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2009.05.05

搗屋無間(つきやむげん) 落語

たまに寄席であげられることもある噺です。

信州者の徳兵衛。

江戸は日本橋人形町の搗米屋・越前屋は
十三年も奉公しているが、
まじめで堅い一方で、
休みでも遊び一つしたことがない。

その堅物が、ある日、
絵草子屋でたまたま目に映った、

今、吉原で全盛を誇る松葉楼の、宵山花魁の絵姿にぞっこん。

たちまち、まだ見ぬ宵山に恋煩い。

心配しただんなが、
気晴らしに一日好きなことをしてこい
と送りだしたが、どこをどう歩いているかわからない。

さまよっているうち、
出会ったのが知り合いの幇間・寿楽。

事情を聞くとおもしろがって、
なんとか花魁に会わせてやろう、
と請け合う。

大見世にあがるのに、
米搗男ではまずいから、
徳兵衛を木更津のお大尽
という触れ込みにし、
指にタコができているのを見破られるとまずいから、
聞かれたら鼓に凝っていると言え、
など、細々と注意。

あたしの言うとおりにしていればいい
と太鼓判を押すが、先立つものは金。

十三年間の給金二十五両を、
そっくりだんなに預けてあるが、
まさか女郎買いに行くから出してくれ
とも言えないので、
店の金を十五両ほど隙を見て持ち出し、
バレたら、預けてある二十五両と相殺してくれ
と頼めばいい
と知恵をつける。

さて当日。徳兵衛はビクビクもので、
吉原の大門でさえくぐったことがないから、
廓の常夜灯を見て腰を抜かしたり、
見世にあがる時、普段の癖で雪駄を懐に入れてしまったり
と、あやうく出自が割れそうになるので、
介添えの寿楽の方がハラハラ。

何とかかんとか花魁の興味をひき、
めでたくお床入り。

翌朝、
徳兵衛はいつまた宵山に会えるか知れない
と思うと、ボロボロ泣きだし、
挙げ句に正直に自分の身分をしゃべってしまった。

宵山、怒ると思いのほか、
この偽りの世の中に、
あなたほど実のある人はいない
と、逆に徳兵衛に岡惚れ。瓢箪から独楽
。それから二年半というもの、
費用は全部宵山の持ち出しで
、二人は逢瀬を続けたが、
いかにせん宵山ももう資金が尽き、
思うように会えなくなった。

そうなるといよいよ情がつのった徳兵衛、
ある夜思い詰めて月を眺めながら、
昔梅ケ枝という女郎は、
無間の鐘をついて三百両の金を得た
と浄瑠璃で聞いたことがあるが、
たとえ地獄に堕ちても金が欲しいと、
庭にあった大道臼を杵でぶっぱたく。

その一心が通じたか、
バラバラと天から金が降ってきて、
数えてみると二百七十両。

「三百両には三十両不足。ああ、一割の搗き減りがした」

【うんちく】

わかりにくいサゲ

明治25(1892)年7月の二代目柳家(禽語楼)小さんの
速記が残ります。

ただ、小さんの演出では、金がどこから降ったか
はっきりしないので、戦後、この噺を得意にした
八代目春風亭柳枝(現・円窓、故・円弥の最初の
師匠)は、だんなが隠しておいた金とし、金額も
現実的な三十両としました。

また、「搗き減り」の割合は、現行では二割と
するのが普通になっています。

「搗き減り」というのは、江戸時代の搗米屋が、
代金のうち、玄米を搗いて目減りした二割分を、
損料としてそのまま頂戴したことによります。

実際は普通に精米した場合、一割程度が米の損耗に
なりますが、それではもうけがないため、
二割と言い立てたわけです。

オチは、したがって普通なら利益のはずの
「搗き減り」が、文字通りの損の意味に転化する
皮肉ですが、これが現代ではまったく通じません。

そこで、「仕込み」と呼ぶあらかじめの説明が
必要になり、現在ではあまり演じられません。

現・円窓が柳枝の演出を継承していますが、
音源はいまだに柳枝版だけです。

原話は親孝行、落語はバチあたり

原話は、現在知られているものに三種類あります。

まず、安永5(1776)年刊「立春噺大集」中の
「台からうす」、ついで、狂歌で名高い大田蜀山人
(南畝、1749-1823)作の笑話本で同7年刊
「春笑一刻」中の無題の小咄。

現行により近いのが、天保15(1844)年刊
「往古噺の魁」中の「搗屋むけん」です。

前二者は、貧乏のどん底の搗屋が、破れかぶれで
商売道具の臼を無間の鐘に見立て、杵(きね)でつくと
奇跡が起こって小判が三両。

大喜びで何度もつくと、そのたびに出てくる小判が
減り、しまいには一分金だけ。
「はあ、つき減りがした」というもの。

天保の小咄になると、金が欲しい動機が、
女郎買いの資金調達ではなく、年貢の滞りで
三十両の金を無心してきている父親への孝心という、
まじめなものである以外は、ほぼ現行通です。

この動機が女郎買いに変わったのは、前記の俗曲
「梅ケ枝の…」が流行した明治前期からといわれます。

搗屋って?

搗(つ)き米屋のことです。

普通にいう米屋で、足踏み式の米つき臼で
精米してから量り売りしました。

それとは別に出職(得意先回り)専門の搗屋があり、
杵と臼を持ち運んで、呼び込まれた先で精米しました。

落語「小言幸兵衛」のオリジナルの形は、搗米屋が
店を借りに来て一騒動持ち上がるので、別題を
「搗屋幸兵衛」といいます。(その項参照)

無間(むげん)の鐘って?

東海道は日坂宿に近い、小夜(さや)の中山峠の
無間山観音寺にあったという、伝説の鐘です。

撞けば現世で大金を得られるものの、来世では
無間地獄に堕ちると言い伝えられていました。

この伝説を基にして、浄瑠璃・歌舞伎の
「ひらかな盛衰記」四段目『無間の鐘』の場が
作られました。

主人である源氏方の武将・梶原源太と駆け落ちした
腰元・千鳥が、身を売って遊女・梅ケ枝となりますが、
源太のために何とか出陣の資金・三百両を調達したいと
願い、手水鉢を無間の鐘に見立ててたたきます。

するとアーラ不思議、天から小判の雨あられ。
これは実は、源太の母・延寿が情けで楼上から
まいたもの、というオチです。明治期にはやった、

♪梅ケ枝の 手水鉢 たたいてお金が出るならば…

という俗曲は、この場面を当て込んだものです。

絵草子屋って?

江戸のブティック、ジュエリーといったところです。
詳しくは、「権助魚」をご参照ください。

絵草子屋の店番には、たいてい看板娘や美人の
女房がいたので、女性や子供の行く店にもかかわらず、
なぜか日参する鼻の下の長い連中が多かったとか。

そのせいか、風紀紊乱のかどで文化元(1804)年、
お上から絵草子屋の取り締まり令が出されています。

中には枕絵など、いかがわしいものを売る店も
当然あったのでしょう。

大道臼って?

オオドウウスと読みます。

搗米屋が店の前に転がしておく、米つき用の
大臼です。からだの大きな者、特に相撲をあざけり、
罵って言う場合もあります。ハンショウドロボー、
ウドノタイボクをもっと強めたニュアンスでしょう。

黙阿弥の歌舞伎世話狂言「め組の喧嘩」では、
頭の辰五郎以下、鳶(とび)の面々が、相撲取りとの
出入りで、この言葉を連発します。

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