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2009.05.11

長崎の赤飯(ながさきのこわめし) 落語

上方の人情噺。突拍子もないことを、「長崎の赤飯」といいます。

日本橋金吹町の質両替商・金田屋金左衛門。

勘当した一人息子の金次郎は
どこでどうしていることかともらすと、
女房の許には季節の変わり目に手紙が届いている、という。

女房の言うことには、
金左衛門が勘当するや、伊勢の弥左衛門の家に預けたとか。

弥左衛門が商用で長崎に赴いた折に同行した金次郎、
回船問屋・長者屋の娘お園に見初められ身を固めたとのこと。

それをきいた金左衛門、
番頭の久兵衛に
「おとっつぁん、一生の大病」
と、手紙を書かせる。

開封した金次郎は
身重のお園を気にしながらも
急ぎ長崎をたった。

わが家に戻った金次郎の姿を見て、
金左衛門夫婦は大喜びだが、
またも長崎に行かれては寂しいので、
久兵衛と画策。

八丁堀岡崎町の町方取締与力・渡辺喜平次の娘おいちと添わせるべく
手はずを整えた。婚礼が近づいた日、
身重のお園が物乞いの姿に身をやつして現れる。

これは女一人で江戸までの旅路も
物乞い姿なら遂げやすかろうということから。

金左衛門も久兵衛も
ヒキガエルの化け物のようななりのお園に驚き、
金次郎は死んだ、と告げる。

落胆するお園。

そこへ金次郎が帰ってきた。

金左衛門らの不実に
またも落胆するお園だが、
身繕いをし支度を整えれば元の美しい姿に。
金左衛門もこの娘なら嫁に許そう
という気にころりと変わった。

そこへ喜平次が訪ね、お園を連れ去ってしまう。

金左衛門は、
「おいちさまをひとまずもらいなさい。
その間に手を回してお園さんを返してもらい、
家風が合わないといっておいちさまを出せばいい」

婚礼の晩。

現れた花嫁はおいちではなく、お園だった。

金左衛門は
「こりゃどうも。お料理が粗末でいけないからすぐ取り換えて」

関所破りを改めようとしたが、
お園の思いが強いことを知った喜平次のはからいで
このような具合に。

おいちはかねて望みの尼になる。

お園は男子を産み、金太郎と名付けた。

この子に長者屋を継がせ、
金次郎は金田屋を相続。

金太郎の初節句に、十軒店から人形を買って長崎に送ると、
長崎から赤飯が返礼に届いた。

【うんちく】

円生歿後30年、ぼつぼつ復活

原話は井原西鶴の作品といわれますが、未確認です。
上方落語として文化年間(1804~18)から口演された
古い噺で、明治期に五代目金原亭馬生(1864-
1946)が東京に移植したものです。

馬生は大阪出身で、副業に玩具屋をやっていたため
「おもちゃ屋の馬生」とあだ名されました。

この噺は系統が二つあり、一つはこの「長崎の赤飯」。
五代目馬生直伝で、六代目三遊亭円生が一手専売で
演じ、円生在世中は当人も言っていますが、
ほかには誰も演じ手はありませんでした。

その円生歿後、門下の円窓に継承されたものの、
ほとんどすたれていましたが、最近、鈴々舎馬桜ほか
ベテランが高座に掛け、若手も手掛けるように
なって、ようやく復活をみています。

もう一つの系統は、八代目林家正蔵が演じた
「上方芝居」ですが、これは次項に改めて述べます。

類話「上方芝居」

「上方芝居」は前半、女が老けづくりをし、
物乞いに変装して若だんなに会いに来るところが
「長崎の赤飯」と共通しています。

なので、ルーツは同じと思われますが、いつ
枝分かれし、誰が脚色して改作したかは不明です。

大阪で演じられた形跡はなく、明治期では、
四代目橘家円喬、初代三遊亭円右と、
円朝門の名人が得意にしました。

二人と同門の三遊一朝老人から、八代目正蔵が
若き日に教わり、晩年時々高座に掛けました。

もっとも、こちらは、発端とサゲはまったく
違っていて、女は若だんなが上方見物に行ったとき、
芝居小屋でけんかした相手との手打ちの座敷に
出た、春吉という芸妓という設定です。

二人は親に無断で夫婦約束をしますが、若だんなが
江戸へ帰ってから音沙汰がないので、春吉は
しびれを切らして出てきます。

ところが、若だんなは奥州へ行って留守なので、
仕方なく死んだことにし、麻布絶口木蓮寺に
墓があると偽って、小春を連れて行きます。

サゲは「お見立て」と同じで、

「どれでも好きなの(墓石)を選んでください」

となっています。初代円右はこれをさらに
怪談仕立てに変え、春吉がニセの墓前で自害、
のちに化けて出ることにしたので、
「長崎の強飯」とはますます違った噺になりました。

長崎の赤飯って?

サゲは、江戸の古い慣用表現で、突拍子も
ないことを言うと「長崎から赤飯(こわめし)が
来る」などと言いました。

同じ意味で「天竺から古ふんどしが来る」とも。
ありえない話の意味から転じて、気長な、
間延びしたことの例えにも使われました。

この噺のサゲのニュアンスでは、後者の方を
効かせているのでしょう。

「こわめし」は今の「おこわ」の語源で、
もち米で炊いた冠婚葬祭用の飯のことです。

日本橋金吹町って?

「かなぶきちょう」と読みます。現・中央区
本石町三丁目の内。日銀本店の真向かいです。

元禄(1688~1704)以前に、この地に金座が
置かれていたことから、起こった町名といわれます。
当時は文字通り「かねふきちょう」と読んだとか。

元禄年間、金座はすぐ南の今の日銀の位置に
移り、明治維新に至りました。

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