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2009.03.29

出世の鼻(しゅっせのはな) 落語

すたれてしまった明治の噺。工夫次第でおもしろくなりそう。

下谷長者町に住む、棒手振りの八百屋源兵衛。

ある日、仕事の帰りに両国橋に来かかると、
大川で屋形船が芸者を揚げてどんちゃん騒ぎをしているのを見て、
つくづく貧乏暮らしがいやになり、
あれも一生これも一生、こいつぁ宋旨を替えにゃあならねえ
とばかり、その場で商売道具の天秤棒を川に放り捨ててしまった。

家に帰った源さん、何を思ったか、
驚く女房を尻目に、家財道具一切たたき売り、
日本橋通一丁目の、有名な白木屋という呉服屋の真向かいで、
間口九間、土蔵付きの広い売家を強引に手付け五両で借り、
「近江屋三河屋松阪屋」という珍妙な三つ名前の屋号の看板まで出した。

ただし、商売は何もせず、
日がな一日はったりに大きな声で
「畳屋はどうした。大工はまだか」
と、どなるだけ。

そんなある日、向かいの白木屋に、
りっぱな身なりの侍が現れ、
先祖が拝領した布地の銘を調べてほしい
と、預けていく。

誰もわからないまま店先にぶらさげていたその布が、
三日後、風に飛ばされて行方不明になったので、店中大騒ぎ。

布が白木屋の二つの蔵の間の戸口に引っ掛かるのを
偶然見ていた源兵衛、好機到来とばかり店に乗り込み、
どんな紛失物でも嗅ぎ当てる鼻占い師といつわって、
まんまとありかを当ててみせ、礼金五百両でたちまち左ウチワ。

すっかり白木屋の主人の信用を得た源兵衛、
半年ほどたって、白木屋の京の本店お出入り先の関白殿下が、
定家卿の色紙と八咫の御鏡を盗まれたので
京に行ってその二品をかぎ出してほしい
と、主人から頼まれる。

まあ、白木屋の金で上方見物でもしてこようと
太い料簡で都にやってきた源兵衛、
仕事そっちのけで、ブラブラ遊んで過ごしているが、
宮中のトイレまでかいで回らなければならないので、
「従五位近江守源兵衛鼻利」と位までちょうだいし、
とんだにわか公家ができあががった。

ある日、暑い中を衣冠束帯を付けさせられ、
うんざりしながら庭をかいで回っていると、
木のうろから突如飛び出す怪しの人影一つ。

聞いてみると、その男、
関白の家から例の二品を盗んだ犯人で、
十里以内のものはみなかぎ出すという名高い方が探索に見えると聞き、
もはや逃げられないと観念した、

命ばかりはお助けを、
と、平身低頭。

柳の下にドショウが二匹。

無事二品が戻り、関白は大喜び。

「あっぱれな奴、望みのものをほうびに取らせる」
「金をください」
「金はたっぷりつかわす。何か望みは」
「望みは金」
「いやしい奴。金のほかには」

こうして、源兵衛は吉野山に御殿を賜ったが、
洛中洛外はその噂で持ちきり。

「一度でいいからその鼻が見たいものや」
「鼻(花)が見たけりゃ吉野山へござれ」

【うんちく】

円楽が復活するも……

原話は不詳で、おそらく民話がルーツでしょう。

明治25年の二代目(禽語楼)小さんの速記が
残りますが、同趣向の「お神酒徳利」に押されて
すたれ、昭和50年代に現・三遊亭円楽が復活した
ものの、その後は後継者もありません。

大正期に、大阪の喜劇王・曽我廼家五郎が
「一堺漁人」の筆名で書き下ろした脚本・
「鼻の六兵衛」は、やはり鼻でかぎわけるのが
得意な男の出世譚で、劇団の当たり狂言に
なりましたが、落語とのかかわりは不明です。

なお、同じ鼻利き男が登場する噺に「鼻きき長兵衛」
がありますが、こちらは後半が「寄合い酒」の
後半(「ん廻し」)と同じで、まったく別話です。

白木屋盛衰記 その1

白木屋の開祖・大村彦太郎は、近江国・長浜で
材木屋を営んでいましたが、志を立てて江戸に出、
寛文2(1662)年、通二丁目に小間物屋を開店。

三年後、通一丁目に進出して呉服店を兼業。
以来、事業を拡大して越後屋(現・三越)、大丸と
肩を並べる大店に発展しました。

屋号の「白木」は、材木屋だったときの名残りで、
杉や檜を白木と総称することから付けられたとか。

縁起をかついで「かする」という言葉を家訓で
禁じ、白木屋にかぎり、絣(かすり)の着物を
奉公人に着せない習慣がありました。

白木屋盛衰記 その2

明治36年、通一丁目の本店敷地に
「白木屋百貨店」を開業。日本橋の顔として
繁盛しましたが、昭和7(1932)年12月16日の
「白木屋火災」で全焼、大打撃を蒙ります。

このとき、女店員がズロースをはいていなかったため、
着物のすその乱れを気にして飛び降りられず、
十名の死者を出したことで、一挙に女性用下着が
普及したのはのちの話です。

戦後は、昭和23(1948)年の「白木屋争議」などで
経営が傾き、昭和31(1956)年に東急傘下に。

デパートはそのまま「白木屋」の名で存続しましたが、
結局昭和42(1967)年、東急百貨店日本橋店に
衣替えし、事実上三百年の歴史に終止符を打ちました。

あれも一生これも一生

このくだりは、歌舞伎の場面をそのまま借りています。

河竹黙阿弥・作で、慶応2(1866)年2月守田座
初演の「船打込橋間白浪(ふねにうちこむ はし
まのしらなみ)」序幕で、主人公の鋳掛屋松五郎が、
屋形船のドンチャン騒ぎを見て、みみっちい
堅気暮らしに嫌気が差し、心機一転盗賊になろうと
決心する場面のセリフです。

下谷長者町って?

現・台東区上野三丁目。一、二丁目とあり、
名前とは裏腹に、江戸有数のスラムでした。

町名は昔、このあたりに朝日長者という分限者が
住んでいたことにちなみます。

幕府の公有地でしたが、明暦の大火(1657)後
町割りが許可されました。

落語「掛取り万才の、

貧乏をしても下谷の長者町 上野の鐘のうなるのを聞く

という狂歌でおなじみです。

「通り」は江戸のブロードウェイ

神田・万世橋あたりから日本橋、京橋を経て
芝・金杉にいたる、江戸を南北に貫く大通りを
単に「通り」または「通町」と呼びました。

江戸の者ならこれだけで通じるからで、
吉原を「ナカ」というのと同じ、いかにも
ムダを嫌う江戸っ子らしい表現です。

町名としては通り一~四丁目まであり、一丁目は
現在の中央区日本橋通一丁目。

初代歌川(安藤)広重が「名所江戸百景」の一として、
通一丁目の白木屋呉服店前の繁華街を生き生きと
描きました。安政5(1858)年夏の情景です。

長くこの地にあった白木屋デパートの後進・
東急日本橋店も1999年1月に閉店。現在、跡地には
地上20階の高層ビル・コレド日本橋がそびえています。

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