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2009.04.07

心中の心中(しんじゅうのしんじゅう) 落語

悲劇の温床「心中」も、落語の手にかかっては……。

明治元年、夏。

京から江戸に出て呉服の行商をしている善次郎、
土地慣れないから得意先もつかず、
七月の暑い最中で、
母親と二人暮らしだから、どうにも立ちいかない。

京へ帰ろうにも路銀もないありさまなので、
恥を忍んで借金に行った先でも、すげなく断られたばかりか、
生きていたって甲斐性がない奴は豆腐の角へ頭をぶつけて死んでしまった方がいい
と、ののしられる。

とぼとぼと向島の土手に来かかり、
いっそ首をくくろうと桜の枝に帯を結んで手を掛けると、
枕橋の方からバタバタと足音。

見とがめられては
と、あわてて桜の木に登って隠れていると、若い男と女。

親の許さぬ仲とかで、しょせん生きてはいられない
と話がまとまり、男の方が、死骸の始末金にと家から持ちだしてきた
という百両の金を桜の木下に置くと
「覚悟はよいか」
「南無阿弥陀仏」
と、刀をスパッと引き抜く。

上にいる善次郎、
驚いた拍子に、二人の頭の上にドサッと落っこちた。

びっくりした二人は、金をそのまま置いて逃げてしまう。

しかたなくその金を持って、大家の所に相談に行ったが、
ころはご維新のさ中。

奉行所も解体同然だから、どうでもしたらよかろう
と取りあってくれないので、
善次郎はためらいながらもその金で借金を返し、
残りを元手に懸命に働いた甲斐あって、
数年後には蔵付きの立派な呉服屋を開店することができた。

月日は流れて、明治7年。

善次郎が帳場に座っていると、
年のころ三十四、五、黒の山高帽子に南部の糸織のお召し
という、りっぱななりの紳士が、
似合いの奥方といっしょに、店先で反物を見ている。

その顔を見て善次郎は、はっと驚く。

それもそのはず、その夫婦はあの時の心中者。

飛び出して行ってあの時の話をし
「そういうわけで、あんたはんらは私にとっては命の親。
あのお金は利息を添えてお返しせななりまへん」
と言うと、だんなの方も、
実はあの時、人が上から降ってきたのに仰天し、
二人で枕崎まで逃げたが、親戚の者の取りなしで無事夫婦になり、
今では子供もいる身、
と語る。

「それではあなたがあの時の。よく落ちて下すった。私たちの命の親」
「あほらしい。あんたの方が親や」
「いいや、おまえさん親」
「なに、あんた親」
とやっていると、奥から母親が
「してみると、あたしのためには継子かしらん」

【うんちく】

明治の名人の創作

別題「花見心中」。

明治中期~後期の「伝説の名人」・
四代目橘家円喬がものした新作とみられます。

明治29年2月の「百花園」に速記が掲載されましたが、
原題表記は「情死の情死」となっています。

故・榎本滋民氏が指摘しているとおり、
速記をよく読むと、細かい年代のミスが多いのですが、
そこは落語で、言うだけヤボでしょう。

わかりにくいサゲ

現在ではすたれ、高座にかかることはありませんが、
明治維新前後の世相がよく描写されていて、
今となっては貴重な資料です。

サゲ(オチ)は、「命の恩人」という意味で「命の親」
と言ったのを、婆さんが取り違え、
「客がせがれの親なら、あたしはママハハか??」
と、頭をひねるマヌケオチ。

最後の「~のためには」は、「~にとっては」
という意味の、古風な江戸ことばです。

奉行所も解体同然 その1

二人が大家に相談に行き、世が世なら、
さっそくお白洲で、名奉行のお裁きという場面ですが、
あいにくもう幕府は崩壊。奉行所もあってなきがごとし
という、情けない無政府状態です。

最後の江戸町奉行は、北が石川河内守、南が佐久間ばん
(ばんは金偏に番)五郎。
南北両奉行所を官軍に引き渡したのは、慶応4年5月22日で、
明治改元はこの年の10月23日。

折しも江戸は、彰義隊騒ぎで大混乱の最中。

この一週間前、5月17日に上野の戦争が勃発し、
五日前に一応片づいたばかり。

円喬は「明治元年夏」と説明していますが、
実際はまだ慶応4年。町人みな小さくなって
家に隠れ住み、多くの者が大八車に家財を積んで
江戸を逃げ出していた時に、心中騒ぎを起こすとは
のんきな野郎があったものです。

奉行所も解体同然 その2

このころの奉行所与力・同心の乱れぶりは相当なもので、
幕府も、万一、彰義隊に駆け込む者があっては大変と
気を遣ったものの、そんな心配は無用。

「戊辰物語」(岩波文庫刊)によると、
満足に馬に乗れる者などほとんどなく、
十手を振って、房が顔の前で、いかにかっこよく
開くかのコンクールをやっていたというテイタラク。

こりゃあ、負けるわな。

南部の糸織って、なに?

かっての心中者が、維新の騒ぎを切り抜け、
七年後、颯爽と登場。

南部の糸織は、南部紬(つむぎ)のお召しで、
浅田次郎・作「壬生義士伝」の主人公の故郷、
旧南部藩領(岩手県のほぼ全域)特産の、
よった絹糸で作る織物です。

「お召し」は、その中で練り糸で表面にしわを寄せた
最高級品で、お召し縮緬(ちりめん)とも呼びます。

枕橋って、なに?

旧名は源森橋で、
現・東京都墨田区吾妻橋一丁目から
向島一丁目の墨田公園まで渡しています。

源森川(のち北十軒堀)を寛文3(1663)年に掘削する際、
関東奉行・伊奈半十郎の監督で架けられました。

のちに、橋向こうに水戸藩下屋敷まで新橋が架かり、
源森橋の名を譲って枕橋と改名。

その「新・源森橋」の方は、その後、新小梅橋と
改称されましたが、二つ合わせて枕橋と呼ぶ習慣も
あったとか。何やらややこしい話です。

対岸の山の宿から、枕橋詰の桟橋まで、
渡し舟が出ていました。

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