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2009.04.14

世界一周(せかいいっしゅう)  落語

映画「タイタニック」もまっさお。100年ほど前の噺です。

お調子者の秀さんが、
隠居のところへ訪ねてきて、
わっちもなにかして名前を上げたいと思ったが、
思いつかないので勧工場をぶらつくと、
五厘で古新聞の「やまと新聞」を売っていたから買って読むと、
歩いて世界一周をした外国人のことが出ていた。
そこで自分も行きたくなって、横浜から船に乗った
と、以下、世界珍旅行の模様を得々と語る。

船に乗ってみると、
なんと、知っている連中がワンサカ。

髪結床のおやじに薬屋の隠居、
清元のお師匠さんに落語家講釈師、
相撲幇間官吏、百鬼夜行森羅万象神社仏閣。
オッペケペーの川上音二郎までいて、にぎやかな旅立ち。

天津まで行くと、船がバラバラ。
テンシンバラバラというくらい。

そこで、船を借り換えて、
ホンコンからシンガポールへ。

そこで主人と家来がけんかしていて、家来が勝った。

「そういうわけで?」
「それもそのはず。臣が放る(シンガポール)」
「もう尾かえる」

そこからインド洋を渡り、
アラビア海からスエズ運河を経て
仏蘭西(フランス)の馬耳塞(マルセイユ)、
巴里(パリ)見物して英国に渡り、
倫敦(ロンドン)は煙突の煙で何も見えないので、
ロンドン(どんどん)急いでアメリカへ。

大陸を横断して、サンフランシスコから帰りの船。

一時間四十マイルも出る快速船で、
じきに帰れると喜んでいると、途中で大嵐。

風雨はだんだん激しくなり、
なにやらメリメリいいだしたと思ったら、
あっという間に暗礁に乗り上げ、船には大穴。

船長、もはやこれまでと甲板に現れ、
申し訳にピストルでいさぎよく自害。

アーメンというのが、この世の別れ。
人間をヤーメンて冥土へ出帆。

それを見て、われも冥土の御供と、
機関士も客もみな刺し違え、
鮮血リンリ、血潮紅葉と取り乱し、無残なりけるありさま。

「はあ、大変だな。お前は助かったのかい?」
「折れた帆柱に体をゆわい付け、
一生懸命捕まっているうちに、船は千尋の海底に。
漂っていると横浜が見えてきたので、
やれうれしやと思ううちに、帆柱がズブズブ。
ワッチは逆さまに沈んでいく」
「それは困った」
「一世一代の声で『助けてくれえ』とどなると、
隣のかみさんが起こしてくれた」

全部夢の話。
万国絵図の上で寝ていたというお粗末。
冷たいと思ったら、自分のヨダレ。

【うんちく】

上方スペクタクル噺の改作

初代談洲楼燕枝(1838-1900)の創作ですが、江戸の
「ガリバー旅行記」ともいえる「唐茶屋」(アップ済)や
上方落語のスペクタクル巨編「島めぐり」を文明開化向きに
アレンジ、改作したという方が正確でしょう。

燕枝は円朝のライバルで、柳派の人情噺の巨匠でした。

この「世界一周のあらすじは、燕枝の死の直前、
「文藝倶楽部」の明治33年2月号に掲載された
最後の速記をテキストにしました。

燕枝没後一世紀あまり、演じ手はありません。

なお、オリジナルの速記では、隠居が「ドーンという
音は?」と聞くと秀さんが「時計を見ましたら、十二時が
五分ばかり廻って居ました」とサゲています。

これは、「ドーン」が明治の風物詩・昼の号砲(ドン)を
踏まえたと思われますが、肝心の「ドーン」の伏線が
前になく、ミスでしょう。あらすじでは省略しました。

以下、「島めぐり」のあらすじをご紹介します。
「唐茶屋」については、その項をご参照ください。

島めぐり・その1

正しくは「万国島めぐり」。

アホの喜六が隠居宅で、「朝比奈島めぐり」の絵本を
見せてもらううち、女護が島へ行ってみたくなり、
さっそく異国通いの船で密航。 小人国に置き去りにされ、
殿さまを印籠の中に放り込む。そのまま進むと、やがて
巨人国。今度は逆に、巨人の印籠に放り込まれる。息苦しくて
印籠を開けて気付け薬をのもうとすると、小人の殿さまが
丸薬に腰掛けて切腹していた。

