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2009.05.23

猫定(ねこさだ) 落語

けっこうおもしろいと思うのですが、円生没後はどうも、ね。

八丁堀玉子屋新道の長屋に住む、魚屋定吉という男。

肩書は魚屋だが、実態は博徒。

朝湯の帰り、
行きつけの三河屋という居酒屋で一杯やっていると、
二階でゴトゴト音がする。

てっきり博打を開帳していると思って聞いてみると、
実は店の飼い猫で、
泥棒癖があるので、ふん縛って転がしてあるのが暴れる、という。

川にほうり込んで殺してしまうというので、
それくらいなら、といくらか渡して譲り受けた。

これが全身真っ黒で、いわゆる烏猫。

大の猫嫌いのかみさんに文句を言われ、
しかたなく始終懐に入れて出歩くうち、
猫はすっかりなついたので、これを熊と名付け、
一杯やるごとになでながら、「恩返しをしろよ」と言い聞かせる。

猫は魔物というから、ひょっとするとと思い、
試してみると、賽の目で丁(奇数)が出たときは「ニャー」と一声、
半(偶数)が出たときは二声鳴く。

何度くり返しても全部当てるので、
これはいいと喜び、
さっそく賭場に連れて行ってたちまち大もうけ。

いつも猫を連れてくるところから、
「猫定」とあだ名がついた。

この定吉、しばらくして、江戸にいては具合の悪いことができ、
二月ばかり旅に出ることになった。

猫を連れては行けないので、
かみさんに「大切にしてくれ」と預けて江戸を離れたそのすきに、
かみさんのお滝が若い燕を引き込んだ。

こうなると、亭主がじゃま。

ほとぼりが冷め、
江戸に戻った猫定は全くそれに気づかない。

ある日、愛宕下の薮加藤という旗本屋敷で博打の開帳があり、
猫定が猫を連れて泊り掛けで出かけた留守に、
かみさんは間男を呼んで相談し、
亭主をそろそろ片づける算段。

一方、定吉。

この日に限って猫がうんともすんとも鳴かず、
おかげで大損してしまう。

しかたなく、早めに見切りをつけ、
熊がどこか具合が悪いのかと心配しながら、
通りかかった夜更けの采女ヶ原。

折からざあっと篠つく雨。

立ち小便をしているすきを狙い、
後をつけていた間男が、棕櫚(しゅろ)箒の先を削いだ竹槍で、横腹をブッスリ。

あっという間に、姿を消す。

家で待っていたかみさん。

急に天井の引き窓のひもがぶっつり切れ、
なにか黒い物が飛び込んできて、悲鳴をあげたのがこの世の別れ。

翌朝、月番がお滝の死骸を見つけ、長屋中大騒ぎ。

間もなく定吉の死骸が発見されたが、
傍らで間男が喉を噛みちぎられて、これも死んでいた。

検死も済んで、その晩は通夜。

一人が線香が切れているので火をつけようと
ひょいと見ると、すさまじい形相をした二人の死骸が、
目をぱっちりと見開いて立っているから、驚いたのなんの。

みんな逃げ出し、残ったのは目の見えない按摩(あんま)の三味の市だけ。

大家が来て、魔がさしたんだと言っているところへ、
所用から遅く帰った信州松本の浪人・真田某がやって来る。

真田は話を聞き、あたりを調べると、
腰張りの紙がぺらぺらっと動き、その度にホトケが踊り出すので、
さてはあやしいと脇差でブッツリと突くと、
黒猫が両手に人の喉の肉をつかんで息絶えていた。

さては猫が恩返しに仇討ちをしたのだと、
これが評判になり、町奉行・根岸肥前守が二十五両の金を出し、
両国回向院に猫塚を建てて供養したという、猫塚の由来。

【うんちく】

玉子屋新道って?

現・東京都中央区八丁堀三丁目、
旧八丁堀岡崎町にあった路地です。

付近に玉子屋があったのでこの名がついたと
思われますが、詳細は未詳です。

采女(うねめ)ヶ原って?

現・東京都中央区銀座五~六丁目、歌舞伎座前から
新橋演舞場にかけて広がっていた馬場です。

旧・采女町。享保9(1724)年まで、旗本・松平采女正の
屋敷がありましたが、同年に全焼し、三年ほど後に
馬場が開かれました。

幕末には、見世物小屋や露店、講釈場などが並ぶ、
ちょっとした繁華街、行楽地となっていましたが
夜が更けると、追いはぎが出没する物騒な所でした。

猫は魔物

「猫忠」「猫怪談」ほかで、猫の怪異は
落語ではおなじみです。

この俗信を利用し、熱い鉄板の上に放り投げて
訓練した猫が、条件反射で踊りだすのを、
「化け猫」と称して見世物にすることがありました。

テネシー・ウィリアムズもはだしで逃げ出す、
てえとこでげしょうな。

もっとも、中世ヨーロッパでは畜生どころか
「アダムの子」にこれをやったらしく、
グリム童話に、悪い王妃に真っ赤に焼けた
鉄の靴をはかせて処刑するシーンがありました。

猫じゃ猫じゃ

前項の猫踊りを「猫じゃ猫じゃ」といい、
三味線の合い方で

♪猫じゃ猫じゃとおっしゃいますな
  猫が下駄はいて絞りの浴衣で来るものか
  おっちょこちょいのちょい

と、囃します。俗曲にもなり、明治から
昭和初期にかけて音曲の名人で、「女大名」
の異名をとった立花家橘之助(1868-1935)
が得意にしました。音源も残っています。

魚屋定吉

魚屋を詐称した博徒は、
「梅若礼三郎」でも登場しました。

詳しくは、その項をご参照ください。

通夜は猫又除け?

通夜は、かつては夜明かしするのが常でした。

昔は、死亡の判定がかなりいい加減で
納棺後どころか、土葬した後でも吸血鬼のごとく
蘇る亡者が少なくなかったためでしょう。

加えて、線香が絶えると不吉とされ、
猫又が取り憑いて亡者に魔がさすという恐怖から、
「猫怪談」のような騒動を防ぐための
魔除けの意味もあったわけです。

まあ、本当に蘇生したホトケでも、魔がさした
と疑われ、よってたかって本当に殺された
ということも、あったかも知れませんが。

なお、噺の結びに登場する回向院の猫塚は
今も鼠小僧次郎吉の墓の前にあります。

当然、魔物のたたりを封じ込めるための
供養塔ですが、鼠が猫封じとは、
何やら物事があべこべですね。

ようやく雲助が復活

大正期には、二代目三遊亭金馬(碓井の金馬、
1926年没)が得意にしました。

その後、五代目金原亭馬生、俗におもちゃ屋の馬生が
よく高座に掛けたのを、六代目三遊亭円生が
習い覚えて工夫を加え、「円生百席」にも選びました。

古風な噺なので、円生没後、あまり演じ手が
いませんでしたが、近年、五街道雲助が復活。

中堅では、柳家三三も、2007年に独演会で演じました。

円生没後もう三十年。どの噺もこの噺も
「円生百席」止まりでは困るので、現役が
こうしたネタをぜひ一回限りでなく、
新たに十八番にして後世に伝えてほしいものです…がねえ。

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コメント

>賽の目で丁(奇数)が出たときは「ニャー」と一声、
半(偶数)が出たときは二声鳴く。

逆ですよね。
丁が偶数、半が奇数。。。

投稿: pipo | 2010.04.15 11:37

たしかにそうですね。
直しておきます。
失礼しました。

投稿: ふる | 2010.06.03 23:51

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