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2009.05.24

猫忠(ねこただ) 落語

明治中期に上方から。当初は「猫の忠信」でしたが、まもなく縮めた呼称に。

美人の清元の師匠に、
下心見え見えで弟子入りしている、次郎吉と六兵衛の二人。

次郎が、師匠と兄貴分の吉野屋常吉がいちゃついているのをのぞき、
稽古を辞めると息巻くので、
六さん、「常兄ィは堅い人なのにおかしいな」と首をひねり、
二人で確かめに行くと、案の定、差し向かいで盃をさしつさされつ。

悔しいから、常吉のかみさんに告げ口して、
夫婦げんかをあおってやろうと、相談する。

たまたま、今度のおさらい会で
師匠が着る衣装を縫っていたかみさん、二人が
「師匠が『お刺身の冷たいのは毒だよ』なんぞと
口ん中でペロペロと温かにして、兄貴の口へ……」
などと並べるのを聞いて
「けんかをしずめてくれるのが情けなのに、
わざわざ波風を立てに来るのはどういうつもりだい」
と、怒り出す。

亭主は今の今、奥で寝ている、という。

噺を聞きつけて当の常吉がノッソリ現れたから、二人は仰天。

いきさつを聞いた常吉。

そういえば、最近床屋に行くと
「やっぱり他人じゃないんで、唄のお仕込が違うんでしょう」
などと妙なことを言われるので、オレの姿を借りて、
師匠の家に入り込んでいる奴がいるのかもしれないと、思いめぐらす。

二人を連れて現場に駆けつけ、障子の隙間からのぞいてみると、
なるほど、自分に瓜二つの男が師匠としっぽり濡れているから、驚いた。

これは狐狸妖怪に違いないと、二人に
「先ィ入って、向こうで盃をくれたら、
油断を見澄まして野郎の耳を触ってみろ。
獣は耳を触られると動くから、そうしたら大声で
『ぴょこぴょこッ』とでもどなれ」と、言いつける。

二人がおそるおそる声をかけると、酔っぱらった声で
「よう、次郎と六じゃねえか。こっちィ入んねえ」

気のせいか、声の調子が違う。

酒を出されると
「ひょっとして、馬の小便じゃねえか」
と、二人はびくびく。

ご返盃に相手が手を出したところを押さえつけ、
耳を触ると案の定、ぴくぴく動く。

「ぴょこぴょこだッ」
と叫ぶ声で、本物の常吉が飛び込んできたので、師匠は
「あら、常さんが二人」と、仰天。

「やい、おれ……いや、てめえは化性のもんだな。
真の吉野屋常吉、吉常(=義経)が調べる。白状しろ」

妖怪はすっかり恐れ入り、
(芝居がかりで)「はいはい、申します申します。
わたくしの親は、あれ、あれあれあれ、あれに掛かりしあの三味線、
わたくしはあの三味線の子でございます」

師匠の三味線の革にされた親を慕ってきた、とさめざめ泣く。
ヒョイと見ると、正体を現した大きな猫がかしこまっている。

「兄貴、今度のおさらいは『千本桜』の掛け合いだろう。
狐忠信てのはあるが、猫がただ酒をのんだから、猫がただのむ(=猫の忠信)だ。
あっしが駿河屋次郎吉で駿河の次郎。
こいつは亀屋六兵衛で亀井の六郎。
兄貴が弁慶橋に住む吉野屋の常さんで吉常(義経)。千本桜ができたね」
「肝心の静御前がいねえ」
「師匠が延静だから静御前」

師匠が「あたしみたいなお多福に、静が似合うものかね」
と言うと側で猫が「にゃあう(似合う)」

【うんちく】

著作権料は誰のもの?

もともと古い上方落語で、大阪の笑福亭系の
祖とされる、松富久亭松竹の創作といわれて
きましたが、実は原話は、文政12(1829)年江戸板の
初代林屋(家)正蔵著「たいこの林」中の「千本桜」で、
ほとんど現行と同じです。

松竹という人、今もって生没年、経歴、年代不詳で、
それどころか、実在自体が確認できない、
「落語界の写楽」ともいえる謎の噺家。

それでいて、松竹の手になるといわれる噺は
多く、この「猫忠」のほか、「初天神」
「松竹梅」「千両みかん」「たちぎれ」など、
ほとんど現在でも、東西でよく演じられる
名作、佳作ばかりです。

江戸の正蔵が始祖とすると、噺の伝播は
江戸→大坂であって、松竹説は怪しくなるのですが
ともかく、噺としては上方で確立しており、
松竹の年代も不明なため、東西どっちが
パクったか、真相は藪の中。

猫又にでも、聞いてくださいな。

東西の演出

芝居噺の名手だった、六代目桂文治が
明治中期に上方の型を東京に移植。

初めは「猫の忠信」の題で演じられましたが、
東京ではのちに縮まって「猫忠」とされ、
それが現代では定着しました。

その文治の明治30年の速記を始め、八代目文治、
大阪の五代目・六代目松鶴、六代目三遊亭円生と
さまざまな名人の速記が残ります。

東西でそう大きな変動はありませんが、上方では
始めに次郎吉が師匠の家をのぞく場面があります。

また、上方は見あらわしに乗り込むとき、最初に
常吉ではなく、女房がいっしょに行くところが
東京と異なり、大阪では女師匠が義太夫、東京
では常磐津か清元である点も違っています。

円生は延静で演じましたが、「延」が付くのは
清元の師匠で、家元の延寿太夫の一字を取ったもの。

「百川」に登場の歌女文字師匠のように、
「文字」が付けば常磐津です。

「千本桜」四段目の口の舞踊「道行初音旅」は、
義太夫と清元もしくは常磐津の掛け合いになるので、
噺にこうした師匠が登場するわけです。

東では、やはりこの人

昭和に入って戦後にかけ、東京でのこの噺の
第一人者はやはり、六代目円生でした。

円生は、三代目三遊亭円馬から習っています。

サゲは、円生以外は東西ともほとんど
「ニャウニャウ」と二声でしたが、円生は
円馬に倣って、すっきりと一声に改めました。

東京ではほかに、三代目桂三木助も演じました。

「千本」のパロディ

「義経千本桜」、通称・千本は、全五段の時代浄瑠璃。

初演は延享4(1747)年11月、大坂・竹本座、
作者は「仮名手本忠臣蔵」と同じチームで、
竹田出雲、並木千柳、三好松洛の合作です。

この噺は、人物名がすべて「千本桜」の役名のもじり。

サゲ近くの化け猫のセリフは、四段目の切
「河連法眼館」(通称「狐忠信」)のパロディで、
芝居の狐の、

「わたくしはあの、鼓の子でござります」

のもじりです。なお詳しくは、「初音の鼓」を
ご参照ください。

弁慶橋って?

現・東京都中央区岩本町二丁目のあたり。
神田の藍染川に架かっていた橋ですが、
幕末にはもうありませんでした。

付近には駿河町、亀井町など、源義経の四天王に
ちなんだ町名が並んでいました。

藍染川、駿河町については「三井の大黒」参照。

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