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2009.05.07

佃祭(つくだまつり) 落語

奇談です。志ん生のでよく聴きますね。

夏が巡ってきて、今年も佃の祭の当日。

祭り好きな神田お玉ヶ池の小間物屋・次郎兵衛、
朝からソワソワ。

焼き餅焼きの女房から
「祭りが白粉つけて待ってるでしょ」
などと嫌みを言われてもいっこうに平気で、
白薩摩に茶献上の帯という涼しいなりで、
いそいそと出かけていく。

一日見物して、気がつくと、もう暮れ六ツ。
渡し舟の最終便はもう満員。

これに乗り遅れると返れないから次郎兵衛、
船頭になんとか頼んで乗せてもらおうとしていると、
「あの、もし……」
と、袖を引っ張る女がいる。

「あたしゃ急ぐんだ」
「そうでもございましょうが」
と、やりとりしている間に、舟は出てしまう。

どうしてくれると怒ると、
女はわびて、
実は三年前、奉公先の金を紛失してしまい、
申し訳に本所一ツ目の橋から身を投げるところを
次郎兵衛に助けられ、五両恵まれた、
という。

名前を聞かなかったので、
それ以来、なんとかお礼をと探し回っていたが、
今日この渡し場で偶然姿を見かけ、
夢中で引き止めたという。

そう言われれば覚えがある。

女は、今では船頭の辰五郎と所帯を持っているので、
いつでも帰りの舟は出せるから、ぜひ家に来てほしい
と、願う。

喜んで言葉に甘えることにして、
女の家で一杯やっていると、外が騒がしい。

若い者をつかまえて聞くと、
さっきの渡し舟が人を詰め込みすぎ、あえなく転覆。

浜辺に土左衛門が続々とうち上がり、
辰五郎も救難作業に追われている、とのこと。

次郎兵衛は仰天、
もし三年前に女を助けなければ、
自分も今ごろ間違いなく仏さまだ
と、胸をなで下ろす。

やがて帰った辰五郎、
事情を聞くと熱く礼を述べ、
今すぐは舟を出せないから、
夜明けまでゆっくりしていってくれ
と、言う。

一方、こちらは次郎兵衛の長屋。

沈んだ渡し舟に次郎兵衛が乗っていたらしい
というので、大騒ぎ。

女房は半狂乱で、長屋の衆に
「日ごろ、おまえさんたちが
あたしを焼き餅焼きだと言いふらすから、
亭主が意地になって祭りに出かけたんだ。
うちの人を殺したのはおまえさんたちだ」
と、えらい剣幕。

ともかく、白薩摩を着ているから
直ぐに身元は知れようから、
死骸は後で引き取ることにし、
月番の与太郎の尻をたたいて、一同悔やみの後、
坊さんを呼んで仮通夜。

やがて夜が白々明けで、辰五郎に送られた次郎兵衛、
そんな騒ぎとも知らずに長屋に帰ってくる。

読経の声を聞いて、
はておかしいと家をのぞくと、
驚いたのは長屋の面々。

幽霊だと勘違いして大騒ぎ。

事情がわかると坊さんは感心し、
人を助けると仏法でいう因果応報、
めぐりめぐって自分の身を助けることになる
と、一同に説教。

これを聞いた与太郎、
それならオレも誰か助けてやろう
と、身投げを探して永代橋へ。

おあつらえ向きに、一人の女が袂に石を入れ、
目に涙をためて端の上から手を合わせている。

「待ってくれッ。三両やるから助かれッ」
「冗談言っちゃいけないよ。
あたしは歯が痛いから、戸隠さまへ願をかけてるんだ」
「だって、袂に石があらあ」
「納める梨だよ」

【うんちく】

実録・佃島渡船転覆事件

明和6(1769)年旧暦3月4日、佃島・住吉神社の
藤棚見物の客を満載した渡船が、大波をかぶって
転覆・沈没。乗客三十余名が溺死する大惨事に。

翌年、奉行所を通じて、この事件への幕府の
裁定が下り、生き残った船頭は遠島、佃の町名主は
押込など、町役にも相応の罰が課されました。

噺は、この事件の実話をを元にできたものと
思われます。(次項参照)

佃の渡しは古く、正保年間(1644~48)以前には
もうあったといわれます。佃島の対岸・鉄砲洲
船松町一丁目(現・中央区湊町三丁目)が起点でした。

千住・汐入の渡しとともに隅田川最後の渡し舟として、
三百年以上も存続しましたが、昭和39(1964)年8月、
佃大橋完成とともに廃されました。

さかのぼると実話?