島めぐり・その2

印籠からつまみ出され、巨人の子供のなぶりものに
された喜六。脱走を試みるも、お釈迦さまの掌の
孫悟空よろしくすべて失敗。ところが、巨人の
竜巻のような屁に吹き上げられ、天空に舞い上がる。

島めぐり・その3

落下したところは、待望の女護が島。 この国
始まって以来の男の客というので、たちまちVIP待遇。

ここからご想像の通り、露の五郎兵衛好みの
ポルノ落語に。風呂場で股間のエテモノを、
山なす野次馬に観察され、質問責め。

「これは、何に使う棒ですねん?」
「こりゃ、あんたらのヘソ下を掃除する掃除棒やがな」

で、掃除希望が殺到。掃除料を取ったあげく、
連日連夜の奮戦で棒はすり減る一方。
サゲは「こない仰山掃除してたらオレの命がもたん」
または、女たちが大喜びで、「値が値だけのものはある」。

とうとう逃げ出して「唐茶屋」へ。

世界一周狂奏曲 その1

ジュール・ヴェルヌ(1828-1906)がパリの
「ル・タン」紙に「八十日間世界一周」を連載したのは
1872(明治5)年ですが、その奇抜な着想に刺激
されてか、1889(明治22)年、アメリカの婦人記者・
ネリー・ブライが、この小説のコース通り、
ただしニューヨークを出発点に西回りで72日6時間11分の
世界一周レコードを樹立。

それに続いて、同国のフィッツモリスらが
1890年代を通じて次々と記録を更新し、
ちょっとしたブームを巻き起こしました。

1903(明治36)年には、ヘンリー・フレデリックが
54日7時間2分、1907(明治40)年にはバーンレイ・
キャンベルがシベリア鉄道回りで40日19時間30分と、
列車・汽船の発達で、記録は日進月歩という時代でした。

世界一周狂奏曲 その2

日本では明治維新後、知識階級の間で洋行熱が高まり、
早くも明治3年には、仮名垣魯文(1829-94)が、十返舎一九の
「膝栗毛」の主人公・弥次喜多に英国まで旅をさせる
戯作「西洋道中膝栗毛」初編を刊行しています。

また、「八十日間世界一周」を川島忠之助(1853-1938)が
初めて邦訳したのが、明治11~13年でした。

なお、噺の中に出る「歩いて世界一周をした外国人」
については未詳です。

オッペケペッポペッポッポ

川上音二郎(1864-1911)は、「マダム貞奴」の夫、
新派劇の草分けにして、「オッペケペ節」の書生芝居の
創始者として知られますが、上方落語の桂文之助に
入門して「浮世亭○○(マルマル)」の芸名を持つ
寄席芸人でもありました。

ただ、落語はやらなかったようです。

川上・貞奴夫婦のの洋行は、明治31年から34年まで、
足掛け四年に及びました。

やまと新聞って?

明治17年、幕末の戯作者から維新後、ジャーナリストに
転じた条野採菊(1832-1902)によって「警察新報」として創刊。

二年後、編集方針を一変して「やまと新聞」と改名。
特に、三遊亭円朝の速記掲載 によって人気を得ました。

芸界や花柳界のゴシップ、スキャンダルを暴く大衆紙として
長く大衆的人気を保ち、太平洋戦争末期まで存続。

ライバルの「萬朝報」が主に政界の醜聞を暴いたのに対し、
こちらはもっぱら軟派に徹したため、読者層も分かれました。

なお、勧工場については、「素人相撲」をご参照ください。

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