自動車ことはじめ

日本に最初にクルマが入ったのは、
明治33(1900)年、皇太子(のちの大正天皇)の成婚祝いに
サンフランシスコ日本人会から献上したときとか。

国産車となると、同43(1910)年、陸軍東京工廠でトラックを、
大正3(1914)年、快進社が小型自動車「脱兎号」を試作。

これがのちの「ダットサン」のはしりです。
本格的な国産品の生産は、昭和に入って
軍用規格でトラック、バスが生産されたものの、
乗用車となると、戦後まで待たねばなりませんでした。

大正新時代の花形

大正中ごろから少しずつ、上流階級や富豪などが
T型フォード、シボレー、パッカードなどの
輸入車を購入しはじめました。

益田太郎冠者作「かんしゃく」やこの噺などは、
そうしたハイカラな大正新時代を当て込んだ新作落語です。

乗合バスは、東京では大正8(1919)年、
新橋-上野間に、この噺に登場する
十六人乗り乗合自動車が開通したのが始め。

関東大震災後の同13(1924)年1月、
架線をずたずたにされた市電や省線(山手線)の
代替輸送手段として、東京市営乗合自動車、
通称「青バス」がお目見え。本格的なバス時代を迎えます。

創業当時の初乗り運賃は、一区券十銭でした。
昭和に入ると、いよいよタクシー(円タク)が登場します。

「間男」から「姦通罪」へ

間男、不義密通→姦通、不貞→フリンと、
時代と呼び名は変われど、やっていることは
相変わらずお変わりがないようで。

江戸時代には、密通は表向きは女房・間男共々死罪。
実際は、七両二分の示談金で済まされることが多かったとか。

明治に入っても「姦通罪」は厳然と生きていて、
詩人・北原白秋がこれに引っかかり、
監獄に食らい込んだのは有名。

その他、美術行政家の岡倉天心(覚三)と
九鬼男爵夫人のスキャンダルも当時、巷間を賑わせました。

二代目金馬の新作

大正10(1921)年2月、「文藝倶楽部」に掲載の
二代目三遊亭金馬(1867~1926)の速記が、唯一の口演資料。

金馬の当時の新作と思われます。

サゲは「間男」と「布団」の連想だけの陳腐なもので、
内容も取るに足らないものですが、
大正初期~中期の風俗資料としては貴重でしょう。

二代目金馬は、本名・碓井米吉。
本名を取って「碓井の金馬」、また、若年のころ
本所亀沢町のお盆屋に小僧奉公していたため、
「お盆屋の金馬」の異名があります。

若いころは実力のわりに不遇で、旅興行ばかりでしたが、
晩年は「落語会の策士」といわれ、
関東大震災後の「睦会」の設立など、ヤマっ気の多い人だったようです。

のち喜劇王となった柳家金語楼の師匠。
得意な噺は「花見酒」「死神」などでした。

名優がしでかした人身事故

明治・大正の名興行師・田村成義(1851~1920)が著した
「無線電話」は、冥土に電話して、故人になった名優や
劇界関係者と対話をするという、ユニークな内容ですが、
雑誌「歌舞伎」大正3年9月号に掲載されたものは、
明治の名優・五代目尾上菊五郎(1903年没)の霊との会話を通して、
当時最新流行の自動車について、なかなか愉快な問答が展開します。

自動車の存在を知らずに死んだ菊五郎に、田村が、
上野から品川まで20分かからないとか、
値段は当時(大正初期)一台安くて3000~4000円、
高いので9000円、宮様が乗る最高級車は15000円など、
得意になってこの「文明の利器」についてひけらかします。

さらに、役者も競ってクルマを購入、
得意になって走らせたはいいものの……

田村:時々は往来の子供を引き倒したり、怪我を
させることも度々あります。(中略)君んとこの
息子(六代目尾上菊五郎)なんざ、学校へかよう
余所の息子の足を折って詫び事に行ったり、費用を
払ったりした事もあるのですもの。

という次第。
物騒な交通事故は、このころからということがわかります。

そのほか、これも名優の十五代目市村羽左衛門の車が、
肥たごを載せた大八車に追突、辺りが
糞だらけになったというエピソードや、
当時すでに蝶々印の貸し自動車もあって、
ハイヤーのはしりが現れていたことも記されています。

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