中国・明代の説話集「輟耕録」中の「飛雲の渡し」を
名奉行としても知られた根岸鎮衛(肥前守、1737-1815)が
著書「耳嚢」(文化11=1814年刊)巻六の「陰徳危難を
遁れし事」として翻案したものが原話です。

なお、サゲの部分の梨のくだりは、式亭三馬(1776-1822)
作の滑稽本「浮世床」(文化11=1814年初編刊)中の、そっくり
同じ内容の挿話から「いただいて」付けたものです。

中国の原典は、占い師に寿命を三十年と宣告された青年が
身投げの女を救い、その応報で、船の転覆で死ぬべき
運命を救われ、天寿を全うするという筋ですが、これは、
落語「ちきり伊勢屋」の原話でもあります。

「耳嚢」の話の大筋は、現行の「佃祭」そっくりで、
ある武士が身投げの女を助け、後日渡し場でその女に再会して
引き止められたおかげで転覆事故から逃れる、というもの。

筆者は具体的に渡し場の名を記していませんが、これは
明らかに前記の佃渡船の惨事を前提にしています。

ところが、これにもさらに「タネ本」らしきものがあって、
「老いの長咄」という随筆(筆者不明)中に、主人の金を
落して身投げしようとした女が助けられ、後日その
救い主が佃の渡しで渡船しようとしているのを見つけ、
引き止めたために、その人が転覆事故を免れるという
実話として紹介されています。

円喬、志ん生、金馬

明治28年7月、「百花園」掲載の四代目橘家円喬の
速記が残ります。戦後、若き日に円喬に私淑した
五代目古今亭志ん生が、おそらく円喬のこの速記を
基に、長屋の騒動を中心にした笑いの多いものに
して演じ、十八番にしました。

もう一人、この噺を得意にしたのが三代目三遊亭
金馬で、こちらは円喬→三代目円馬と継承された
人情噺の色濃い演出でした。

竜神はラ・フランスがお好き?

戸隠神社に梨を奉納する風習は古くからありました。

江戸の戸隠神社は、湯島天神社の本殿後方の
石段脇にあり、正式には戸隠大権現社。
湯島天神と区別されて湯島神社とも呼ばれ、
土地の地神とされます。

元々、信濃の戸隠明神(現・長野県長野市)を
江戸に勧請したもので、祭神は本社と同じ、
戸隠九頭龍大神です。

ありの実(梨)を奉納すると歯痛が治るという俗信は、
信濃の本社の伝承を、そのまま受け継いだものです。

江戸後期の歌人・津村正恭(淙庵、?-1806)は
自著の随筆「譚海」(寛政7=1795年上梓)
巻二の中で、この伝承について記しています。

それによると、戸隠明神の祭神は大蛇の化身で、
歯痛に悩む者は、三年間梨を断って立願すれば、
痛みがきれいに治るとのこと。

その御礼に、戸隠神社の奥の院に梨を奉納します。
神主がそれを折敷(おしき)に載せ、後ろ手に
捧げ持って、岩窟の前に備えると、十歩も
行かないうちに、確かに後ろで梨の実をかじる音が
聞こえるそうです。

梨と竜神(大蛇?)と歯痛の関係は、よく分りませんが、
戸隠の神が、江戸に来ても信州名物の梨に
目がないことだけは、確かなようで。

案外、虫歯の「虫」も、梨の実に巣食った虫と
いっしょに、竜神が平らげてくれるのかもしれません。

佃祭って?

佃住吉神社(現・中央区佃一丁目)の祭礼です。

旧暦で6月28日、現在は8月4日で、
天保年間(1830~44)にはすでに、神輿の
海中渡御で有名でした。

本所一ツ目橋って?

現・墨田区両国三丁目の、堅川の掘割から
数えて一つ目の橋を「本所一ツ目の橋」、
その通りを「一ツ目通り」と呼びました。

橋は現在の「一之橋」で、このあたりは御家人が
多く住み、「鬼平」こと長谷川平蔵(1745年)、
勝海舟(1823年)の生誕地でもあります。

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