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2008.07.07

死ぬなら今(しぬならいま)  落語

死は人生最大の難問。でも、落語にかかれば、どうってことない。

しわいやのケチ兵衛という男、
爪に灯をともすようにして金を貯め込んできたが、
いよいよ年貢の納め時が来た。

せがれを枕元に呼び、
寿命というものはどうにもならない、
自分も、突き飛ばしておいて転がった人の上に
ずかずか乗るような醜いことまでして、
これだけの財産をこしらえたが、
もう長くないので、おまえに一つ頼みがある
と言う。

「どうだろう、早桶ン中に三百両、小判で入れてもらえないか」

地獄の沙汰も金しだい、
自分のような者は必ず地獄におちるだろうが、
金をばらまけばひょっとして極楽へ行けるかもしれない
というわけ。

せがれが承知する
と安心したか、
ごろっと痰がからまったと思うと、
キュウとそのままになってしまった。

いわゆる、ゴロキュウ往生。

湯灌も済み、白い着物を着せて、
さて、せがれが遺言通りに頭陀袋の中に
三百両の小判を入れているところを
親類の者が見て
「いくら遺言だからといって、そんなばかなことをしてはいけない」
と、知り合いの芝居の道具方に頼み、
譲ってもらった大道具の小判とそっくり入れ替えてしまった。

こちらはケチ兵衛。

いつの間にか買収資金がニセ金に替わっているともつゆ知らず、
閻魔の庁まで来ると、早速呼び出される。

浄玻璃の鏡にかけられると、
今までの悪事がこれでもか、これでもかと映るわ映るわ。

「うーん、不届きなやつ」

閻魔大王が閻魔のような顔になったので、
さあ、この時と、
袖口に百両をそっと忍ばせると、
その重みで大王の体がグラリ。

「あー、しかしながらあ、
一代においてこれほどの財産をなすというのも、
そちの働き、あっぱれである」

がらっと変わったから、
鬼どもがぶつくさ不満タラタラ。

それではと、そいつらの袖の下にも
等分に小判を忍ばせたので、
ケチ兵衛、無事に天上し、極楽へスーッ。

ケチ兵衛のまいたワイロで、地獄は時ならぬ景気。

赤鬼も青鬼も仕事など止めて、
のめや歌えの大騒ぎ。

その金が回り回って極楽へ来た。

ニセ小判であることはすぐに知れたから、
極楽から貨幣偽造及び収賄容疑で逮捕状が出、
武装警官がトラックに便乗して閻魔の庁を襲うと、
閻魔大王以下、馬頭牛頭、見る目嗅ぐ鼻、
冥界十王、赤鬼青鬼、ショウヅカの婆さんまで
残らずひっくくって、刑務所へ。

地獄は空っぽ。

だから、「死ぬなら今」

【うんちく】

彦六の残した珍品

民話、民間伝承を基にしたと思われますが、原話は不明です。
もともとは上方落語で、彦六の八代目林家正蔵と六代目三遊亭円生が
大阪の二代目桂三木助から直伝されましたが、
円生は手掛けず、正蔵が事実上の東京移植者になりました。

現在、東京では孫弟子の春風亭小朝の持ちネタ。
本家の大阪では、桂文我と、同人に習った桂春之輔が
高座に掛けています。

音源は、残念ながら正蔵のものはなく、
上方の文我のCDのみが発売されています。

いずれにせよ、東西とも継承者の少ない、
珍品中の珍品といえるでしょう。

「倒叙型」演出も

推理小説では、犯人が当初から明らかにされる
倒叙型という手法がありますが、故・八代目正蔵はたまに、
この噺で、オチを最初に言う演出をとることがありました。

今回のあらすじで参考にした「林家正蔵集・上」(青蛙房刊)
の速記では言っていないため、実際に高座で演ずる場合に
客の反応や客ダネを見て判断していたものと思われます。

オチが考えオチなので、客に対する配慮でもあったのでしょう。

こうした演出を採る噺は数少なく、東京落語ではほかには、
やはり正蔵が手掛けた「蛸坊主」があるくらい。
上方落語では「苫ケ島」「後家馬子」があります。

コワーイ地獄のお歴々 

●牛頭馬頭

「ごずめず」と読みます。

劇画「子連れ狼」の道中陣で
すっかりおなじみになりましたが、牛頭人身と馬頭人身の
地獄の獄卒を合わせてこう呼んだものです。

●見る目嗅ぐ鼻

「みるめかぐはな」。

閻魔の庁の裁判官で、
先に小旗を付けた矛の上に、人の生首が突き刺さっている
グロテスクな姿として描かれます。亡者の善悪をすべて
見通すと伝えられています。

●冥界十王

閻魔大王をトップとする、地獄の十人の幹部です。閻魔以下、

泰広王
初江王
宗帝王
五官王
変成王
太山王
平等王
都市王
五道転輪王

の面々で、中央に閻魔が座り、左右にこのお歴々が
着席することになっています。

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コメント

作家都筑道夫さんのエッセイで兄で落語家の「鶯春亭梅橋」の思い出の話に「死ぬなら今」が出てきます。
学があり理屈っぽいので師匠から嫌われた梅橋はそれでも同年代の桂歌丸などに「お前の話はここが悪い」と一方的に批判をするので「お前こそ「死ぬなら今」なんて話を好んでかけてる」と言い返された。
梅橋はヒロポン中毒で痩せているのを「夏バテで」とごまかしていたが、体を悪くして29歳で亡くなった。
この話を読んで「死ぬなら今」に廃滅の匂いを抱いていました。
ある日テレビを見ていると二代目桂三木助がこの話を掛けていた。当時離婚など私生活が問題になっていた三木助を久々に見て背筋がぞっとした。
上手すぎる。こんなに三木助は上手だっただろうか。そして見終わってわたしは都筑さんのお兄さんとダブってしかたがなかった。
三木助が自殺したのはその4カ月後。

投稿: 水無月秋葉 | 2016.08.17 23:04

自死されたのは4代目の三木助さんだったはず。
(2代目を知らない世代なので、事実誤認があったらすみません)
4代目は放蕩若旦那の噺(湯屋番)がはまっていて好きだったのですが、こういう捻っていて皮肉の効いた噺も見たかった。早逝が惜しまれる人でした。

投稿: | 2017.02.18 13:47

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